晩夏を停む現実
PROJECT:DATE 公式
新学期
目まぐるしい日々の中、
私は何とか今日まで
たどり着いていました。
蝉の声もだいぶ少なくなり、
8月の頭あたりに比べると
多少涼しい日が増えてきたようにも思います。
1度足を止めて、
大きく深呼吸をします。
隣では私に合わせて
足を止めてくれた
結華の姿が目に入りました。
結華「緊張する?」
悠里「うん。そりゃあ…。」
結華「学校に行ってた時の記憶もないんだもんね。」
悠里「そう…だから初めて行くみたいな感じがする。」
結華「感覚的に残ってないの?この通学路通ってたなぁ…とか。」
悠里「学校に行ってた…んだろうなってくらい。全然はっきりとはしてなくって、ずっとずっと奥まで靄がかかってる感じ。」
結華「そうなんだ。」
かつん。
結華は小石を数センチだけ
蹴り飛ばしていました。
結華も結華で落ち着かないのでしょう。
朝からそわそわとしているようでした。
結華「何かあったら言って。」
悠里「うん。」
結華「多分、色々あると思うから。」
私が退院してから初めての登校日。
あれやこれやと聞かれることが
多々あるのでしょう。
それに加えて、有る事無い事を
言われる時があるかもしれません。
そのような時のことを
言っているのでしょう。
悠里「わかった、ありがとう。」
結華には助けられっぱなしです。
きっと昔の私もこうして
結華の優しさに助けられてきたのでしょう。
彼女は未だ小石を蹴ろうとしているのか
俯いたままでした。
再度歩き始めてからしばらくすると、
やっとのことで校門が見えてきました。
多くの生徒が同じ制服を着て
潜っていくのが見えます。
私も同じはずなのですが、
どうにも自分だけ遅れているような、
違う物質のように感じてしまって
気が進みませんでした。
それでも、結華に歩幅を合わせていると
いつの間にか門を通っていたのです。
何故でしょう。
結華はいつも以上に
堂々としているように見えました。
廊下を歩いていると、
刺さるような視線が痛みます。
教室まで一緒に向かい、
結華は「私は別の教室だからまた後で」
と言うのでした。
周囲の刺さるような視線と
全くと言っていいほど知らない場所に
放り込まれる感覚が奇妙で、
とぷんと不安に浸ります。
結華「毎授業の間に来るのは難しいけど、昼休みは来れるから。」
悠里「過保護すぎだよ。」
結華「初日だしね。3日間くらいは様子みようかなって思っただけ」
結華は教室のドア近くにいた生徒に
「ごめんけど悠里に席を教えてあげて」
と言ってくれました。
それを最後に、軽く手を挙げて
その場を後にする結華の姿を
ぼんやりと眺めました。
どうして双子は教室を
分けられなければならないのでしょう…。
「あ、槙さんの席、この列の3番目。」
結華から伝言をもらっていた彼女は
無愛想に、はたまた未知のものに
怯えるような動きで
1番廊下側の列を指差しました。
悠里「…ありがとう…ございます。」
どう接したらいいのか分からず、
無意識のうちに敬語で返しました。
随分と動転しているようです。
席については、もう1度深く
息を吸いました。
始まるんだ。
始まってしまうんだ。
緊張と高揚感は表裏一体なのでしょう。
手からは理由もわからぬ汗が
噴き出していました。
***
授業は、はじめだからでしょうか、
楽しく受けることができました。
むしろ、時間があっという間に
過ぎ去ったくらいです。
しかし、大変なのは
その都度ある休み時間でした。
一定数、こちらを見ては
ひそひそと話す人がいました。
かと思えば、急に話しかけられては
「本当に記憶ないの?」と問われたり、
「猫被っているだけなんじゃないか」と
茶化されたりもしました。
しかし、何度かそのやりとりを
繰り返しているうちに、
私が事実しか言っていないと
段々感じてきたのでしょう。
最後の方は夏休みの間どうやって
過ごしていたかだとか
いつ退院したのかだとか、
私が答えられる内容になっていきました。
途中、記憶が無くなる前まで
