第2章 アレクシス王国、王都
第12話 森の中で
アレクシス王国王都──城内。
光り輝くシャンデリラ。
細かい装飾が施された赤い絨毯。
見るからに高価な鎧を身に纏った護衛の兵士。
城内はどこを見ても新鮮で、サニスの町との差を大いに示される。
……って、そんなことは、今の状況に比べれば本当にどうでもいいことで──。
「ここが、第二王女リリアン・フォン=アレクシス様のお部屋だ。無礼の無いよう」
案内役の女騎士に言われ、私は「はい」と掠れた返事をする。
──一体、なぜ。
なぜ。私たちは今、こんな状況に置かれているのか。
なぜ。私たちは今、国の王女に対面しようとしているのか。
でもまぁ、こうなるのも無理も無かったことなのかもしれない。
そう。それは今より三時間ほど前のこと──。
※
東の山から顔を覗かせた太陽が、私たちを照らしていた。
揺れる数台の馬車は、未だ王都への道を進んでいる。
朝の光をこんなにも気持ちよく感じたのは初めてかもしれなかった。
ちなみに昨日はいつの間にか眠っており、そして今は、ドロシーと二人占めのこの馬車内で今後についてを話し合っている最中だった──のだが。
「可愛くなりたい」と、私。
「クロエは可愛いよ」と、ドロシー。
「いや全然だよ。鏡見てても思うもん」と、私。
「ほんとに可愛いよ、クロエは」と、ドロシー。
会話は弾めど進まない。さっきからこの調子である。
王都になら沢山の化粧品がある、と私が説いても、化粧しなくてもクロエは既に可愛い、と反論をする。強くてカワイイ最強の魔法使いを目指したいと更に反論しても、もう既に私の中では強くてカワイイ最強の魔法使いだよ、と反論に反論を重ねられてしまう。
どう考えてもドロシーの方が可愛いのに、でも別に嫌味を言っているわけじゃなさそうなところが、なんというか少しむず痒さを覚えて、私はとうとう話を変えた。
「まぁいいや。これからどうするかを考えよ?」
「どうするかって? あ、王都で何を目指すか、みたいな話?」
「うんうん。私は元々、王都で魔法の腕を磨いて、夢を目指す予定で、多分それは変わらないとは思うんだけど──ドロシーはさ、これからしばらく一緒に生活したいんでしょ?」
ドロシーは私の問いに、虚を突かれたように「え!」と大きな声をあげる。
「あれ? 違った?」
「いや、うん。違わないけど……」
ドロシーは照れ臭げに頬を掻いた。
そして、少し不安そうに上目遣いで私を覗く。
「いいの? ほんとに?」
「え、うん。むしろ私なんかで嫌じゃない?」
「嫌じゃないよ! だってクロエは、私の憧れの人だったし!」
「なら良かった! というか私がドロシーの憧れだったって、未だにちょっとびっくり」
「そう? 確かに接点はほとんど無かったしね。……あ、ところでさ──」
ドロシーは思い出したように続けた。
「昨日のクロエ、結構カッコつけてたよね!」
にやにやと意地悪に笑うドロシー。
対する私は昨晩を思い出し顔を熱くする。
「……ねぇ。ちょっと。自分でもそれ思ってたから……やめて恥ずかしい」
我ながら、昨晩は大胆なことをしたと思う。
それに加えて、あの大量の恥ずかしいセリフ。
私、よく、あんなことを言えたな。
「でもそれ以上に可愛かったよ! ほんとに!」
「わ、分かった。分かったから……」
「もうあのキャラは卒業? もう一回見たいな」
「はいはい! また今度ね! また今度、ドロシーを誘拐する時にでもね! というか名前呼びも結構恥ずかしいんだから!」
と。私は勢いに任せて顔を伏せた。
隣からくすくすとおかしそうに笑う声が聞こえる。
くそー、やっぱり昨日の私は客観的にもおかしかったよな。
あんなカッコつけなければ──って思ったけど、他人の家に不法侵入だなんて、今までの私じゃできるわけがなかったのだからまぁ……あれで良かったのかな。いや……うん。
確実にアレは、何度も思い返しては悶々とするタイプの出来事だったけれど、今がよければそれでいいか、とそんな風に雑に納得することにしながら、私は顔を上げた。
馬車を囲む風景は、変わろうとしていた。
地平線すら見える草原から、林道に入ったらしい。
木々に囲まれたその道は、朝の光を遮るほどには薄暗い。
しかし。今は一体何時頃だろうか。太陽の向きからして朝の8時頃だと思うけど。
疑問に思った私は、馬車から身を乗り出し、前方の御者のお姉さんに声を飛ばした。
「すみません。王都まであとどのくらいですか?」
「ん? あぁ、えーっとね、あと──一時間くらいかな。もう少し頑張ってね」
「あ、もうすぐだ。えと、ありがとうございます」
「どういたしまして。……それにしても運が良かったね、君達」
「え、どうしてですか?」
私に代わり、ドロシーが疑問を返す。
「実は、最近またこの辺りの魔物の動きが活発化してきてね。明日から、しばらく王都への馬車の出入りはできないようになってしまったんだよ。まぁ、そもそも馬車には魔除けの魔法がかけられているから万一魔物が出る事態になっても──」
と。言葉の途中。
「────!」
