第7話 黒髪のボディービルダーを発見しましたわ



 廊下が騒がしいと思っていたところに、先触れもなく扉が開いたので、ギルバートは驚くこともなく騒ぎのする方に目を向けた。

 この程度の無礼はいつものことである。

 大体、この家では、使用人達はギルバートに対し、水一つ出してこないのだ。

 風呂一つ取っても、ギルバートは自分で全て準備し、片付けまで行っている。先ぶれなく扉が開く程度のことは、本当に今更のことである。


 ギルバートが、諦観で染まった青色の瞳で見つめた先には、叔父ゴードンと、ふわふわの金髪の人形のような女が立っていた。

 おそらくあれが、叔父の妻なのだろう。

 いつこの邸宅に来るのか知らなかったため、挨拶もしていないなかったが、なるほど、その小言を言いに来たのかもしれない。


 ギルバートが自ら作成した簡易バーベルを床に下ろすと、金髪の女から悲鳴が上がったので、思わずため息が漏れた。


(そういえば、女、子どもは、筋肉を嫌う傾向にあったな……)


 市井に降りる時も、できるだけ女、子どもと関わらないようにしてきたギルバートは、久しぶりにそのことを思い出した上で、自分の姿に目を落とし、ため息をつく。


 突然扉が開いたので、上着を羽織る暇もなかった。

 トレーニングの最中だったため、上半身は裸で、下半身も動きやすい体にフィットした下履きを履いているだけだ。今の今まで運動をしていたので、むさ苦しいことこの上ない。


 まあしかし、叔父ゴードンの妻に嫌われようとも、構うこともないだろう。

 資金はすでに貯まっているのだ。

 明日にでも、この家を出て行こう。


 最後に一応挨拶でもするかと、ギルバートが顔を上げると、間近に叔父ゴードンの妻がいて、彼は度肝を抜かれた。

 彼女は、触れてしまいそうな距離に詰め寄り、ギルバートを見つめている。


「!? な、何……」


「素晴らしいわ!!!!!!」


 ギルバートが固まっていると、目の前の金髪の女は、うっとりと頬を染めて、舐めるように彼の上半身を眺めた。


「触れていいかしら?」

「え、と……ええ?」

「いいってことね!? では失礼するわ!」


 彼女の小さい手が、躊躇いなくギルバートの胸に触れる。

 ぺたぺたと触ってくるその細い指に、柔い感触に、ギルバートは宇宙を背負ったような顔で、思考も動きも止めてしまう。


「凄いわ、触ると柔らかいのね、こんなに彫像みたいなのに。旦那様より凄いんじゃないかしら……」

「おい! おま、おま、お前は、夫の目の前で何をしているんだ!」

「ですから、筋肉を愛でています。そうだわ、こちらに来て二人で並んでくださいませ、未開封様」

「甥の前でなんてことを言うんだお前は!!!!」

「だって『筋肉様』の地位はこちらの素晴らしい甥っ子に奪われかかってるんですもの。ふふん、悔しかったら早くのその服を脱いでくださいまし」

「お前の自信はどこからくる!!!?」

「面倒ですわね、ほら、手伝ってあげますわ」


 キャロラインがゴードンに向かって、す、と片手を上げる。



 ずばーーーん!!!



