色づく木々

 どれほどの時間が経ったのだろう。木々から差し込む木漏れ日に、空から聞こえる鳥の囀り。それらに五感を浸らせることが出来たのは、歩き始めて数分の間だけだった。歩けど歩けど目の前の視界に変化はなく、気づけば来た道すらも見えなくなっている。しっかりと整備された道はない。時に足元の悪い獣道のような細い道を進んでいく。道中幾度となく、道を間違えたのではないかと焦燥感が身を染める。そんな状況に、時間を気にするような余裕は残されているはずもなかったのだ。もう帰りたい。そう思い始めた頃、少し開けた場所に出た。

 そこには一人の少女の姿。十五歳程度だろうか。

少し長めの丈の白いワンピースからのびた肌白い手足。茶色の髪はさらりと長く背筋を伝い、裸足のままそこに立っている。芝生のステージで木漏れ日のスポットライトを浴びた少女はただ美しく、朧げで、儚くて。形容し難いその姿に俺はうっとりと見惚れていた。しばらくすると、その視線に気がついた少女はこちらを見て口を開いた。

「道、迷っちゃったか」

 浮遊感を拭えずにいた俺の心は、彼女の声によって地に足をつける。それと同時に、目を瞑り続けた現状への答えと視線を合わせた。

「展望デッキに行こうとしてたんだけど…。」

「あー、やっぱり?」

 少女は何が面白いのか言葉の至る所で笑みをこぼす。

「展望デッキへの道は反対側。ここからじゃ行けないから、一度下まで戻らないと。」

 最も簡単に少女は言うが、何せ道なき道と思わしきところを歩いてきたのだ。どこを通れば下に戻れるのかなど、わかるはずもなかった。それに、俺の体力は限界に等しい。こんな絶望的な状況に反して、なぜか心は冷静だった。少女のすぐ横にあった切り株に腰を下ろせば、少女は問う。

「帰らないの?」

「“帰れない“の方が正しいかな」

 そう言うと、少女は訝しげにこちらを見た。

「…スマホ…だっけ?ってやつがあるんじゃないの?みんなそれ見て帰るわよ?」

「運悪く忘れてきちゃってね。」

「そっかぁ。まぁ、大丈夫だよ。私もいるし。」

 帰れるから大丈夫なのか、生きていけるから大丈夫なのか、その言葉の本質が見えぬまま、少女は俺に笑顔を見せた。

「君、名前は?」

「りの。梨に乃ちで、梨乃。あなたは?」

「俺は、しゅうと。柊にますの斗で柊斗。」

「素敵な名前ね。」

「そうか?」

「そうよ。私と似てる。」

 何が似てるのかはわからなかったが、梨乃は気に入ったらしい。何度か俺の名前を呼んでは喜んでいた。

「梨乃は、帰らないの?」

「うん。私は、ここにいる。」

「そっか。大丈夫だよ。俺もいるし。」

 どこか安心感を覚えた梨乃の言葉を借りる。梨乃は少し笑った後、「いい物見せてあげる。」そう言って俺の前で軽やかに踊り始めた。踊るというよりは、舞うという方が合っているだろうか。白いワンピースの裾が翻り、梨乃の動きに沿う。どうして急に舞い始めたのか。そういった疑問に答えを出すという行為は、悠々と舞う彼女の姿を見れば、愚かな行為だと気づく。流れのままに梨乃はふわりと回ると、同時に、暖かく自然の香りを含んだ風が俺の身体を撫でる。それは木々の歓迎のようで。梨乃が寄り添ってくれているようで。俺は身も心もこの場に預ける。いつしか俺は “帰れない“ から “帰りたくない“ に変わっていた。

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