第5話 筋肉様、甥はどこにいるんですの?



「そういえば、甥はどこにいるの?」


 三日後、キャロラインはソファにくつろいだ様子で座りながら、足を組み、問いかけた。

 横には、艶やかな赤毛のサブリナが控え、キャロラインの爪を磨いている。


 ゴードンは血管が切れるかと思った。


「お前はここで何をしているのだ!!!」

「筋肉を愛でています」

「は、はあ!?」

「あら、良いですわね。そのまま近く寄って、彫像のようにポージングしてくださる?」

「するかぁ!!!」


 ゴードンは、自分の執務室にて、辺境伯としての書類仕事をしていた。書類仕事が苦手なゴードンは、久しぶりの執務に苛立ちながらも向き合っていたのである。

 しかし、そんな彼の努力に構わず、気がつくとその執務室にキャロラインが現れ、ソファでこちらを眺めながらくつろぎ始めたのだ。

 それだけでも腹立たしいというのに、目の前で彼女の爪を磨く赤毛の女……。


「サブリナ! な、何をしているのだ!」

「ゴードン閣下の奥様の爪のお手入れをしています」

「だ、だから何故!」

「ゴードン閣下の奥様だからですわ。他ならぬ、ゴードン閣下の」

「……」


 しれっとそう言うと、サブリナは再度、キャロラインの爪の手入れに集中し始めた。


 ゴードンは唖然とした。

 侍女長サブリナは、ゴードンの手足として、キャロラインに嫌がらせをする予定ではなかったのか。

 目の前のキャロラインは、使用人達にいたぶられている様子はない。辺境伯夫人に相応しい豪奢な貴婦人服を纏い、髪も肌も艶々に手入れされている。周りにも使用人達(爆破犯)が常に控えており、放置されている様子はない。

 そして何より、目の前の侍女長サブリナが、恋する乙女のような顔でキャロラインの爪を磨いている。

 妻キャロラインが「本当に美しくて可愛い子」と艶やかな赤髪に手を絡めるものだから、サブリナはポッと頬を桃色に染めている。

 ふわふわの金髪人形と艶々の赤髪令嬢が、ゴードンの部屋のソファで薔薇色の空間を作り出している……。


「だから! 何故! ここでやるのだ!」

「筋肉様に聞きたいことがあったからです」

「おま、お前、どういう呼び方だそれは!?」

「甥はどこにいるんですの?」


 キャロラインは元々、王妃となるべく教育を受けてきた。

 その中に、貴族年鑑を覚えるという苦行も入っていたのだ。

 そして、キャロラインはその年鑑の中で、このゴールウェイ辺境伯には甥――ゴードンの兄の息子がいることを知っていたのだ。


「筋肉様の甥ときたら、挨拶に来ないどころか、気配すら感じさせないではありませんか」

「あの根暗は離れの部屋で寝泊まりしている!」

「離れ? 寝泊まり扱い? 何故?」

「あんな不吉な引きこもりのことなど知るか!!」


 執務室のソファにしどけなく座るキャロラインは、その言葉に水色の瞳をぱちくりと瞬いた。

 呑気な様子の彼女に、ゴードンの苛立ちは全開になる。


「もう出ていけ!!」

「もちろんです。さあ行きますわよ」

「さあ行くぞ!?」

「あら、わたくしと甥を二人きりにしていいんですの? 二人で下剋上計画を練るかもしれませんことよ」

「げっ、げっ、下剋」

「あなたの後継がいない以上、次期辺境伯は彼なのでしょう?」


 ゴードンは思った。

 下剋上計画はともかく、この女とあの不吉な甥を会わせていいのか。

 いや、止めても勝手に会いに行くだろうから、やはりゴードンがその場を監視すべきであろう。


 それでなくとも、この不穏なあばずれ女を妻に迎えてから、幾度かこの領主邸で爆発が起こっているのだ。とくに怒髪天だったのが、食堂が爆破された事件だ。ご飯と間食をこよなく愛する筋肉辺境伯ゴードンにとっては、好きな時にたんぱく質を摂取することができない現状を許すことはできない。

 そして、この許されざる事態を引き起こした要因と思しき不穏なあばずれ女と、世間でもと言われる甥を二人きりで会わせるなど、ぞっとしない行為である。さらなる爆発が起こる可能性も否めない。


