悪縁

「あ、茉莉ー!」


教室から出てきて早々

がやがやとうるさいと言ってしまっても

差し支えない廊下の中で、

不意に後ろから声をかけられた。

数人が声のする方へと

振り返るのが見える。

茉莉もその1人になっているわけで。


後ろからはやや足早ではあるものの

軽快な足取りでこちらに向かってくる

三門さんの姿があった。


こころ「やほ。」


茉莉「うん、やほ。」


簡単に挨拶を交わす。

長く丁寧に整えられている髪が、

こちらに向かってきた余韻の風で

はらはらと揺れた。

気の抜けた声で返事をする。

その一瞬の間に、茉莉たちのことを

じっと見つめているような人はいなかった。

皆、自分たちの会話や行動に

戻って行ったのだ。


三門さんはいつからか、

茉莉を見かけると声をかけて

くれるようになっていた。

初めは敬語で話していたけれど、

ある時不意に「タメでいいからね」と

言ってくれたのだった。

何度か話すうちに、

悪い人ではないことはわかった。

ただそれだけ。

それ以上ても以下でもない。

茉莉にとって彼女は友達なんて

親しい間柄でもなければ

他人と言うには離れすぎていた。


こころ「今、平気?」


茉莉「うん。」


こころ「そっか、良かった。移動教室中かと思って心配になっちゃった。」


茉莉「全然。散歩してただけ。」


こころ「あはは、何それー。」


三門さんはころころと笑った。

何をするにも可愛げで溢れている人だ、

と今更ながら思う。

一挙手一投足全てにおいて

可愛さを求めていると言うか、

自分の美学を突き詰めているというか。

制服は着崩しているけれど、

それすら意図してそうしているかのように

感じているのだった。


こころ「そうだ、最近どう?」


茉莉「最近?」


こころ「そう。なんか変わったこととかない?」


茉莉「変わった…あー、夏休みが終わった。」


こころ「あはは、そりゃみんなそうだね。こんなに暑いしまだ学校は休みにしてても良かったのにーとか思うよ。」


茉莉「分かる。後3年くらいあってもいい。」


こころ「3年!ふふ、規模大きすぎない?」


茉莉「それくらい休みが恋しいね。」


こころ「でも分かるなぁ。休みたいよね。」


茉莉「あれ、三門さんって結構休んでないっけ?」


こころ「しー、それ以降は立ち入り禁止エリアだぞー?」


茉莉「ありゃりゃ。」


こころ「ま、気が向いた時と出席日数がやばい時にしか来ないから、まちまちって感じ。」


茉莉「言っちゃうんだ。立ち入り禁止は?」


こころ「さっき開通したんだよー。」


茉莉「なあんだ。にしてもいいなぁ。」


こころ「ん、何が?休んでること?」


茉莉「うん。でも多分、色々あるんだろうなとも思う。不謹慎だったかも、ごめん。」


こころ「あ、いーのいーの!謝んないでー!実際サボってるだけだし。」


気さくに笑いながらそう言っていた。

この気持ちの余裕さに甘えて

茉莉も少しだけ笑う。


実際、休んでること自体には

いいなと思うことはある。

ただしその背景に目を向けて見れば

直視したくないようなことだってあるはずだ。

いじめられて…と言うことがなくとも、

何かしら理由か、考えがあるのだ。

何も考えず、流されるままで生きている

茉莉のような人であれば、

普通という言葉を盾に

学校に通い続けるのだから。

それが正しいと信じて疑わず

多数に流れていくのだから。


こころ「夏休みが終わっちゃったなんて全然信じられないなあ。」


茉莉「今学校にいるのに?」


こころ「だからこそって言うのかな、こう、夢の中にいるみたい。」


茉莉「そっかぁ。茉莉にとっては夏休みが夢みたいだったな。」


こころ「あはは、どっちが夢なんだろうね。」


そういえば胡蝶の夢というものが

あったなと脳裏をよぎる。

実際、今こうして三門さんと話しているのは

夢だったりして。

