第2話 折り本との出会い
海老名先生に煙草を吸ってるのを見つかってから数日後、音楽の授業で音楽室に行く途中で、海老名先生と合流した。俺のクラスの音楽担当は海老名先生なのだ。
音楽室に向かいながら、海老名先生に訊ねる。
「先生、もし俺が煙草預かっててって言ったら、預かっててくれる?」
すると、海老名先生はにこりと笑ってこう答える。
「東大島君がそう言うのであれば、預かりますよ」
「そっか。じゃあ先生が持ってて」
俺はポケットからまだ半分以上中身が入っている煙草の箱を出して海老名先生に渡す。
「これは、卒業するまでお預かりするということでよろしいですか?」
「うん。そう」
「わかりました。お預かりします」
海老名先生は俺から受け取った煙草の箱を、着ているスーツのポケットに丁寧に入れる。
でも、そうは言っても、俺はまだ一年生だし、卒業する頃までにはさすがに海老名先生も忘れてるだろうな。
今日の音楽の授業はすこし退屈だった。
海老名先生自体は面白い人だとは思うけれども、授業内容が面白いかどうかはまた別問題だ。これこそ、因果関係がないってやつだろう。
眠気を堪えて音楽の歴史の話を聞いて、ふと、海老名先生が話題を変える。
「それでは、そろそろ今日の授業も終わりです。
今日は最後にすこし関係ないお話でもしましょうか」
なんの話だろう。そう思って顔を上げると、海老名先生はスーツのポケットから小さな薄い本を出して俺達に見せる。
「これは折り本というものなのですが、一枚の紙で組み立てられる簡易的な本です。
簡単に作れるので、もし興味のある人は、こういったものを作ってみても面白いかもしれませんね」
あの本が一枚の紙からできてる? 本がそんな風に作れるはずがないと思っていると、海老名先生は持っていた折り本というやつを広げてみせる。
思わず驚いた。本当に、一枚の紙からできていたのだ。
なにをどうしたらあれが本になるんだろう。すごく不思議で、すごく気になって、その後昼休みになるまで他の授業は上の空だった。
昼休みになって、購買にパンを買いに行くついでに職員室に行った。職員室のドアの前ですこし緊張したけど、思いきってドアを開ける。
「すいませーん。海老名先生いますか?」
俺がそう言って中を覗き込むと、先生達が怪訝そうな顔で俺を見る。なんの用があるのかと言った感じだろう。
そんななか、海老名先生は軽く手を上げてにこやかに返事をしてくる。
「ここにいますよ。何かご用ですか?」
他の先生のことは無視して海老名先生のところまで行く。海老名先生は随分とかわいらしいお弁当を机の上に広げていた。
お昼ごはん中に悪かったかなとちょっと思ったけど、お昼休み以外に来るタイミングを図れそうになかったので仕方がない。俺は早速、海老名先生に用件を伝える。
「あの、折り本ってやつの作り方を教えて欲しいんですけど」
その言葉に、海老名先生はにっこりと笑って机の上にあったプリントを折りはじめる。
「作り方は簡単です。こうやって八等分に折って、真ん中にはさみかカッターで切り込みを入れて、本の形にするだけですよ」
海老名先生は手際よく、折った紙にはさみで切り込みを入れて、紙を折り本にしてしまった。
「え、すごい! ありがとうございます!」
すごい、本当にこんな簡単に作れるんだ。
思わず感心しながら見ていてふと気づく。先生が折り本を作ったプリントは……
「先生、それ、切っちゃってよかったやつですか?」
俺がそう訊ねると、海老名先生はきょとんとしてから折り本のサンプルを開いて、ぽつりと言う。
「……よくなかったやつですね」
「うん……」
やっぱりだめなやつだった。
でも、海老名先生はまた刷り直せばいいと言ってにこりと笑った。
海老名先生に折り本の作り方を教わって、俺は早速折り本を作ってみた。こんなことをするのははじめてだから、ノートのページを一枚切って、手書きで内容を書いて作った、なんだか不細工な折り本だ。
でも、いざできあがってみるとなんだか、なんとも言いがたい気持ちになった。
数日の間、家にいる時にこっそりひとりで眺めているだけだったけれども、誰かに見て欲しいという気になって、そうだ、海老名先生に見せようと思い立った。
また昼休みに購買でパンを買った後、職員室にいる海老名先生のところに行き、折り本を見せた。
「作ってみたんですね」
「そうなんです、それで、あの」
自分で読み返してもすこし恥ずかしくなる詩が書かれた折り本を誰かに見て欲しかったと言えずにいると、海老名先生はじっくりと折り本を見てにこりと笑う。
「とても良いです」
「え?」
思わず耳を疑った。だって、こんな不細工な折り本を、良いなんて言ってもらえるとは思ってなかったのだ。
つい戸惑ってしまう俺に、海老名先生はもっと具体的にこう言ってきた。
「この折り本の詩は、東大島君が考えて書いたものですよね?
ちゃんとあなたの言葉で、あなたの感じたことが書かれていて素敵だと思います」
「あの、でも、ノートの切れ端だし、手書きだし……」
顔どころか耳まで熱くなるのを感じる。
たしかに、俺からすればはじめて作ったこの折り本はとてもかわいいけど、でも、他の人に褒めてもらえるなんてこと、全然期待してなかった。
書いてある詩だって、本当は詩なんでいえるほど立派なものじゃない。なんとなく書きたくなったことを、そのまま書いただけだ。たしかに、なにを書くかを考えはしたけど、でも、素敵と言われるような内容だなんて……
まっすぐ海老名先生のことが見られなくて、ついつい俯いていると海老名先生は何度も折り本を捲りながら話す。
「たしかに、作りとしては拙いかもしれません。
正直言えば、コピー用紙のようにしっかりと裁断された紙を使った方が、とも思います。
でも、あなたがはじめて作ったこの折り本は、こなれた人が作るものにはない素朴さがあります。
そんなところも、とても素敵ですよ」
なにも言葉を返せない。返せないまま手を差し出すと、海老名先生はその手に折り本を乗せてくれたので、急いで手に取ってポケットにしまった。
「あの、その、ありがとうございました」
お礼を言って頭を下げて、急いで職員室を出る。
職員室のドアを閉める前に、倫理の先生の声が聞こえてきた。
「海老名先生、また生徒に余計なことを吹き込んだんですか?」
その言葉にむかついて、思わず乱暴にドアを閉めてしまい、すぐにまずかったと思う。こんな乱暴にやったりしたら、それこそ海老名先生が悪いことをしたんだと他の先生に思われてしまう。
それでも、むかついたものはむかついた。早足で教室に向かっていると、他の生徒が俺のことを避けながらすれ違っていく。余程機嫌が悪そうに見えるのだろうし、実際悪い。
海老名先生と話してるときはあんなにうれしかったのに。
あんなふうに褒められるのがはじめてでうれしかったのに。
教室について自分の席について、パンを囓る前にポケットの上から折り本をさすって海老名先生の言葉を思い出す。
折り本、また作ってみようかな。
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