第29話 失敗作

 冷たい。と感じた。

 目をパチリと開いても、何も見えない。

 石造りの床は固く、身体が痛い。

 私、どうしてこんな場所にいるんだっけ?

 確か私は──そうだ、部屋に来た何者かに襲われて。

 それで、気絶させられて──それから、どうされたんだ?


 身体を起こして首を回す。

 段々とその暗さに目が慣れてきた。

 見えるのは、壁。壁。壁。そして鉄格子。

 ──鉄格子?


「え……?」


 吐息のような声が出た。

 ここは、どう見ても牢屋だった。

 そんな場所に今、私がいる。

 どうして? 知らぬ間に何か罪を犯してしまった?

 なんで? なんでなんでなんで?


 私は鉄格子に張り付いて周囲を見回す。

 見張りも何もいないようだった。ただただ暗い空間が続いている。

 牢屋は他にいくつもあった。ただ窓は一つも無く、それを意識すると途端に空気が悪く感じてくる。


「……なんで」


 なんで。と、さっきからそれを繰り返してばかりだった。

 本当に分からないのだ。なんで私が、こんな場所にいるのかが。

 見張りもいないんじゃ、それすらも確認のしようがない。

 ひたすらに怖かった。吐かれた息はその度に震えていた。

 私はその場にうずくまって、考えることすらもやめる。

 これからどうなるか。もう分からなくて、だけどその時──。


「やっとか……」


 男の人の声がした。

 聞こえたのは、正面の檻からだった。

 暗くて見えづらかったが、その場所にも人がいたらしい。

 意識して見てみると、確かにそこには人の輪郭が見えた。

 しかしその男の声には、生気が無かった。


「私に、言ったんですか?」


 前の檻へ声を飛ばす。

 「あぁ」と低い声がしたかと思えば──。


「君も、勇者だろ?」


 そんな訳の分からない言葉が返ってきた。


「勇者、ですか?」


 思わず聞き返す。

 なぜ私が勇者、ということになるのだろう。

 そもそも勇者なんて、私も言葉は知っているだけで、ろくに存在は知らない。

 だけど『君も』と彼は言った。それじゃあもしかして──。


「僕も勇者さ。勇者という名の材料。君も材料なんだろ?」

「……いえ。意味がよく分からないですけど……」


 はぁ、と重い溜息が聞こえた。

 けど本当に分からないのだからしょうがない。

 ただ。勇者という存在は、たまに王都内でも耳にしていた。

 まぁほとんどが魔王軍襲来の際の『勇者は来ないのか』とかの否定的な内容だったけど。

 その理由が、こんな牢屋に閉じ込められていたから、だとしたら納得がいく。

 しかし勇者と言えば、国の英雄とかそういう類のものだ。

 であれば、こんな場所に閉じ込められているのは不自然でしか無かった。


「……えとあなたは、どうしてこんな場所に?」

「覚えていないか? 6年前に行われた勇者選抜戦を。僕はそれで勇者に選ばれ……この城の地下牢に閉じ込められたのさ」

「城、ですか?」


 てっきり刑務所の牢屋かと思っていたが、城の地下牢?

 ってかこの人、6年前からここに閉じ込められているの?

 勇者選抜戦というもので勇者になり、この牢屋に運ばれた?

 なら勇者をなぜ、そんなぞんざいに扱うのだろう。

 疑問に思うと同時に、彼の言葉が思い起こされた。

 ──『勇者という名の材料』。それが関係している?


「その様子だと、本当に知らないようだな」

「……はい。え、じゃあさっき言ってた材料って?」


 思ったことをそのまま口にすれば、彼は少し気怠げに溜息を吐き。

 そのまま、まるでなんでもないことかのように、平然と言ってのけた。


「人間兵器の、だよ」


 ──人間兵器?

 現実離れした言葉に、混乱した私の頭は一層の混乱を覚える。

 彼はそんな私の頭に追い討ちをかけるように──。


「この国は、最強の人間兵器を作ろうとしている。僕はそのために用意された材料なんだよ。……人間兵器は遺伝子を組み合わせて作られる、人工人間さ」

「は……?」


 思わず強い口調になった。

 彼はふっ、と軽く笑うと「僕も最初は驚いたさ」と死んだ声で続ける。


「優秀な遺伝子を生み出す装置、それが僕さ。……君もそうだと思ったのだけどな」


 呼吸が荒くなる。

 私が人間兵器の材料?

 そのために、こんな場所へと連れてこられた?

 ……いや。

 少し冷静に考えれば、私がその『材料』になっているとは考え難い。

 私は勇者のように選ばれた人間でもなければ、魔法適正だって皆無なのだ。

 そんな人物を、人間兵器の材料にするわけがないだろう。

 そもそも王国は本当に『人間兵器を作る』なんてことを企てているのか?

 作ったとして、どうなる? 理由が見えてこない。

 第一、この男の嘘だという可能性も捨てきれなかった。

 彼に対して、湧いた疑問を投げる。


「……材料にされるのなら。逃げればいいんじゃないですか?」


 彼は勇者だ。高い魔法適正、蓄積量、戦闘能力を所持しているはず。

 脱獄なんてやろうと思えば、簡単にできるものじゃないのか?


