理想的な死とは
* * *
仮想世界の現実の中で、K氏は車を走らせていた。牽引しているのは巨大な爆弾である。
車を嘶かせながら走るのは大都市。すでにいくつかのビルが爆発により崩壊し、炎上しているものもある。その中で人々は泣き喚き、避難しようとうろたえている。けれどもK氏にうろたえている様子はなく、ただまっすぐに先を見つめていた。
急がなくてはいけなかった。何故なら、あと五分で、後ろの爆弾が爆発してしまうからだ。
威力は他の爆弾と比にならない。間違いなくこの街が吹っ飛ぶだろう。そうしたら、一体何人の命が犠牲になるのか。
ハンドルを握るK氏の手は汗まみれで震えていた。それでも彼が手放さなかったのは、誰かがこの爆弾を街から遠ざけなくてはいけなかったからだった。
と、正面から獣のような動きで車数台が走り寄ってくる。窓からは銃を構えた手も飛び出していた。体当たりするかのような車で、しかしK氏は見事なハンドルさばきで全てを避け、また同じく銃を握ったのなら、相手に発砲される前に発砲、退けていく。
彼らはこの街を消し炭にしようとする連中だ、何としてでも、この爆弾を爆発させたいらしい。
いっそ、彼らに怯えて逃げられたのなら、なんてK氏は考えたが、いま逃げたところでこの爆弾の爆発から逃れられない。ならばできる限りのことをして死ぬべきではないか。
やがてK氏の車は、ビルの森を抜けて坂道を上りだす。正面では沈みゆく夕日が眩しく、思わず目を瞑ってしまいそうになったがそれでもアクセルを踏むのをやめない。
果てに、爆弾を牽引した車は宙を飛んだ。崖から飛び降りたのである。
先にあるのは海。冷たい衝撃が車を、爆弾を、そしてK氏を包み、呑み込み、沈ませていく。
「ここまでくれば、大丈夫だろう」
ごぼごぼ空気を吐き出しながら、K氏は微笑んだ。
これで街は、人々は、救われた。自分はやるべきことをやったのだ。
そして何もかもがわからなくなる。ついに爆弾が爆発したのだった――。
* * *
ちく、ちくり。慣れた痛みにK氏は瞼を震えさせた。
「五十一点……いい結果とはいえませんね」
これまた聞きなれた声が、どこか呆れたように、それでも朗らかに点数を告げる。
「これならば、と思ったが、そうはいかなかったか」生き返ったK氏はヘッドギアを外し、これまで以上に深い溜め息を吐いた。「ということは、次が最後のチャンスというわけだな。本当に慎重にいかなくては。私の数百年がかかっている」
つと、K氏は職員を見つめた。ここの施設は評判がいいはずなのだ。しかしこれまで九十九回、様々な死に方を試してみたが百点満点には至らない。もしかすると次も。そもそも「評判がいい」というのは勘違いだったのでは。
「そう気を落とさないでください。次こそきっとうまくいきますよ」視線に気付いたらしい職員が目を細くして微笑む。「実は、あなた様のような方が多いのです。そういった方々でも、ちゃんと百回目に百点満点の死を得ていますよ」
「もしかすると、実は百点満点ではないものの、君達が百点満点だったということにして、終わりにしている、なんてことはないだろうな?」
「まさか! そんなことをしたら国に怒られてしまいますし、我々職員が死の許可を得るのに千年かかるようになってしまいますよ!」
それもそうだなと思い、K氏はまた休憩することにした。次が最後の挑戦となるのだ、この休憩の間に、これは、というものを見つけなければならない。
ひとまずは落ち着くために、カフェでコーヒーを飲むとする。ここでコーヒーを飲むのも何回目だろうか。思い返せば、ここに来てすぐの時「自分はもう終わりを迎えるのだ」と、しみじみコーヒーを飲んだっけ。あの時はすぐに終わると思っていたのだ。ところが現実は違った、百点満点の満足のいく死とは、なかなか難しいものである。
「やっぱり『眠るように死ぬ』っていうのがいいのかな?」
不意に声が聞こえてきた。振り向けばきらきらとした表情の者二人がいた、その彼らの様子からK氏は察する、きっと彼は、ここに来たばかりの者なのだと。
「痛いのはやっぱり怖いしなぁ、何か変な死に方して『あれをやってないのに!』って思ってしまったら、それも話にならないだろうし……やっぱりそれが一番満足しそうじゃないか?」
「普通に老いて死ぬのなら、成し遂げたことも多い設定で死ねると思うんだよね」
彼らの無邪気な会話に、K氏もここに来た当初の自分について思い出す。自分も最初はそんな「自然な死に方」を選んだ。ベッドに横たわり、ゆっくり目を瞑り、そうして死んでいく「老い」のシチュエーションである。ところが芳しい点数を出すことがなかったため、今に至っているわけである。
しかしいま考えれば、その死に方はやはりいいように思える。いままでたくさんの死を経験してきたのだ、なかなか満足できないために、過激だったり劇的だったりする死に方も試してみたが、だからこそ、改めて「老衰」という死に方を試してみるのもいいのではないか? いままでのものは激痛が伴ったり、非日常的だったりしたではないか。生き物として、老いて死ぬ、それこそが一番の喜びではないのだろうか?
