第15話 妻が求めたら夫は必ず応じないといけないらしいですわよ?



 辺境伯軍との戦いから一ヶ月半。


 ゴードン辺境伯領主城の城下町は、大変賑わっていた。


「らっしゃい、らっしゃい」

「今日はいい魚が入ったよ、こんなに安い店は他にないよー」

「消費税が上がる前の方が安かったじゃねぇか」

「違いねぇ!」


 ガハハと笑う店主に、客の方も笑顔である。

 こんなふうに笑うことができるのも、辺境伯夫人キャロライン=ゴールウェイのおかげだ。


 数ヶ月前、彼らの領主であるゴードン=ゴールウェイ辺境伯は、公爵令嬢キャロライン=キャンベルと婚姻した。

 そして、このゴールウェイ辺境伯領に、辺境伯夫婦が到着したのが二ヶ月ほど前のことだ。


 最初は、借金の方に結婚を押し付けられただの、夫人は大変なあばずれだの、惨憺たる噂が流れていた。


 しかし、蓋を開けてみれば、辺境伯ゴードンを尻に敷きながら、領地の状況をみるみる改善してくれている。消費税は上がったけれども、変な新興商人は居なくなり、悪徳商人の取り締まりも強化されたので、清く正しく商いを行なっていた者達は商売をやりやすくなった。収穫税も下がったし、辺境伯軍はあの赤黒の変な格好で街を闊歩しなくなった。

 それだけではなく、頻繁に街に降りてきては、「綺麗なお姉さん、買っていかないかい!?」と言う店主達に、恥じらいながらも大喜びして商品を大量購入していくので、既に彼女はこの街のアイドルとなりつつあった。


「奥様、めちゃくちゃ可愛いんだよなぁ」

「たまに人目がないと思ってスキップしてるときあるよな」

「しかしあれだね、ゴードン辺境伯閣下と一緒にいるところは見ないね」

「確かに。いつも一緒にくっついてくるのは、ギルバート坊ちゃんばかりだし」


 商店街の店主達は、首をかしげる。


 次期辺境伯が、辺境伯夫人キャロラインの共として街に現れるようになったことは、城下町でのもっぱらの噂だった。


 不吉の象徴である黒髪を持つ、次期辺境伯ギルバート。


 堂々と人目のつく場所に現れるようになった彼に、街の人々は初めは恐怖を感じ、避けていた。黒髪だけでなく、背丈があり、筋肉をまとったその姿も、人々を恐れさせた。

 けれども、ニコニコと笑うお人形のような辺境伯夫人にひな鳥のようについて回る様を見て、あからさまなその思慕の様子に、段々と人々の彼を見る目は変わっていったのだ。


「甘酸っぱいよねぇ」

「相手が叔父さんの奥さんだろ? 叶わぬ恋っていうのも世知辛いよなぁ」

「いや、肝心の夫がだろ? 寝取られもあるんじゃ……」


 シーンと静まり返った領民達は、しばらく目を彷徨わせた後、わははと大笑いした。


「ま、どっちとくっついても、キャロライン様が領主一族なのは変わりねぇや」


 結局、領民達にとっては、領主一族内のゴシップよりも、統治の上手い愛されキャロラインがこのゴールウェイ辺境伯領に残るかどうかの方が重要な案件なのである。



****


 さてはて、その肝心の夫はというと。


「未開封様!」

「……」

「新品様!」

「……」

「旦那様ってば!」

「……」


 領主城の一角、領主の寝室の扉――にしては、ボロボロの残骸を板で補修した残骸のような扉――の前で、金髪の小さな二十一歳の夫人は、声を大きくして中の人物に呼びかける。

 

 しかし、返事はない。


「もう、仕方ありませんわね」



 どがーーーーーん!!!



 という激しい衝撃音と共に扉は吹き飛ぶ。

 愛らしい見た目の辺境伯夫人は、舞い散る誇りを気にすることなく、そのまま部屋の中へと入っていった。


 そこには、バーベルを手に、ギリギリと歯噛みしながら夫人を見る辺境伯がいる。


「だから!!! 何故お前は扉を破壊するのだ!!!!」

「引き篭もり様が扉を開けてくれないからじゃありませんの」

「俺は誰にも会いたくないんだよ!!」


 実は、肝心の夫はこの一ヶ月、人目を避けて自室に引きこもっていた。

 必死すぎて気が付かなかったが、そもそもクマの着ぐるみで衆目のある場に出るという失態、クマの着ぐるみから生えた上半身裸男にされた恥辱、決闘で一撃で敗北した醜態、さらには着ぐるみもはがれて地面に裸で打ち捨てられた悲劇。

 意外と常識人なところもあるゴードンは、「もうお外に出られない」と、城下町でも有名な引きこもり領主になってしまったのである。


 そして、そんなゴードンのところに、新妻キャロラインは毎日お見舞いに来ていた。


 会いたくないという夫ゴードンに、会いたいという妻キャロライン。

 その決着は、毎回、扉の破壊という強硬手段によりキャロラインの勝利に終わっていた。


「大体、旦那様はもう元気じゃありませんの。毎日そうやって筋トレをなさっていて」

「お前が!!! 毎日毎日俺の体を剥いて、『あぁ、筋肉がしぼんで……』と憐れむからだろうが!!!!」

「あら、わたくしのためにトレーニングしてくださっているのね。なんて妻思いな夫なのかしら」

「!!!!????」


 ゴードンは、ハッと我に返ったような顔で固まった。

 それはそのとおりだ。

 何故ゴードンは、キャロライン以外に会う予定がないのに、毎日毎日筋トレを続けているのだ?


 ……妻のため?


 ブワッと赤くなったゴードンに、キャロラインは無邪気に追い打ちをかける。


「ねえ、旦那様。知りませんの、妻が求めたら、夫は必ず応じないといけませんのよ?」


 バーベルを取り落とし、バキッという大音量と共に床を破損させたゴードンに、キャロラインは妖艶な笑みで近づく。


 妻が求めたら、夫は必ず応じないといけない。

 前世で赤毛のインキュバスな側近が「妻が求めには夫は必ず応じなければなりません、ですから私を夫にすれば恋をしたいというご希望は速やかに成就いたしますし私が全身全霊をもってお仕え(略)」と言っていたので、この情報に間違いはないはずだが、目の前で首から上を真っ赤にしている筋肉な旦那様は知らなかったのだろう。


 キャロラインがその小さく繊細な手を差し伸べると、ゴードンはビクッと体をこわばらせ、青色の瞳を潤ませている。


「ほら、旦那様」

「なっ、な、な……何を言い出すんだ。お、俺達は白い結婚だと……っ」

「そういえばそうでしたわね。ですが、それが何か?」


 キャロラインは、ゴードンに向かって、にっこりと微笑んだ。


「では、行きましょうか」


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