第8話 黒髪の風評被害の原因を知りましたわ



「ところで税率と辺境伯領軍の予算を変えますわよ、純心ピュア様」



 さらに三日後。

 キャロラインはソファにくつろいだ様子で座り、足を組み、目の前の男に決定事項を告げた。


 横には艶やかな赤毛のサブリナが控え、キャロラインの爪に装飾を施している。


 反対側の横には、胸を若干はだけさせた、黒髪のマッチョが恭しく控え、頬を染めながら、キャロラインの熱い視線に耐えている……。


「俺は一体何を見せられているんだ!!!!」

「あら、純粋無垢ピュアッピュア様にはお見せしていませんのよ。わたくしがそこにある筋肉を愛でているのです。ほらギル、もっと胸元をはだけていいのよ」

「そ、そんなことはできません……」

「一体何を!!! 見せられているんだ!!!!!」


 今にも服を剥かれようとしている甥マッチョに、ゴードンは爆破寸前だ。



 ここはゴードンの執務室で、彼は今の今まで、辺境伯としての書類仕事をしていたのだ。


 三日前、甥の部屋に行ってからというもの、ゴードンは何を身に纏っても、上半身に何も着ていないように見える呪いにかかってしまった。

 領地内のありとあらゆる魔術師を呼び、医者を呼んだけれども、未だ解決していないのだ。今この瞬間も、ゴードンは服を着ているというのに、自慢の三角筋だけでなく、胸板も乳首も全て露出している外見だ。その様は、完全に痴漢である。


 犯人と思しき新妻キャロラインに何度も食ってかかったが、「素敵よ三角筋様!」と喜ばれるばかりで話にならないのだ。ゴードンが怒っても詰め寄っても、「あっ、これが壁ドン……っ!?」「ああっ、厚い胸板に手が当たってっ!」と頬を染めてぺたぺた触ってくるので、なんだか体温が上がってしまい、上手く交渉することができないのである。


 こうして、半裸(ただし着衣中)で過ごす三日間。


 それでも、仕事は湧くように積み重なっていく。


 流石に外には出られないので、ゴードンは諦めて、半裸のまま書類仕事をすることにした。

 自分の執務室に篭り、家令以外を排除することで、闇落ちしそうなギリギリの精神状態で、なんとか執務をこなしていたのだ。


 しかし、そんな彼の努力に構わず、その執務室にもキャロラインは現れたのである。


(外にいたはずの護衛達は何をしているのだ!)


 キャロラインは、勝手にソファでくつろぎながら、ゴードンの曝け出された胸板を心から嬉しそうに眺めはじめた。

 もはや身の危険を感じる熱視線である。

 しかも、不吉の象徴である甥っ子ギルバートのストリップショーつき。


 常識と健康な精神にヒビを入れてくるその光景に、ゴードンは全ての鬱憤を詰め込んだ声で叫んだ。


「ギルバート! はだけて困るならお前だけでも出て行かないか!」

「叔父上、俺はキャロル様の下僕だからそれはちょっと」

「お前一応次期辺境伯だったよな!!!!???」

「何言ってるんだよ。次期辺境伯なんかより、キャロル様の下僕の方が崇高な使命を帯びているに決まってるだろう?」

「髪だけじゃなく思考も呪われたのかお前は!!!!」


「それですわ。なんなんですの、その『呪われし黒髪』って」


 キャロラインは、不満たっぷりに、ぷくーと頬を膨らませる。


 元々、キャロラインは転生前、魔王をやっていた。

 ちょうど五十年くらい前までのことだ。

 その時の彼女は、艶めく漆黒の髪をしていた。自慢の髪だったし、当時は黒髪への風評被害などなかったはずだ。個人的には、黒い悪魔とか、漆黒の死神とか呼ばれていたけれども、黒髪自体を否定するような風潮はなかった。


 キャロラインの昔の髪の色、黒。

 それを不吉なもの扱いするとは、何事なのだ。


 眉根を寄せる彼女に、しかし、ゴードンもギルバートもサブリナも驚いていた。


「お前、黒い悪魔探しを知らないのか?」

「え?」

「五十年前、黒い悪魔、漆黒の死神と呼ばれた女魔王が死んだ」


 キャロラインは頷く。

 もちろん知っている。

 何故なら、それはキャロラインだからだ。


「それからというもの、魔族が黒髪の子どもを攫うようになったんだ」

「え??」

「奥様、どうやら奴らは、漆黒の死神の転生体を探しているらしいんですのよ」

「子ども達は転生体じゃないことを確認された後、元の夫婦の元に返されることが多かった。だが、子攫いを拒むと村が焼かれ、戦になることもあってな」

「そもそも、黒髪に魔王が転生しているかもしれないということで、黒髪自体が忌避されるようになったんですのよ」

「そうして気がついたら、人の多い街で黒髪を見かけなくなったって流れらしいよ、キャロル様。街に黒髪がいると、魔族が来るかもしれないから追い出されたって話もあるかな……」


 キャロラインは言葉もなく、三人の話を聞いていた。


 記憶の中の、魔王時代の側近達の顔が思い浮かぶ。

 特に、艶やかな赤毛にダークブルーの瞳の、細身ひょろひょろのインキュバス。


 あの子達が、キャロラインを探している?


 しかもそのせいで、黒髪に悪評がついて回るようになってしまったと。


「妾の居ぬ間に一体何をやっているのだ……」

「え?」

「ゲホゲホ、なんでもないのよ。そ、それは大変だったわね」


 キャロラインは、想定外の理由に引きつった笑いを浮かべる。

 そしてふと、ギルバートが自分の方を不安そうに見ていることに気がついた。キャロラインの表情に何かを思ったのか、パチリと目が合うと、青色の瞳が揺れた後、諦めたように目を伏せ、立ち上がる。


「ギル」

「いいんだ。俺は」

「ギル」

「元々、ここを出て行こうと思っていて」

「ギル」

「だから、別に、その」

「ギル、ここに座って」


 長ソファの上、キャロラインの横に腰掛けた甥っ子に、彼女は悠然と微笑みかける。


「ちゃんと傍に居ないとだめでしょう?」


 ふわふわの黒髪をかき混ぜるように撫でるキャロラインに、ギルバートは泣きそうな顔をした。

 その様子を見て、キャロラインはふふっと声を漏らす。


 この甥っ子は自己評価が低く、この三日間、何かと理由を付けては失踪しようとするのだ。

 そんなときは、こうして黒髪を撫でると、泣きそうな顔をして彼女の隣に落ち着く。可愛いことこの上ない。今のキャロライン最お気に入りの、十九歳のキュートな大型マッチョ(ペット枠)なのである。


 そして、そんな二人を、白い結婚を宣言したはずのゴードンが、何故か歯噛みしながら恨めしそうに見ている……。



 キャロラインの周りに控える爆破犯達(冤罪)は、世にも恐ろしい三角関係の波動を感じながら、菩薩のような笑顔をたたえていた。

 事態はもはや、彼らの手に余るのだ。

 それに、彼らがおかしい、恐ろしいと感じていること自体が、もはやおかしいのかもしれない。この新妻キャロラインが来てからというもの、ずっとそうだった。きっと、彼らの感性の方がおかしいのだ。ならば、全ての疑問を投げ打ち、あるがままを受け入れて生きるのが賢い生き方である。



「それはさておき、旦那様。税率を上げ、辺境伯軍の報酬や待遇を下げますわよ」

「え」


 ポカンとするゴードンに、キャロラインは気だるげに片手を上げた。

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