季節は巡り、夏はやがて終わる。

そのひとつの節目は

8月が終わることだと思っていた。

たとえまだまだ1ヶ月くらいは

暑い日が続くとは言え、

8月が終わった途端に夏も終わり、

秋がやってくるという認識は強い。

制服の襟を摘んで

ぱたぱたと仰ぎながら

そんなことを考えていた。


結華「…。」


教室は相変わらず賑やかであり、

約1ヶ月空だった教室とは

思えないほどに話し声で満ちている。

今週の月曜日から学校が始まり、

早5日が経ようとしていた。

数日経てば夏休みの話や

宿題の話をする生徒も極端に減り、

今度は定期試験に

向けての話が増えてくる。

まだ高校1年生だからか、

受験や就職といった話は

ほぼ出てこなかった。

人によってはオープンキャンパスに

足を運んだのだろうかと

思案しながらペットボトルを傾ける。


ふと思い立って

隣の教室に向かうことにした。

ほんと、ただの気まぐれ。

少し悠里の様子を見にいくだけ。

からからと鳴った椅子の音は

夏の名残があるとは言え

随分と乾いているように聞こえた。


ちらと悠里のいる教室を眺む。

席替えをしたようで、

ついこの前まで廊下側の席だったのに

窓側の方へと移動している。

1人で何かをしているようで、

ずっと机に向き合っていた。

もしかしたら勉強を

しているのかもしれない。

…はたまた……。

…。


「ねー、悠里ちゃーん」


「何してんの、お勉強?」


遠くだというのに、

何故か頭にきいんと響く彼女たちの声は

耳元で囁かれているのではないかと

思うほどにはっきりと聞こえてきた。

前まで悠里と仲良くしていた

…一緒になって

いじめをしていた3人だった。


結華「…。」


一緒になって、とはどんなに甘い響きだろう。

実際のところ、悠里が引き入れたのだ。

そんなこと見ていればわかる。

悠里のやることなすことに

引いている節があった。

それでも彼女の、悠里の権力は

強かったのだろう。

弱みを握られていたのか

あの3人は最後まで歯向かってこなかった。


それが今…。


悠里「えっと…」


「今日も時間ある?」


「ってかあるよね。うちら友達だし。」


悠里「でも、部活が…」


「そんなん休んだらいいじゃん。」


「友達の誘い断るとかノリ悪くない?」


「そういってこの前までうちらのこと誘ってたの、悠里だからね?」


悠里「……。」


「…よしっ、おっけーってことでー。」


「じゃあいつものところでよろしくー。」


悠里「……っ。」


それが今、悠里の記憶障害をきっかけに

逆転してしまったのだ。


悠里はさっき見た時と同様に俯いており、

悔しそうにペンを握りしめては

また書き出していた。

彼女たちに対抗する方法は

勉強していい大学に行って

関係を断つことだと踏んだのだろうか。

より一層必死になって

机に齧り付くように前のめりに

なっているように見えた。


クラスではそれを

黙認している雰囲気がある。

第一に自分がターゲットになるのが

嫌だと思っているのだろう。

姉妹とは言え、私だってそう思う。

悠里の時は陰湿に、影でいじめを

行っていたことに対して、

今回はクラスを巻き込んだ

大きないじめと化している。

善良に見えていた悠里が

こんなことをされていても

誰もが黙っている理由。


それは、悠里が復帰して以降

すぐに流れた噂のせいだった。

すぐ後ろでひそひそと

生徒たちが話す声が聞こえる。


「ほら、あの人。」


「あ、槙さんの姉の方?」


「そう。その子がやばかったらしくって。」


「聞いた聞いた。いじめてたんでしょ。」


「何人も手出してるらしいよ。」


「被害者側はなんで誰も告げ口しなかったんだろ。」


「さあ。口止めされてたんでしょ。」


「全部噂ってだけだったりして。」


「でもいじめられてた子、今生き生きとしてるしさ。その子が証言してんだよ。」


「記憶なくしたからもういじめられることないし、本当のこと言っても大丈夫だからかあ。」


