第1話 その、ドイツ人美少年は……2/3
昼休みの時間になった。級友たちはてんでに食堂に向かっていく時間だが、
さあ、サシャに何と声を掛けようかと頭を悩ませていると、祥太郎の周りに、右隣の仁川をはじめとしたクラスメイト達が集まってきた。
「おい……木下、いいのかよ、あれで……」
「いくら貴族って言っても、あの留学生……態度悪すぎだろ。クラス全体の士気まで、下がっちまうよ」
「もっとこう、真面目に授業を受けるよう、言った方がいいんじゃないか?」
意見ばかりで、自分からは動こうとしないクラスメイト達に、祥太郎は深いため息をついて言った。
「じゃあ、お前らが言ってくれよ……」
そう言ってみたものの、すぐに仁川からノックアウトされた。
「何言ってんだ、これは木下、ご学友であるお前の責務だ」
「あの……なあ、サシャ君」
ものぐさな様子で、突っ伏したままのサシャは祥太郎に眼を向けた。
「ぐ……Guten Morgen. Ich bin Shotaro Kinoshita……」
祥太郎のたどたどしいドイツ語を聞いたサシャが、露骨に顔をしかめた。
「やめてくれよ。僕が日本語を話せるのは、もう知ってるだろう?」
「あ、そうだね……ははは……ごめん……」
「どいつもこいつも、ドイツ語が下手くそだ。耳が腐る」
吐き捨てたように言ったサシャの言葉に、祥太郎のみならず、周囲で耳をそばだてていた生徒たちが、一斉に凍り付いた。
そうとは知らず、サシャは上体を起こして、前に垂れていた金髪を、耳の後ろになでつけた。
「で、何の用?」
サシャのじとっとした眼に見つめられて、祥太郎は、サシャに授業態度を改めるように言うことができなかった。
「その……昼ごはん、どうする? あ、もしかして弁当か何か持ってきてる?」
「そんなもの、ない」
「じゃ、じゃあ、食堂に行かないか? 俺が案内するから……」
「……僕は、昼食は摂らないんだ。行かない」
祥太郎が頭を抱えようとした、そのときだった。
「おい、留学生」
ドスのきいた声をサシャに投げたのは、
田原の見てくれは、がっしりとした体躯に、
田原は、柔道部の部員で、中心メンバーの一翼を担っている。そして何より、とても愛校心が強い男であり、文乙いちの武闘派でもあった。
その田原が、顔を真っ赤にしながら、ずんずんと祥太郎とサシャのもとへ詰め寄ってきた。
「さっきから聞いてりゃあ、なんだ、朝から不貞腐れた態度を取りやがって。そんなに一高が……日本の学校生活が気に入らねえのか?」
祥太郎は、武闘派である田原とは、普段から交流を持っていなかった。そのため、腰が引けつつも、祥太郎は田原を恐る恐るなだめようとした。
「おい、よせよ田原。俺なら気にしてないからさ」
「いいや、お前だけの問題じゃない。こいつは、俺たち日本人を愚弄している」
そこまで言って、田原は祥太郎に向き直り、続けた。
「だいたい木下、お前が情けねえから、俺たちは留学生に舐められて、コケにされてるんだぞ。ご学友にされたくせに、恥を知れ、恥を!」
これを聞いた仁川が、憤りの声を上げた。
「おい、田原! そんな言い方はないだろう!」
元々、普段から学生マントに熱心にブラシをかけているような、どちらかと言えばハイカラの仁川は、バンカラの田原とは馬が合っていなかった。
田原は、仁川を、ぎろと睨み返した。
「なんだ? 何か文句があるか?」
「くっ…!」
腕っぷしでは敵わないだけに、仁川は、それ以上何も言えなくなった。
いっぽうのサシャは、先ほど田原が言った言葉を反芻して、首を傾げていた。
「グロウ……どういう意味だ?」
「バカにしてるって言ったんだ。だいたい、俺はドイツが気に入らねえんだ」
田原の言葉に、さすがにサシャも、ムッとした表情で聞き返した。
「ドイツの何が気に入らないんだ?」
「知ってるぞ。お前らナチスは、自分たちに都合の悪い本を集めて
「かなり以前の話だ。それに、僕がやったわけじゃない」
「まだあるぞ。俺たちはな、一年のときにヒトラーの『我が闘争』を原文で読んだことがある。そこに日本人のことがなんて書いてあったか、お前は知ってるか?」
サシャは事もなげに答えた。
「日本人は文化を創造できない……つまり文化伝達者でしかなく、アーリア民族がいなければ衰退していくだけ」