親しくしていた人たちかと
思っていたのですがそうではないらしく、
事故前仲が良かったのは
教室の隅でずっと不満げに
スマホをいじっている
3人組だったそうです。
それとなく違和感を感じるも、
質問攻めが終わることもなく
休み時間は終わっていきました。
気づけば15時を指す時計が目に入ります。
放課後になるのはあっという間でした。
悠里「はぁ…。」
結華「悠里。」
悠里「あ…。」
隣に設置されていた窓から
結華が覗き声をかけてくれました。
その顔を見ただけで
酷く安心するのでした。
結華「疲れてそうだね。」
悠里「いろいろと聞かれて…。」
結華「まあ、そりゃそうだよね。」
悠里「この後、一旦職員室だっけ。」
結華「そう。入部届出したいから。」
からりと鞄を肩にかけ直した
結華がそう言いました。
言葉は決して多くはなく、
2人で職員室に向かいます。
賑やかな喧騒がどんどんと
遠ざかっていくたびに、
私は人間という存在そのものから
離れてしまっていくような、
化け物に似た何かに
なっていくのではないかと
不安がよぎります。
しかし、隣を見てみれば
結華は普通に歩いているではありませんか。
結華も人ではないような、
はたまた人の模範であるかのような。
不思議な感覚に陥っていくのです。
職員室に入って早々、
結華は物おじすることもなく
吹奏楽部の顧問の
先生の元へ向かいました。
いくつもの机の中から
よくぱっと見つけられるなと
ぼんやり思っていたのですが、
もしかしたら私が入院している間に
色々と先生に連絡していたのかもしれません。
その際に、何度か
先生のデスクの元へと
向かったのであれば納得がいきます。
結華「先生。突然すみません。」
先生「ああ、槙さん。あら、2人とも揃ってるのね。退院おめでとう。」
悠里「あ、ありがとうございます。」
結華「悠里は今日から部活に戻る予定です。」
先生「良かった。わざわざ伝えにきてくれてありがとね。」
結華「それと、これを。」
そう言って結華は
入部届を両手で丁寧に
提出しました。
あらかじめ担任の先生から
紙を受け取っていたのでしょう。
ボールペンの字はしっかり
丁寧に書かれているものの
丸っこさの残る可愛らしい文字でした。
先生「え。」
結華「入部します。」
先生「…わかりました。部員が増えるのは嬉しいことですからね。」
きっと部費がより降りるとか、
欠けたパートを補えるとか、
色々あるのでしょう。
先生は少しばかり気まずそうな
顔をしていましたが、
承認してからは笑顔でこちらを眺めました。
先生「悠里さんのこと、よろしくね。」
結華「はい。」
先生「悠里さん。音楽は音を楽しむものだから、とことん楽しんでね。」
悠里「…!はい。」
先生「じゃあ、少ししたら先生も向かいますから、先に行っていてください。」
頬に皺の刻まれた顔を
くしゃっとさせて笑っていました。
その笑顔に何だかほっこりしてしまい、
ようやく胸を撫で下ろせました。
戻ってきてもいいよと
言われたような気がしたこと。
そして、結華を受け入れてもらえたこと。
その全てが丸く治ったように思えて
心底安心したのです。
結華「いい先生だね。」
悠里「ね。良かった。」
音楽室のある音楽棟に向かいながら
そうこぼしました。
放課後の音楽棟は随分と賑やかでした。
それこそ、授業と授業の間の
休み時間ほどには人の話し声で
溢れているのではないでしょうか。
音楽科もある高校とのことで、
設備は大層整っていました。
結華は慣れたように歩いていきますが
私は周囲を見渡しては
小さく簡単を漏らします。
音楽室に入ると、
既に準備を始めていた数人が
こちらをばっ、と振り返って見ます。
あまりの統率の取れた動きに
ぎょっとして肩を縮めました。
それから何事もなかったかのように
また準備が進みます。
リボンのカラーが違う人が
こちらにとてとてとやってきました。
「こんにちはー。」
結華「こんにちは。今日から悠里はまた部活に参加できますので。」
「そうなんだ!あぁ、良かったー…。」