歩いて、話して、笑って。

この全てが妙に記憶に残り続けている夢で、

本当の世界は眠っているあの一瞬で

溶けてなくなるあっち側だったりして。

…なんてことを昔も考えたことがあった。

今辛いのは夢で、

眠っている時に見た幸せな世界が

現実だったんじゃないかって。

どこからが夢でどこからが現実なのか

誰も知らないんじゃないかって。


茉莉「さあ。」


こころ「あーあ、みんなで出かけたかったなぁ。」


茉莉「家族と?」


こころ「あ、んーん。7人みんなで。」


茉莉「あー。」


こころ「でもさ、悠里は怪我してたし澪は澪で家の事情があったっぽかったし…。」


茉莉「篠田さんね、そーだよね。」


こころ「あれ、知ってるの?」


茉莉「言ってなかったっけ。茉莉の家にも泊まりにきたよ。」


こころ「そうだったんだ!まあ、姉妹喧嘩とはいえ家出までするってなかなかだよね。」


茉莉「まあね。茉莉もにーちゃんと喧嘩したことあるけど、そこまでじゃなかったし。」


こころ「お兄さんいるんだ!いくつ上?」


茉莉「今大学3年生だから…6くらい?」


こころ「へえ!少し離れてるって感じなのかあ。」


茉莉「まあね。」


適当な言葉で流しておく。

別ににーちゃんの話は

流しておいてもいいだろう。

聞かれなければ答えなくていいんだし。


茉莉「三門さんって兄弟いるっけ。」


こころ「うん、いるよー。お姉ちゃんが1人。」


茉莉「へえー。可愛い物好きそう。」


こころ「それがさ、聞いて驚いてよ。無彩色系の服ばっかり着てて、どちらかというとストリート系なの。」


茉莉「え、意外。」


あまりに淡白な声が出る。

本当に意外だと思っているのに、

茉莉の感情の起伏があまりないせいか

感心しているように聞こえなかった。

けれど、三門さんには

そう聞こえなかったのだろうか。

目を輝かせながら語った。


こころ「でしょ!でも身長小さくて、スキンケア頑張ってるわけでもないのに肌の調子いいの。いいなぁー。」


茉莉「三門さん、背高いもんね。」


こころ「そうなの。僕も150cmくらいになりたいな。」


茉莉「えー、足長くて綺麗だし可愛い服も映えると思うけどな。それにちっちゃいと大変だよ。」


茉莉は高校生になって

何とか平均身長くらいまで伸びたけれど、

中学2年生の時は

140cm程度だった記憶がある。

前にならえ、をいつも先頭で

やっていたっけとぼんやり思う。

ゲーム仲間にも

「ちっちゃくて可愛い」なんて言われたっけ。

茉莉自身可愛げなんてなくて、

髪も短いし愛想ないし、

むしろボーイッシュ側だと思っていたから

その「可愛い」に違和感があった。

今となっては身長で

可愛いと言われることはなくなった。

電車で埋もれることもなくなった。

茉莉は案外成長しているようだった。


こころ「小さかったら小さいなりの苦労があるってわかってるけど、それでもないものねだりしちゃうんだよね。」


茉莉「分かる。茉莉ももっと身長ほしい。」


こころ「僕たち、入れ替わったらちょうどかも?」


茉莉「くふふ、そうかもー。」


ないものねだり。

それが妙に茉莉の感情に刺さっていった。


ないもの。

たくさんある。

欲しいもの。

ないと思いたくてないと言い続けてる。

でも本当はきっとたくさんある。

全てを諦めているから、

それを見つけづらくなっている。


茉莉はわかってる。

そのことに気づいてる。

気づいて、あえて目を伏せてる。


だって、欲しいって心に気づいちゃったら

これから先ずっと、もっと傲慢になる。

あれもこれも、とないものをばっかり

欲しがるようになってしまう気がする。

そうなるのが怖くて、

現状に満足するようにと

自分自身に暗示続けてきた。

全てを諦めてきた。

そっちの方がいいと思ったから。


三門さんはふらりと

体重を右足から左足に移した後、