森の奥から、うっすらと少女の叫び声が聞こえた。
甲高いそれは、何かに酷く怯えているようで。
それを裏付けるように、魔物の咆哮が朝の森を震わせた。
私たちは肩を震わせ、開いた目を互いに見回す。
「御者さん! 今、魔物の声が!」
ドロシーが一足先に口を開く。
御者のお姉さんは「魔物か」と溜息混じりに呟くと、
「ちょっと馬車、止めるよ。なに、馬車にいれば安全だよ。様子見をしてから再発進しよう」
「待ってください! 今、人の声もしませんでしたか?」
思わず口を開く。
多分、聞き間違いじゃないはずだ。
しかし御者は首を傾げていた。ドロシーでさえも少し曖昧な反応をする。
「確かに言われれば聞こえた気もするけど……」
「ちょっと私、様子を見てくる」
考えるよりも先に、身体が動いていた。
誰かの命が危険に晒されているのなら、助けたい。
つい最近までの私なら動くことすらもしなかっただろうけど。
ただ、昨日の恥ずかしいアレのお陰で、多少なりとも自信がついた。
森にいる程度の魔物であれば、どうにか対処できるんじゃないかと思う。
「え、待って。クロエが危なくなっちゃうよ」
「そうだけど。……もし、本当に襲われているのならって思って」
「なら私もいくよ! 私もクロエの力になりたいから」
「やった。ドロシーがいるなら百人力だね!」
と言って、私たちは馬車を飛び降りる。
そして互いに目を見合わせて『よし』と首を縦に振った。
そんな私たちの様子を見た御者のお姉さんは、ハッとしたように声を飛ばす。
「おい待て。確かにこの森には大した魔物はいないが、私たちの仕事は客人を無事に目的地に送り届けることだ。心配な気持ちは大いに分かるが、ここは私たち御者の仕事だ」
「そ、それは分かりますけど! けど! 救える命は早めに救った方が良いんですよ!」
と。そんなことを言い残し、私たちは魔物の咆哮が聞こえた方角へと駆け出した。
背後から「待て!」というお姉さんの声に混じり、他の御者の声もする。
でも。私の言っていることは間違いじゃないだろう。
一瞬の遅れで救えなくなる命なんて、この世にごまんとあるはずだ。
「お、昨日のクロエが戻ってきた?」
「待って、別にカッコつけてないからね!? というか逆にドロシーは、なんだかアレだね。カッコ悪い? いや、逆に可愛いかな?」
「もしかして、私の服装のこと?」
そう。隣を走るドロシーは未だにパジャマ姿だった。
ちなみに靴は私の予備の花柄が入ったやつである。
「うん。やっぱり可愛いと思う!」
「そう? でもなんか、褒められてる気がしないような……」
「褒めてるよ! ……って、ちょっと待って」
私は話の腰を折るように、少しばかり足の動きを止めた。
目の前に、直近に薙ぎ倒されたであろう木が転がっていたのだ。
それは更に森の奥の方へ、獣道のように続いていた。
しかし少し、不可解な点があった。
獣道が、まるでこの場所から発生していることである。
まぁだけど、そんなこと気にしたところでか。問題は、この獣道の大きさである。
この跡はツノ兎のような小さな魔物が付けられる代物ではない。
つまり。想定よりも強い魔物がこの先にいるかもしれない、ということだ。
だからと言って、ここで引き返すわけにもいかない。
「ドロシー、念の為すぐ魔法が放てるようにしてて? 私の魔法、不安定だから」
「分かった! 見つけ次第、すぐに放つよ」
ドロシーの言葉に頷いて、私たちは獣道を駆けた。
右へ曲がり、そして左、また左、次に右へ曲がる。
逃げ惑ったのだろうということが簡単に窺えた。
そして──。
──ガアアアアアアアア!!
咆哮が近い。
ビリビリと僅かに鼓膜が震える。
右へ曲がり、真っ直ぐと駆け──見つけた。
「いたよ、ドロシー!」
奥の方に、黒い剛毛が目立つ魔物の後ろ姿が見えた。
そして幼い少女の姿が、魔物の正面に僅かに写る。
やはり叫び声は聞き間違いでは無かった。
それにどうやら、まだ大事には至っていないらしい。
だが、少女は腰を抜かしたのか、地面にぺたんと尻餅を付けていた。
そんな少女に、魔物が大きな右腕を空へと振り上げる──その瞬間。
魔物の背中へと、ドロシーが魔法を放った。
「『アイスランス』!」
放たれた氷の槍は、迷いなく魔物にめがけて飛んでいった。
魔物の皮膚を突き刺したそれは、しかし貫通するにまでは至らない。
それでも。注意をこちらに向けることには成功した。
「ガアアアア!!」
苛立ちのような叫び。
魔物は刺さった槍を引っこ抜くと、私たちを向いた。
背後の少女は、ハッとしたように一本の木の裏へと身を潜める。
「ギィィィ……。ギィィィ……」
魔物は口端から荒い息を噴き出し、私たちを睨み付けて──って、え?
「────」
私は魔物の容貌に、思わず絶句した。
その魔物が想定していたよりも恐ろしく、おぞましいだとか、そんな理由では無くて。
ただ、よく似ていたのである。
──私が五年前に森で遭遇した、あの魔物に。
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