結華「あと、入部することにしました。」
「…え、入部!?ほんと!」
結華「はい。」
「わあ、嬉しい!ねえみんな、入部だって!」
すると、数人がわあっと声を上げた。
無反応の人も多かったけれど、
それが集団というものだろう。
田崎「私、部長の田崎です。」
結華「槙結華です。よろしくお願いします。」
田崎「あ、双子の…!顔一緒だなーって思ったらそういうことかぁ。」
悠里「…あの…私、色々と忘れちゃってるみたいで…。」
田崎「うん、悠里ちゃんのことは聞いてるよ。楽器の吹き方はどう、覚えてそう?」
悠里「えっと……それも…。」
田崎「そっかそっか。大丈夫、今年の春始めた子も沢山いるし、また少しずつ覚えていこう?」
悠里「…はい!」
田崎「妹ちゃん…えっと、結華ちゃんね。結華ちゃんは楽器経験ある?」
結華「ないです。」
田崎「おっけー、そしたら、やりたい楽器とかは?」
部長と結華が話しているのをよそに
ちらと部室を見回します。
ある程度準備が済んできたのか
椅子が並べられていました。
結華があれこれと話しているのを
見てていると、やはり自分は
どこか疎外されているような
気分になるのでした。
田崎「じゃあ悠里ちゃんはトランペットパートのところ行ってみて。一応パート長に連絡しとくから。」
悠里「はい。」
教わるがままに普段
トランペットパートが
集まるらしい場所へと向かいます。
結華は楽器を選ぶようで、
ここでお別れになります。
最後に全体で集まって吹くようですが、
私たち2人は見学になるとのことでした。
それもそうでしょう。
何せ楽器がほぼできない2人なのですから。
指定された廊下には
一定区間をあけて
トランペットを吹いている人が
並んでいました。
こちこち、と小さい機械から
メトロノームがなっています。
「あ、槙ちゃーん!」
部長と同じリボンの色をした人が
こちらに飛んできてはぎゅっと
全身を包むようにハグをしました。
何が起こったのか分からず
しばらく固まっていると、
先輩であろうその人は
ぱっと離れました。
「大変だったんだって?部長や周りの子から聞いたよー。」
悠里「あはは…まあ…。」
「あ、私パートリーダーの相良。」
悠里「相良…先輩。」
「うん。…あはは、なんか変な感じするね。」
先輩は照れくさそうに
そう言いました。
きっと、知っている人にもう1度
自己紹介することに
擽ったさを感じているのでしょう。
「とりあえず、槙ちゃんの分のトランペットは持って来てあるからさ。1回吹いてみてよ。」
悠里「え、でも…私」
「大丈夫。吹き方も忘れちゃったことは聞いてあるから。一応体験と思って、ね?」
相良先輩はそう言って
近くに置いてあったトランペットの
ケースを渡してくれました。
今日は初日ということで
自分の楽器は持ってこなかったのですが、
明日以降は自分のものを
持って来たほうがいいのかもしれません。
家で何度も練習したようにするだけ。
そうは思いながらも、
相良先輩以外の部員の視線が
時折私に向いていることがわかります。
変な汗をかきながらトランペットを
ゆっくりと構えました。
相良「いいよ。」
相良先輩は作業していた
自分の手を止めて静かに言います。
どくどくと心音が鳴る中
すっ、と息を吸いました。
そして。
ぴゎー。
練習した割には随分と
か弱い音が空気を響かせました。
相良「うん、うん。なるほどね。」
悠里「…その、ごめんなさい。」
相良「うん?」
悠里「吹き方も忘れてしまって…。」
相良「別に、事故自体は槙ちゃんが悪いわけじゃないんでしょ?なら謝る必要なし。」
悠里「…。」
相良「また戻って来てくれただけで十分だよ。」
悠里「…ありがとうございます。」
私の人生はやり直し。
もう1度ここから始まるのでしょう。
未だ残る夏の影。
先輩や先生が優しくて良かったなんて
安堵しながらも、
同級生たちの射るような視線に
気づかないふりをしたのでした。
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