「お、俺も行くぞ」

「当然ですわね」

「なんでお前はいつも偉そうなんだ!」

「あなたの妻だからですわ。新妻。夫婦は対等ですもの。ね、旦那様」


 心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべるキャロラインに、ゴードンは虚を突かれてぽかんとした。


 ゴードンは当然ながら、この一ヶ月半の旅路の中、キャロラインに触れていない。それどころか、妻としても令嬢としても扱わず、ほとんど口も利かず、彼女の実家のキャンベル公爵家から侍女を連れてくる暇も与えなかった。

 侍従と兵士に囲まれる男所帯の中、長旅をさせ、辺境伯領に戻ってからも、食事も寝所も共にしていない。この三日間で会話をしたのは、キャロラインの周りで爆発が起きたときに詰め寄った、たっただけである。

 だというのに、何故この女はこれほどまでに満たされた顔をしているのだ。


「夫がいるという響き……わたくし、とっても幸せです。筋肉様には感謝していますのよ」

「え……えぇ?」

「だから感謝の気持ちを込めて、ちゃんと新品のまま、二年後にサブリナに譲りますわね」

「誰が新品だ!!!!」

「まあ、新品でしたの? 専門の女性くらいはご存じかと――いえ違います奥様、私はそのようなこと望みませんわ」

「あらそうなの? ではお前に相応しい男を何人か呼び寄せないとね……侯爵家令息あたりに心当たりがあるのよ」

「そ、そんな、私などに目を向けてくださるでしょうか」

「ふふ、慎ましやかで可愛い子」

「お前達は俺の前でどういうつもりでその話をしているんだ!!!!」

「将来別れるつもりでですわ?」


 妻を名乗る美少女に可愛らしく見上げられて、高鳴る胸と激しい苛立ちに、ゴードンは頬を染め、涙目で歯をかみしめる。


「まあ、どうしましたの。筋肉様ったらセクシーなお顔」

「頼むから喜ぶな!」

「だって、わたくしへのサービスなのでしょう? ふふ、可愛らしい方」


 口をはくはくさせる辺境伯に、使用人達(五回誤解に及ぶ爆破犯)は宇宙を背景にしたような顔をしながら付き従っていた。

 あの傍若無人な納筋辺境伯閣下が、乙女のような顔で歯噛みしている。

 あの、筋肉を鍛えることしか頭になく、書面仕事も統治行為も雑で、たった五年でこのゴールウェイ辺境伯領を借金まみれにした、ゴードン=ゴールウェイ辺境伯が、凌辱された乙女のような顔で……。


「さあ、着きましたわ」

「待て! 何をするつもりだその右手を下げろ」

「え? まずはこの扉を取り除こうかと」

「取り除く!? 俺が開ける! いいな、爆発物を仕込むな。いいな!?」

「いやですわ、筋肉様ったら。まだわたくしが爆破犯だと疑ってらっしゃるのね。こんなに細腕なのに」

「腕を見せるな!」

「あら、夫相手ですのに……初心な新品様」

「筋肉様に戻せ!!!」


 するっとレース生地のドレスの袖をめくり、細く白い腕をみせてくるキャロラインに、ゴードンは脳の血管がちぎれるかと思った。この新妻のやることなすことが、ゴードンの全てをかき乱してくる。


 その背後で、爆破犯達(誤解五回)は思った。

 『ゴードン』とか『辺境伯閣下』ではなく、『筋肉様』に戻していいのかと。

 それはそれで、異常な呼び名ではないのかと。

 しかし、ゴードンはそのことを指摘してくれない。

 何故だろう。

 事態を異常だと思っている凶悪犯達(五回誤解)の思考の方が、異常なのだろうか。


「おい、いるんだろう、開けるぞ!」

「やだ、甥と『おい』を掛けるなんて恥ずかしいですわ、新品様……」

「その呼び方を恥ずかしいと思うべきだと思わないか!!!??」

「ほら旦那様、扉を開けてくださいまし」

「お、おう、分かった」


 旦那様と呼ばれ、急に素直になったゴードンに、背後の使用人達(推定凶悪犯)は『あっ、だめだ……』と思った。

 旦那様本人がそのことを自覚するのはまだ先の話だが、初心な新品様の周りにいる人間は、彼の心の機微を手に取るように察してしまう。


 そして、扉の空いた先。

 そこには、世間に疎まれし黒髪の、次期辺境伯ギルバート=ゴールウェイがいた。



 新妻キャロラインから、黄色い悲鳴が上がった。



 なんと黒髪の彼は、自室でボディビルドの訓練の真っ最中だったのである。


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