「そっ……その通りだ! 表では日独友好とか言っても、裏ではバカにしやがって! ドイツ語で書いたら分からねえとでも思ったんだろうが、俺たち一高生を、日本人を舐めるなよ!」
「僕自身は、舐めてはいない」
「なら何だってんだ?」
「呆れているだけだ」
「なんだと!」
サシャは肩をすくめながら続けた。
「午前中ずっと観察していたが、君らは教師が黒板に書いた文字を、そっくりそのままノートに書き写しているだけじゃないか。まさしく、文化伝達者以外の何ものでもない。そんな環境で、学ぶものはないと判断したまでだ」
「きっさま……! 表に出ろ!」
「はあ? どうしてさ?」
「When in Rome do as the Romans do(郷に入れば郷に従え)だ。来い、気合を入れてやる!」
祥太郎は、顔を青くしていた。
「お、おい、どうするつもりなんだよ? 田原……」
祥太郎は、田原の介入に、一瞬でもホッとしてしまったことを後悔してしまった。乱暴な口調とはいえ、田原は、文乙の皆が言いたいことを代弁してくれたのは疑いない。
しかし、気合を入れてやる、とは穏やかではない。穏やかではないどころか、このままでは、血の雨の降りかねない事態にもなりかねない、と祥太郎は思った。
祥太郎の問いに、田原は軽く唇を歪ませた。
「大和魂を見せてやるのさ」
*
田原がサシャを無理やり引っ張って連れてきたのは、学舎の離れにある柔剣道場……の中にある、剣道場だった。
文乙に留学生がきたこと、その留学生が、さっそく武道場に呼び出されたという噂を聞き付けた他の生徒どもが、野次馬になって、剣道場を内も外もぐるりと取り囲んだ。
田原は、サシャを向こうにして言った。
「俺と剣で対決しろ。三本勝負だ。俺のやっている柔道でと言いたいところだが、ハンデをくれてやる。ドイツでも、フェンシングだか何だか……武道くらい嗜んでいたんだろ? 違うか?」
「……ふん。決闘か」
「ドイツ流に言えばそうなのか。何でもいい。俺と勝負だ。俺が勝ったら、午前中の非礼を、文乙の皆に詫びろ」
「僕が勝ったらどうなるんだ?」
「……その場合は、俺が何でも言うことを一つ聞いてやる」
「はあ……めんどくさい」
「何だと!」
「別に、いいよ。受けてやる」
周囲から、わっと歓声が上がった。
「おい、どっちが勝つと思う?」
「バカ言え、田原に決まってるだろ!」
「いや、案外転校生もやるかもしれないぞ?」
「よーし、じゃあ賭けだ! 汁粉を五杯賭けようぜ!」
そんな、けしからんやり取りまで聞こえてくる。
仁川から教わりながら、実際に防具をつけたサシャの姿を見ると、祥太郎は一層不安になってしまった。
祥太郎は、同じく防具をつけた田原に、縋るように言った。
「おい、本当によせって。ケガさせたら日独問題だぞ。ヒトラーが怒るぞ」
だが、興奮している田原には聞こえなかったようだ。
「留学生、どうだ? 防具をつけた気分は?」
「臭いな。まるで豚小屋に閉じ込められた気分だ」
「ちっ、いちいち
事態がどんどん進行していくのを、
「なあ、二人ともやめろよ! どうなっても知らないぞ!」
田原とサシャは、まったく同じことを祥太郎に言い放った。
「「どけ、邪魔だ」」
ギャラリーの中にいた剣道部員が、審判を務めることになった。
きっちりとした中段の構えを見せた田原と、右手の竹刀をだらりと下げたサシャ。
誰の眼にも、勝負は見えていた。
「はじめっ!」
ばひゅん。
祥太郎の、いやギャラリー全員の眼には、まるで、サシャが活動写真(映画)の西部劇の早撃ちでもしたかのように見えた。
田原が気合の声を上げる隙も与えず、しっかりと体重を落とし、右足を思い切り踏み出し、左手は後方へひらめかせたサシャが、右手で突き出した竹刀の切っ先は、狙いもたがわず、田原の喉元の突き垂を突いていた。
「い……一本!」
面の防具で表情は見えないが、田原が呆然としているのは、その挙動と雰囲気とで明らかだった。
「……ま、まだまだ!」
我に返った田原が、自分を奮い立たせるように叫んだ。だが、すでに、田原はサシャに気負けしているように、祥太郎やギャラリーには見えた。
そして、その後の二本についても、言うまでもなくサシャがとった。すべて、鋭い片手突きだった。
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