第13話 あの日の魔物

 疑心は一瞬で確信へと変わった。

 間違いなく、この魔物は、五年前に遭遇したあの魔物。

 こいつの恐ろしさは身をもって知っている。

 御者の人らの助けは、まだ来る気配は無い。

 これはひょっとしてピンチなんじゃ?


「クロエ! どうにか時間稼ぎできる!? 私、氷の魔力を集めるから!」


 ドロシーの叫びに、私の意識は現実に引き戻される。


「わ、分かった! 任せて!」


 今の私に何ができる。どうすればいい。考えろ。考えろ、私。

 奥の木には少女が身を隠しているはずだ。なら、危ないこともできない。

 私に今できることは──魔法。魔法、しかない。

 少女を危険に晒さないのは──闇属性だろう。

 そうと決まれば例の如く、両手に魔力を注いでゆく。


「ギイイィィィ……」


 魔物は睨み付け、威嚇をしているようだ。

 私が魔力を注いでいることには気付いていない。

 だが。私と違いドロシーは周囲の魔力を集めている。

 その魔力の流れに、魔物は気付いているはずだ。

 まずは──そうだ、私たちの姿を隠すことから始めよう。


「『ダークミスト』」


 魔法を放つ。

 魔物に向け、ではなく足元の地面に向け。

 そもそも魔物との距離は七メートルほどだ。

 魔法適正 Fランクの魔法じゃ、届かせることは困難だろう。


「……よし」


 狙い通りだ。

 放った黒いもやは周囲に広がり、私たちの姿を覆い隠す。

 しかし同時に、魔物の姿も捉えられなくなる。

 でも、今はこうするしか無い。


「ドロシー。とりあえず死角に」

「うん」

「あと、魔物の討伐っていうのはあまり重視しなくていい、よね?」

「うん、女の子を優先、だよね」


 早口で言葉を交わし、私たちは右方向の木の裏のへ身を潜める。

 そのタイミングで魔物が「ガアアアア!!」と鼓膜を震わすほど咆哮をあげ──。

 瞬間、爪の振る音。次いで、旋風が巻き起こり私たちの横を通り抜ける。

 黒いもやは一瞬で消滅し、地面は抉り取られ、後方の木は薙ぎ倒された。

 私たちの姿は暴かれなかったが、しかしそんなことを考える余裕もない。

 今のはヤバい。それだけしか理解が追いつかなかった。


「あ…………」


 漏れた声に、思わず口を覆う。

 手に当たる呼吸が段々と荒くなっていた。

 だってそこにいるのは、私が想定していたよりも何倍もヤバい魔物である。

 デタラメに暴れられでもすれば無事に済まないことを、私はやっと理解した。


「ド、ドロシー」

「……逃げる? いや、それだと──」

「……うん。だよね。……だから、どうしようか」

「クロエ、震えてるよ? 大丈夫?」


 言われなくても分かっていた。

 身体どころか、声すらも分かりやすく震えている。

 けれどそれは、ドロシーも同じだった。

 だから、どうにかするしかない。どれだけ怖くても。


「ドロシーは今、氷の魔力を集めてるんだったよね?」

「うん。もう放てるとは思うけど。どうする?」

「じゃあ、まだ魔力を溜めてて欲しい。合図するからその時に放てる?」

「分かった。クロエはどうするの? 危ないことだけはしないでね?」

「ありがと。大丈夫」


 私はドロシーから魔物に目を映す。

 風属性で怯ませられるような魔物とは到底思えない。

 いや、どうだろう。私の魔法は時間をかければ強大なものになり得る。

 時間稼ぎになる程度の魔法なら放てるかもしれない。

 今ドロシーは氷の魔力を集めている。ならば、私が魔物の体勢を崩したところに、ドロシーが氷魔法を放ち、その間に私が少女を助ける。この流れはどうだろうか。

 考える時間も無い。これでいこう。


「…………」


 風の魔力を両手に注ぐ。

 できる限り多くを。


「ドロシー。もうすぐ」


 魔物は首を回している。

 いつまでも魔力を注いでいるわけにもいかない。


「分かった」


 私は深呼吸を一つして、魔物の隙を突くように──!


「『エアーインパクト』!」


 木の裏を飛び出し、魔法を放つ。

 巻き起こった鋭い風に、魔物は唸り声をあげた。

 動揺した魔物の隙を逃さず、私は少女がいる奥の木へ向かう。

 そして──。


「ドロシー!」

「うん!」


 その頷きから一拍後。


「『アイスランス』!」


 ドロシーの声と共に、私の背後を冷気が駆ける。


「ガァッ!?」


 魔物の虚を突かれたような低い声。

 全ての情報を整理する前に、私は少女の元へ辿り着く。

 さて、ここからどうするか。と、新たな思考に切り替えようとした矢先。

 私は目の前の光景に、眉をひそめた。


「え……?」


 少女の姿が、どこにも見当たらなかったのだ。

 確かに、この場所に逃げ込んでいたはずなのに。

 なのに、そこには動いた様子も、形跡も無い。

 ただ。黒い石一つのみが、ポツンと置かれていて。

 これは──魔石、だろうか?

 いや、今はそんなことより──!


「クロエ!」


 ドロシーの震えた叫び声。咄嗟にその方を向く。

 そして同時に、魔物の姿が目に映った。

 しかし、その光景は意を反するもので、私は息を呑む。

 魔物には、一つも傷が無かったのだ。


 理解が追い付かない。


「クロエ危ない!」


 気付けばもう、大きな影が私を覆っていた。

 爪が掲げられ、五年前のあの日を想起しながら、今度こそ死ぬ。と本能的に察す。

 でも──ちょうどその時だった。


「『ストーンブラスト』」


 上空からの声。そして、雨のように魔物に降り注ぐ、無数の岩。


「ガアアァァァァァ!」


 魔物の厚い装甲から血が噴き出す。

 断末魔の末、魔物は私の視界から消え去った。

 ほんの一瞬だった。

 一体何が起こった? 誰かが助けてくれた?

 しかし声の主は少なくとも、ドロシーでも御者の人でも、もちろん私の声でもない。

 ただ、私はどこかで、その声を聞いたことがあったような気がした。


「……たす、かった?」


 刹那、くらりと視界が揺らぎ、私はその場にドサッと倒れ込む。

 駆け寄ってきたドロシーが私の身体を揺らす。が、景色は次第に遠ざかる。

 私に呼びかける声も、感触も、全て。


「────」


 誰かが来た。

 私を助けた人だろうか。

 わからなかった。


 ただ。金色に輝く髪が、消えゆく視界に揺れていた。




【あとがき】

お久しぶりの更新です!

またコツコツ書いていくのでよろしくお願いします。

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