「最後の挑戦だ、最初にやって失敗したが、改めて『老衰』を試してみようと思う」戻って来たK氏は職員に頼んだ。「一度失敗した死に方を試してみようなんて、変なことだろうか?」
「いえ、そういう方は非常に多くいらっしゃいます。そしてそこで百点満点を出される方も多いのです。ちょうど、あなたから申し出がなかったら、私から提案してみようと考えていたところでしたよ」
職員はそう言いながら機械をセットする。
「それでは、最後の挑戦だ」
K氏はヘッドギアを手にすれば、被る前にじいとそれを見つめた。ここで失敗したのなら、先数百年、死ぬことはできない。ずっと労働の日々だ。だからこそ、ここで決めなくてはならない。
しかしこれから試す「老衰」は、改めてやってみようと思ったものの、やはり一度失敗した方法である。迷いが生じる。最後の挑戦は本当にこれでいいのか、やはり変えて新しい方法を考えてみるか――。
「大丈夫ですよ、今度こそ、百点満点が出せますよ。私がお手伝いします」職員が声をかけてくる。「信じてください。この施設では、必ず百回以内に百点満点の死が得られるのです。どうぞ、力を抜いて」
言葉に促され、K氏はヘッドギアを被った。
* * *
K氏は見慣れた天井を見上げていた。自室の天井である。気付けば自分のベッドで横になっていた。
重い、とは感じないものの、不思議と身体が動かなかった。ただまどろみの中にいるかのように心地よく、じわじわと瞼が落ちてくる。
ふと思う、これはきっと、完全に目を閉じたら二度と開かないのだと。
それでもいいかと思えた。これまで十分、頑張ってきたではないか。
だからこそ、ゆるゆる瞼を閉じ始め、まさに眠るかのように目を閉じた。
考えてみれば、眠ってしまえば労働をしなくて済むのだ。それはとても、幸せなことじゃないか――。
「んっ?」
そこで全身を包む空気が変わったように思えて、二度と開かないはずだった瞼をK氏は開けた。心地の良いまどろみが、まるで波にさらわれたように消え去ってしまった。自分を包むのは、奇妙な浮遊感であった。
K氏は宙に浮いていた。自分の手や身体を見れば半透明、足を見ればぼやけたかのように先がなくなっている。と、真下には、ヘッドギアを装着し台に横たわる自分の姿があった。
「どうして私が二人いるのだろう。それに私の身体はどうしてしまったんだ?」
K氏は首を傾げるほかなかったが、あるものが目に映って、全てを理解する。
「100」。モニターにそんな数字が表示されていた。「死への満足度」である。
「やったぞ! ついに百点満点を出したんだ!」
K氏は両手を上げて喜びの声を響かせた。どうして自分が二人いるのかもわかった、下で横たわっているのは自分の死体だ。そして自分はいま幽霊。その証拠に、半透明で足がない。
K氏の死体の傍らに立つ職員は、注射器を死体に射すことはなかった。百点満点の死が得られたのだ、もう生き返らせる必要はない。多くの職員が部屋に入って来たかと思えば、葬儀の準備が始められる。
「やった! やったぞ! 死ねたのだ! 幸福な死を得られたのだ!」
そんな中、天井付近でK氏の幽霊は踊るように喜び飛び回っていた――。
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