「そ。これまで我慢しててーって先生の前でわんわん泣いたんだってー。」


「そりゃ怖いよねー。」


そっと目を閉じてからすぐに開き、

噂話が通り去った後に

私もすぐに教室の方へと戻っていった。

悠里に話しかけることも

手を差し伸べることもせずに。

ただ1人、見捨てるようにして。


悠里がこの後どのような目に

遭うのだろうか。

そんなことは容易に想像できる。

初日から3日間ほどは

長く一緒に行動するようにしていたが、

つい昨日からそれを少しずつやめた。

悠里もずっと私にくっつかれていると

いつしか鬱陶しさを感じたり

逆に気を張ったりする部分が

出てくるだろうから。

それに、せっかく友人が

できるかもしれない

このタイミングを潰すわけにも

いかないと思ったから。


しかし、案の定これだ。

大方予想はついていた。

何せ、私が見かけたのは1、2人だが

それより多くの人に

いじめをしていたに違いないのだから。

噂とは言え悠里のしたことについては

ほぼ事実であるものであり、

報復と言ってもいいだろうそれは、

当然待ち受けているものだった。


昨日は部活には遅くやって来て、

膝を擦りむいていたっけ。

明らかに悠里の態度も

異なっていたし、

すぐに誰かからされたことだと直感した。

外で突っぱねられでもしたのだろう。

水をかけられでもしたら

流石に休んでしまうのだろうか。

それとも、びしょ濡れのまま

部活に顔を出しては

「何もない」と言い、

トランペットを持とうとするのだろうか。


昨日の帰り道でも家でも

彼女は「何もない」と言った。

まるでこれまでのよう。

蓋した記憶の底でどうしても

思い出してしまうものがあった。


「あ、結華おかえりー。」


教室に戻ると、前の席の子が

私に向かって緩く手を振った。


「また悠里ちゃんところ?」


結華「ううん、ちょっとお手洗いに。」


「えー、絶対悠里ちゃんところじゃーん。」


結華「確かに隣の教室だし前は通るけど。」


この子は悠里の噂に対して

どう思っているのだろう。

悠里の過ちを信じるのか、

悠里の善良な態度を信じるのか。

それをあえて問うこともせず、

心ここに在らずのまま話をした。


…。

…。

私は、悠里が確と

いじめられている場面を見ても

きっと止めないだろうと思う。

それは、悠里が重ねて来た罪を

ここで精算するべきだと

思っているからかもしれない。

はたまた、いじめっ子側だった悠里を

急に助けるなんて、私が見過ごした

悠里にいじめられていた子に対して、

一種の罪悪感を抱いているからかもしれない。

またはもっと単純に

自分がターゲットになりたくないだとか、

いじめっ子との共通点があるように

思われたくないだとかかもしれない。


悠里の罪は、どうすれば良かったのだろう。

無くなることなんて今後一切ない。

起こってしまったことはもう2度と

なかったことにはできない。

記憶を失って精算できたか。

否、逃げ切ってしまったのではないか。

彼女は今、身をもって

過去の自分の凄惨な行動の責任を

感じているのではないだろうか。


これも全て上の指示の通りだとすれば、

彼女は喚くのだろうか。

受け入れるのだろうか。


…。

悠里は…。


結華「…一応家族だし。」


「あ、認めたー。まあ事故後だし記憶喪失だし、心配だよね。」


結華「…。」


ふと思う。

悠里は、罪を重ね続けていないか。

それと同時に、罪を重ね続けているのは

私ではないか、と。


夏前の私には

いじめを止めるという考えも

意志もなかったのだから。


結華「…まあね。」


曖昧に肯定して、また記憶に蓋をする。

悠里がいじめられていることを

見なかったことにするのだ。


…きっといつか正面から

退治しなくてはいけない問題だ。

けれど今は、指示がない。


静かに指の間に爪を食い込ませた。

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