 という、風がきるような服が裂けるような音と共に、ゴードンの上半身の服が吹き飛んだ。



 口を開け、目を剥いたまま固まるマッチョの領主ゴードン。


 強制半裸の叔父を見て、流石に目を剥く厭世ギルバート。



 その光景を見た爆弾魔達(審議中)は、その場に正座をし、手を組んで神に祈り始めた。

 現実逃避を始めたのだ。

 驚愕に固まる半裸の男✖️2というこの地獄のような光景は、爆弾魔達(確信)の心を折るに十分なものだったからだ。


 そして、「心を入れ替えます……」「許したまえ……許したまえ……」と呟く使用人達の横で、侍女長サブリナはニコニコと笑顔でキャロラインを見つめている。

 サブリナの推しは、なんでもできる凄い女性なのだ。サブリナは幸せ一杯である。


 最初に我に返ったのは、半裸の甥っ子ギルバートであった。


「な、な、な、なんなんだあんたは!?」

「わたくしは叔母よ。二年限定であなたの叔父君の妻をやることになったわ」

「二年限定」

「そうよ、わたくし達は子作りをしませんからね」

「胸を張って言うことかぁ!! それよりキャロライン、お、お、俺の服を吹き飛ば、吹き、こ、このあばずれが!!!」

「吹き飛ばしていませんわよ、ちゃんと着ていらっしゃいますでしょう?」


 宇宙を背負った顔をしたゴードンは、自分の上半身を触り、洋服の感触だけが残っていることに気がつき、甲高い悲鳴を上げた。


 その騒ぎを背景に、キャロラインはギルバートに向き直る。


「あなたのお名前は?」

「………………」

「下履きが消えれば大腿四頭筋が見られるわね」

「あなたの甥のギルバート=ゴールウェイです!!!!!!」

「そう。ふふ、実は貴族年鑑で知っていたのよ。強そうで、とても素敵なお名前よね」


 ふわふわの金髪を揺らし、嬉しそうに微笑む美女に、ギルバートは、かっと体が熱くなるのを感じる。


 なんだこの女は。

 女というのは、ギルバートを避ける生き物のはずだ。

 彼を見て、嫌悪を示すことはあっても、こんなに近くに寄ってくることなど、あるはずがない。

 大体、ギルバートを褒めるなんて、ネイサン第二王子くらいのもので。


「あんた実は男なんじゃ」

「来世に吹き飛んで精神修行をしたいと」

「いや待てその右手を下げろ。そうじゃない。あんた、俺が怖くないのか」

「怖い?」

「そ、そうだ。女は、俺を怖がるし、嫌がるから……」


 自分で言いながら情けない話である。

 俯くギルバートに、キャロラインは目を瞬くと、コロコロと鈴の音が鳴るような声で笑った。


「わたくしの方が強いから大丈夫よ、可愛い筋肉さん」


 くしゃくしゃっと黒髪を撫でられて、初めての体験に、ギルバートの顔は真っ赤に染まった。




「あ、あんたの方が可愛いじゃないか!!!!」




 頭の中が真っ白になり、自分の鼓動しか聞こえなくなったギルバートは、よく分からないままにそう叫ぶと、その場から脱兎の如く逃げ出した。

 事態は彼の脳みその限界を超えたのだ。

 こういうときは逃げるが勝ちだと、ギルバートは信じている。


 一方、逃げ出されたキャロラインは、ポカンとして彼の去っていった方向を眺めていた。

 会ったばかりの甥っ子は、何やらキャロラインのことを『可愛い』と言って去っていった。

 キャロラインのことを……。



 元魔王の辺境伯夫人キャロライン=ゴールウェイは、震えながら、噛み締めるようにして今の気持ちを心に刻んだ。



 今日は記念日だ。



 何しろ彼女は今日、記憶にある限り初めて、家族以外の男性から『可愛い』と言われたのだから!!!



(やはり妾はここに来て正解だったのだー!!)



 キャロラインは、男性から『可愛い』と言われるという、恋活の第一歩を踏み出したのだ!!



 心の中でぴょんぴょん跳ねる、王都であばずれと名高い公爵令嬢キャロライン=キャンベル。


 現・辺境伯夫人である彼女は、実は誰よりも初心で純粋で、恋愛経験値が無きに等しい令嬢なのである。


 第一王子という婚約者はいたし、とある事情では沢山知っているけれども、その意味を理解してはおらず、男性と一度もお付き合いをしたことはなく、前世でも今世でも、実は口付けはおろか、キャロラインの認識する限りでは、男性に口説かれた経験すらないのだ。


 そして、そのことに気がついている人間は、限りなく少ない。



(妾は大きく一歩を踏み出した! やはり、あの下衆王子への礼は手を抜いてやらねばならぬな!!)


 やり切った顔でほくそ笑む恋活魔王キャロライン。


 その背後では、夫ゴードンが、「何を着ても透過する!!!」と半狂乱で騒ぎ立てていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る