ふんわりと花のように笑った。


こころ「…って、長く引き留めすぎちゃったね。そろそろ戻ろうかな。」


茉莉「次の授業何ー?」


こころ「僕?英語だよー。」


茉莉「うげえ。」


こころ「茉莉は?」


茉莉「数A。」


こころ「わあ、もう懐かしい響きだ。お互い頑張ろうね。」


茉莉「うん。じゃあまたね。」


こころ「うん!ばいばい。」


彼女は緩やかに手を振って、

そのまま背を向けて歩いて行った。

階数も違うのに茉莉に

会うためだけに来たのだろうか。

…。

ありがたいと思うと同時に

不思議に思うことしかできなかった。

茉莉にそんな価値、ないけどなぁ。

少しばかり伸びた髪を

くしゃ、と掻いた。

それから人気の少ない方へと

何となく散歩がてら歩く。


茉莉「…。」


茉莉は4月にがらりと変わった、

またはいつも通りの生活を送り続けた。

何かが大きく変わったことなんて

茉莉自身にはあまりない。

ただ、環境が少し異なっていた。

例えば、Twitterのフォローやアイコンが

おかしくなっていたこと。

例えば、茉莉が曲を作っていて

音楽グループに属していたこと。

例えば、見知らぬ6人と

少しだけ密な関係でありそうなこと。

そう言った意味で大きく変わった。

しかし、実際のところ

起きて食って学校に行って帰って寝る、

このルーティンが変わったわけでもなく

いつも通りの日々だった。


いつも気怠げでやる気がなく、

流されるままに宙ぶらりん。

適当にfpsゲームをやっては

勝ったり負けたりして小さく一喜一憂。

時ににーちゃんと

くだらないことで笑ったり

学校の友達と駄弁ったりしながら

それとなく生きている。


幸せではあるのだろうけど、

側から見たらうまく生きてるように

見えるのだろうけれど、

ひとつだけ心の奥底で

引っかかり続けているものがある。


それはー。


その時、ふと1人の

女子生徒が隣を通りかかった。


お団子を左右にしていて、

そこから長くツインテールのように

髪の毛が垂れている。

茉莉よりも背が高い。

でも、ついさっきまで一緒にいた

三門さんよりは少し低いくらい。

整った顔立ちで、

出るとこは出ていてスタイルがいい。

その割に愛嬌のなさそうな

鋭く冷たい目つき。

全てに敵対心を抱いているようなー。


茉莉「…っ!?」


すれ違ったのなんて

ほんの数秒でしかなかったのに、

視界に入ってから彼女から

目を離せなくなっていた。


はっとして息を呑む、息を止める。

自然と足すら止まった。

どくんどくんと脈は跳ね上がり

心音が聞こえてくる。

耳からその音が漏れてしまいそうなほど

体の感覚がおかしくなったような

気すらしてくる。


あの目、あの髪型。

一致する。

全部が一致してしまう。

それから、冷ややかな声で。





°°°°°





「迷惑。」





°°°°°





たった一言だけしんと

記憶の奥底で佇んでいる。

他にも色々と言われたけれど、

それだけは特に色濃く残っていた。


茉莉が迷惑をかけないようにと

頑張って身につけた術の結果

この言葉を言われたのだ。

それ以来、何が正解なのか

ちっともわからなくなった。

いや、それ以前に正解が

わかっていたかと言われれば

そうではないのだけど、

より一層深い森の奥に迷い込んだような、

将又海の底に沈んだような感じすらした。


その人は、中学時代の同級生である

渡邊さんだった。

名前を、何と言ったっけ。

随分と神秘的だなあなんて

思った気がするけれど。


ゆっくりと振り返ると、

そこには少しばかり距離を置いて

こちらを見ている彼女がいた。


ぞく、と背筋が震える。

いじめられたわけでもなく

その後深く関わりがあったわけでもない。

たった一言言われただけ。

それなのに、反射的に

ぴくりと肩が震える。

怖いのだろうか。

