第25話 スプリングセミナー編二日目

 空に朝日が昇り始めた頃、三人の少女達が眠っている部屋に携帯電話のアラーム音が鳴り響いた。


「ユリ、アラーム鳴ってるよ!」


 リョウコが目を覚まし、隣のベッドで眠っているユリを揺さぶって起こそうとする。


「あれれ、もう朝なのね……」


 ユリは二つのベッドの間の物置きに手を伸ばすと、携帯のアラーム音を停止させた。

 そしてベッドから体を起こし、周りを見渡すと突然顔の色が赤く染まった。


「何で私がチカと同じベッドで寝てるの!?」


「もしかして昨日の事なんにも覚えてないの?」


「え、昨日? 確かアニメを見て、それからお酒を飲んで……その後の記憶が無いわ」


「説明するよりもこれを見てもらった方が早いかな」


 リョウコは自分のスマホ画面をユリに向けると、動画を再生した。

 画面の中には前日のユリがチカのベッドに侵入して眠りにつくまでの一部始終が映し出されていた。


「な、何よこれ……」


 動画を見たユリの顔は真っ青になり、全身を小刻みに震わせる。


「ユリがここまで酒に弱いとは思わなかったよ」


「私がこんな恥ずかしい言動をする訳がないわ! チカがお姫様なんて、そんなに思ってないんだから!」


「少しは思ってるんだね」


 ユリとリョウコが大声で話していると部屋の扉が開いた。

 そして、げっそりとした顔のレイナが部屋の中に入って来た。


「ただいま……」


「すっごいやつれてるけど、どうしたのかしら?」


「部屋に一つしかベッドが無かったから武田っちと一緒に寝たんだけど、武田っち寝ぼけて私の事をすごく強い力で抱きしめてきてさ、窒息するかと思ったよん! お陰で全然眠れなかった……」


「それは災難だったわね」


「ちょっと眠ってもいいかな」


 レイナは大きな欠伸をしながら言った。


「駄目よ! この後、朝のランニングがあるでしょ!」


 スプリングセミナーの二日目と三日目は早起きをしてランニングをしなければならない。

 これには、運動をする事で脳を活性化させて勉強を効率的に行えるようにするという目的がある。


「ほら、さっさと支度をして外に行こう」


「ちょっと待って! まだチカが起きてないわ!」


 三人がそれなりに大きな声で会話をしていたにも関わらず、チカは安らかな顔で眠り続けている。


「チカー! 起きてー!」


 リョウコがチカの肩を強めに叩いて大声で呼びかけるも、チカは微動だにしない。


「ユリ、お姫様は王子様のキスで起きるんだよ。ほら、さっさとキスして!」


「どうしてそうなるのよ! そもそも女だから王子様じゃないし!」


「ほら、つべこべ言わずにさっさとキスして! もし遅刻したら僕達全員が怒られるんだよ!」


「し、仕方ないわね……不本意だけどキスするわ。遅刻が嫌だから仕方なくキスするだけだからね!」


 ユリは眠っているチカにまたがると、自分の顔を近づけた。もう少しで二人の唇が触れ合うというその時、突然チカの目がぱっちりと開かれた。


「おはようございます。あれ? ユリちゃん、なんだか顔が近すぎませんか?」


「何でこのタイミングで起きるのよ! チカのおバカ〜!!」


 ユリの叫び声がフロア全体に響き渡った。


 






 生徒達はランニングのためにホテルの外に集合した。

 点呼をとり終わり全ての生徒が揃った事が確認されると、筋肉質の男性体育教師が話を始めた。


「健全な精神は健全な肉体に宿る! という訳でお前達には朝からランニングをしてもらう! だがその前に、まずは目を覚ますためにラジオ体操だぁ!」


 体育教師がラジカセの電源を入れると、ラジオ体操の音声が流れ始めた。


「腕を前から上にあげて 大きく背伸びの運動

はい! 1、2、3、4、5、6」


 音声の指示通りに生徒達は体を動かした。


「長野の朝は寒いですが、こうして体を動かすと温かくなりますね!」


「ぜぇぜぇ……死ぬわ。これは余裕で死ねるわ」


「そんなに疲れてるんですか!? ラジオ体操ってそんなに息が上がるような物じゃないですよね!」


 ユリの身体能力が想像以上に壊滅的だった事に、チカは驚きを隠せない様子だ。


「ラジオ体操は終わりだ! 次はランニングだ! 一クラスずつ時間をずらして順番にスタートするぞ」


 一番最初にスタートするA組の生徒達は、ホテル近くのランニングコースのスタート地点に並んだ。


「もう無理よ。この状態でランニングなんて出来る訳が無いわ。体育なんて滅びれば良いのに……」


 既にラジオ体操だけで体力が尽きたユリは、これから走らなければならない現実を呪った。


「たったのニキロだから余裕だよ。僕は七分もかからずに走りきれるよ!」


「私はリョウコみたいな脳筋じゃないのよ! 一キロ走れるかすら怪しいわ!」


「安心してくださいユリちゃん。どんなに遅くても、私が一緒に走ってあげますよ!」


「本当!? ありがとう、チカ。本当に助かるわ!」


 絶望していた所に手を差し伸べられ、ユリは珍しく素直にお礼の気持ちを述べた。


「そろそろ始めるぞー。位置について、よーい、ドン!」


 体育教師が思い切り手を叩いたのを合図に、A組の生徒達はいっせいに走り出した。


「リョウコ、今日は私が勝たせてもらうよん!」


「僕に勝とうなんて一万年早いよ!」


 レイナとリョウコはものすごいスピードで他の生徒達を追い越し、先頭に躍り出た。


「レイナちゃん達は元気ですね〜。私達はゆっくり行きましょう!」


「ちょっとチカ……そのペース、速すぎる……」


 チカは最大限ゆっくり走っていたつもりだが、それでもユリには速すぎたようだ。

 二人はどんどんと追い抜かされ、遂に集団の一番後ろになってしまっていた。


「レイナちゃん達が見えなくなってしまいました!」


「もう駄目……リタイアしましょ」


「どんなに遅くても最後まで頑張りましょうよ! 私も最後まで付き添います!」


 チカに励まされ、ユリはどうにか足を動かし続けていた。

 

 しばらく走り続けていると、二人の後方からドドドと大量の足音が聞こえてきた。


「もしかしてB組の人達ですか!?」


 二人の速度があまりにも遅すぎて遅れてスタートしたB組に追いつかれてしまったようだ。


「ぶつかると危ないので、先に行ってもらいましょう」


 二人は道の端にそれるとB組の生徒達に先に進ませた。


「ユリちゃん、もう少しです! 頑張りましょう!」


 スタートしてから既に十五分近く経過した頃、二人の目の前にようやくゴールが現れた。

 ペースは最初よりかなり遅くなっており、もはや歩いた方がましなレベルになっていた。


「ようやく……ようやく終わるのね!」


 希望が見えてきたユリは走るペースをアップさせる。


「ユリちゃん、速いですね! 私も頑張っちゃいますよ!」


 チカもユリに合わせて全力で走った。

 そして遂にゴールにたどり着いた。


「やりましたね!」


「私もう駄目、体が全く動かないわ……」


 ユリはゴールと同時に地面に倒れ込んだ。


「私の背中に乗ってください!」


「え!? そ、そんな事できる訳ないじゃない!」


「お願いです、乗ってください!」


「チカがそこまで言うなら仕方ないわね。特別に乗ってあげるわ!」


「それでこそユリちゃんです!」


 いつものツンデレを取り戻したユリは、チカにおんぶされたままホテルの中へと戻っていった。

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