「無理なんだよ。牢屋には魔封じの結界が張ってある。この鉄格子も簡単に壊せない」

「そう……ですか。でも、王国がそんなこと……信じられないです……」

「信じなくてもいいさ。君は材料とは違うようだしな」


 なら、信じないことにした。

 私が黙ると彼は「はぁ」と息を吐いて床に身を投げた。

 逆に私は放心状態で、何も考えられなかった。

 次に意識が現実に戻ったのは、それから数分後のこと。


 ──コツコツ。


 牢屋の奥から、二人分の足音が聞こえた。

 加えて仄かな光が見えている。見回りか何かだろうか。

 だが、どうやら違うようだった。そこに現れたのは足音通り二人の人物。

 一人は隠れて見えないが、もう一人は──私でも知っている人物。

 彼は──アレクシス王国の国王だった。


「目が覚めたようだな」


 長い髭を蓄えたその男が、私に声を投げる。

 そしてもう一人、彼の影に隠れた人物は──。


「リ──」


 リリアンだった。

 彼女は私を見るなり、顔の形を崩壊させた。

 「──っ」声にもならない声を上げ、つーと涙が頬を伝う。

 そんなリリアンに、どうしてここに。とは聞けなかった。

 声が出なかったから。


「君はなぜ、ここに連れてこられたと思う?」


 不意に国王が私に問うた。

 ここで誤った返答をすれば、首が飛びかねない雰囲気だった。

 けれど「分かりません」これしか私には答えられない。


「そうだろう? セレンがお前を見つけたのだ」


 セレンとは第一王子のこと。

 彼が私を見つけた……って、魔王軍が襲来した時?

 しかしあの時の王子はドロシーに用があったはず。

 だが確かに、思い返せば私のことをやけに詳しく聞いてきた。

 天啓スキル、魔法適正、魔力蓄積量について特に。

 でも、それと今私が閉じ込められていることに、何も関係性が見えてこない。


「君、名前は?」

「……クロエ・サマラス、です」


 訝しみながらも答える。

 すると彼は心底面白そうに「ははは」と笑い声を上げた。

 ひとしきり笑うと、今度はニヤリと口の端を吊り上げ、再度問う。


「それは、君の真の名ではないだろう? 君は、本当の両親を知らないだろう?」


 心臓が、有り得ないくらいドクンと跳ねた。

 なぜそれを知っている? 国王は私の何を知っている?

 しかし物心を覚えた時には、既に私はクロエ・サマラスだ。

 本当の両親は知らないが、これが私の真の名であることに違いない。

 なのに、呼吸の間隔が次第に狭く、速くなる。

 国王の背後のリリアンは顔を伏せていた。


「君は、自分自身の能力について疑問を持っているだろう?」


 魔法適正、全属性Fランク。

 魔力蓄積量、全属性Sランク。

 天啓スキルを二つ所持。


「…………」


 あぁ。おかしい。

 知っている。だから、なんだと言うんだ。


「それらの疑問を解消してやろう」


 その言葉と同時に、リリアンがバッと顔を上げた。

 眉間に皺を寄せて『やめて』とでも言いたげな悲痛な表情をする。

 国王は何か、私にとってまずいことでも話そうとしているのだろうか。

 ──『この国は、最強の人間兵器を作ろうとしている』。

 なぜ今、先の勇者の言葉が思い起こされるのだろう。

 私は関係ない。私は何も知らないのだ。

 だから何を言われようと──。


「君の親は──この私だ」


 刹那、時が止まった──そんな気がした。


「あぁそれと、君の真の名だが──」


 ……………………。


「適正と蓄積量が偏った──最強の人間兵器の『失敗作』だよ」


 ……………………。


「喜べ。実に15年ぶりの再会だ。逃した時は、しまったと思ったが」


 ………………私は。


「感動で言葉が出ないか?」


 …………私は。


「お前のことは、次の材料にしてやろう。なに、次は失敗しないさ」


 ……私は。


「まぁいい。後で迎えに行こう」


 私は。一体。なんだ。

 この人は、何を言っているんだ。


「さぁ行くぞ、勇者。お前も随分と待たせたな」


 私は。私は──。


「はあっ──!」


 唐突な勇者の声に、びくりとした。

 遠かった視界が一気に近くなり、同時に眩い光と熱風が吹く。

 だがそれは──わずか一瞬のことに終わった。


「言ってなかったか? 私の天啓スキルは『魔力吸収』だと」


 国王は再び高笑いした。既に勇者は牢屋の外にいた。

 魔封じの結界が張られていないその場所で魔法を使ったらしい。

 腕を掴まれた勇者は項垂れて、私を一瞥する。

 そのうつろな目は、全てを諦めたように見えた。

 彼らはそのまま、来た方とは逆方向に歩いていった。

 その時、国王の背後を征くリリアンがわずかにこちらを向いた。

 表情はくしゃりと歪み、ぽろぽろと涙を零している。


 ──『ごめんね』


 リリアンの口が、そう動いた気がした。



「……………………」


 国王が、私の本当の父親。

 私は、最強の人間兵器の失敗作。

 人間兵器は、人工人間。


 なら私は。クロエ・サマラスは……一体、誰だ?

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