怯えているのだろうか。

それとも、怒っているのだろうか。


相手も茉莉に気付いては

ゆったりとしたペースで

こちらに向かって歩いてきた。

刹那、酷く甘い香りが

あたりに立ち込める。

強い香水でも使っているのだろう。


渡邊「…。」


何かを言うわけでもなく、

茉莉の前に立ちはだかっては

無言で見下ろした。


こくりと生唾を飲み、

小さく口を開いた。


茉莉「…同じ…高校だったんだ。」


渡邊「国方さんって頭いいイメージないけど。」


茉莉「受験期頑張っただけ。」


渡邊「ふうん、そ。」


茉莉「それを言うならそっちだって。」


渡邊「…。」


茉莉「だって、噂」


渡邊「それと学力、関係あんの?」


確かに、と思い閉口する。

あの噂は実際のところ

本当なのかどうかはわからない。

…限りなく事実だろうけど、

茉莉がそれを見たわけじゃない。

……もやもやし続けている。

できるのであれば

こうして対峙したくなかった。


渡邊「はあ。」


茉莉「…。」


渡邊「いいよねえ、あんたは幸せそうで。」


茉莉「…。」


渡邊「何の苦労もなく進学して、のうのうと学校生活送って。」


茉莉「…。」


渡邊「そういう幸せを幸せだと感じれない人、大っ嫌い。」


彼女は茉莉に顔を近づけ、

きっ、と睨んでそう言った。

香りが強くなる。

何でこんなものを

身に纏っているのか。

噂も含めれば、それが分かるような気がした。


渡邊「じゃ。」


茉莉「待って。」


渡邊「…はあ?」


茉莉「噂は…本当だったの?」


渡邊「だったら何?あんたに関係ある?」


茉莉「…知りたいだけ。」


渡邊「興味本位で突っ込んで楽しい?うちは不快。」


茉莉「…っ。」


渡邊「空っぽは空っぽなりに頑張ってるんだろうけど、その興味の持ち方はうざいよ。」


茉莉「…そうじゃなくて。」


そうじゃない。

もし噂が嘘なのであれば、

茉莉はまだ彼女に対しての

見方を変えられるような気がして…

…そんなの、言い訳か。

彼女の全てを否定したいわけじゃない。

受け入れられないところが

あるだけで…そう思いたいがために

聞いただけなのだ。


人を嫌うのよくないから。

だから。


そう頑張って近づこうとしたって

結局みんな茉莉のことは

置いていくのに。


渡邊「ほんとうちら、合わないよねー。」


それを最後に、ふと背を向けて

歩いて行ってしまった。

周囲の人がちらとこちらを

見ているのがわかった。

それは茉莉のこともそうだが、

主には彼女の方だった。

夏なのに薄いカーディガンを

ややはだけさせながら

着ているその背を眺む。

…もし、高校でも噂が流れていたら。


また彼女は不登校に

なってしまうのだろうか。


茉莉「…。」


不登校が悪いことではない。

三門さんを見ていると

そう思えるようになった。


だけど、塞ぎ込んで欲しくない。

…こんな善良そうに振る舞わなくても

いいのかもしれない。

八方美人なんてさっさと辞めて

興味のない人間は切り捨てるくらいの

気持ちを持てるようになりたい。

それこそ、本当の意味で

諦められるようになりたかった。


茉莉「…。」


とた。

ひとつ足音を鳴らす。


けれど、諦めきれないものが

ひとつだけあった。

ひとつ、引っかかり続けているもの。

ある意味呪縛で、ある意味大切なもの。


それは今すぐに目を向けなくなって

いいのかもしれない。

願っていることを叶えようとすら

あまり思えない。

もしたまたま起こってしまった時に

目を向けることにしようと思う。

それか、不意にその記憶を

思い出した時にでも。


茉莉「…今はいいや。」


自分に言い聞かせるように

小さく小さく呟いた。

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