10 ナナシ
冒険者ギルド。
それは魔物と戦う人類の尖兵。命懸けで魔物と戦う冒険者たちを管理する機構だ。
冒険者ギルドの主な役割は身分証明と素材の買取、仕事の斡旋と情報提供だ。
冒険者に最低限の援助はするが、冒険者が傷を負っても毒や呪いに苦しんでも死んでも自己責任とシビアな世界である。
さらに援助にも条件があり、最底の鉄級では真面な依頼も受けられず自力で足掻くほかない。銀級金級となると待遇も変わって来るが、新人には辛い環境である。
一応研修なんてものも金を出せば受けられるが、食い詰めた者が冒険者になることが多いため機能しているとは言い難い。
また魔物を狩ることは被害を減らすことに繋がるため、国からの税金の控除もある。勿論濫用されないように規則もあるが。
商会などとのパイプ作りや取引を冒険者の代わりに行い、冒険者から仲介料を引き抜いて経営を行っていた。
そんな冒険者ギルドの受付嬢であるメリッサは今日もやって来る冒険者たち相手に愛想笑いを浮かべていた。
メリッサは目鼻立ちが整っていることを活かして、受付嬢として採用された。元は平民で読み書きが出来るメリッサの就職先としては時折危険な輩と相対することはあれど、給料を鑑みれば当たりの部類だろうと考えていた。
己の容姿を活かし有望な冒険者に粉をかけながら、いつか金級の眉目秀麗の冒険者が白馬に乗って自分を迎えに来るのだなんて夢を持ちながら今日も業務をこなしていた。
(そろそろ仕事終わりね。最近は暗くなるのが早いから急いで帰らなくちゃ)
冒険者ギルドの閉店間際。
鈴が鳴って扉が開くのが見えた。
最後に一仕事と視線を向けた時、異物感に思わず頬が引き攣った。
その姿は異様だった。
襤褸布の目出し帽で表情を隠し、襤褸服と包帯で全身を覆っている小男だった。
これまで見てきた中で一風変わった身なりをしていた。浮浪者もここまでの身なりではなかった。
屯っていた冒険者連中も警戒を上げてその姿を観察しているのが見える。
その中身に何があるのか。なぜそこまでして素肌を隠そうとしているのか。顔くらい見せても良いのではないか。野盗崩れなのか。お尋ね者なのか。
そんなメリッサの疑問を他所に受付に向かって歩き出す。
(こっちに来ないでぇ)
内心悲鳴を上げるもそれが叶うことはなかった。
気づけば明らかな不審人物と相対することになってしまっていた。
僅かに目出し帽から除く目は獣のように鋭い。自分が獲物のように感じて竦み上がった。
「冒険者登録をしたイ」
「……畏まりました。初めてのご利用ですか?」
「あア」
「でしたら登録に銀貨三枚となります」
包帯に覆われた手から銀貨三枚を受け取りながらも、喉が爛れているが如き掠れた声にメリッサは泣きそうになる。
冒険者ギルドの信条が来るもの拒まずとはいえ、限度がある。街中で見かければ即座に追放したい気分だがそうはいかない。
(門衛は何をしてるのよ)
まさか侵入したんじゃ……などと考えるが正解である。
だがメリッサが内心で何を思おうと、一従業員でしかない彼女はマニュアル通り粛々と仕事をこなすしかないのだ。
(火傷かも。うん、そうだわ。聞いたらダメ。さっき目元の色が赤黒かった気がするし、きっと火傷よ。失礼だからじろじろ見ないようにしないと)
きっと酷い火傷なのだろうと己を納得させると引き攣った笑みを浮かべて、
「字は書けますでしょうか」
「いヤ」
「では私が代筆します。お名前をお聞きしても良いでしょうが」
「ナナシだ」
「畏まりました。
あとは、レベルの証明書などはお持ちではありませんか?」
「持ってなイ」
「でしたら鉄級となります。
「必要なイ」
平常心を装って仕事を進めるメリッサを、周囲の同業が畏敬の目で見ていたが自分のことに手一杯の彼女は気づいていなかった。
そして鉄級の冒険者カードと呼ばれるものを取り出し『ナナシ』と刻む。
それを渡して、
「おめでとうございます。これであなたは鉄級冒険者となります。
しかし注意点が一つ。鉄級であれば十日に一度以上の依頼をこなさなければ剥奪となります。再登録には金貨一枚掛かりますのでお気をつけ下さい。
またこの冒険者カードを損失した場合も再発行に金貨一枚掛かりますのでご了承ください。
そして、依頼の達成数、成功率により昇格可能でありますので率先して依頼を受けることをお勧めします。依頼はそちらの掲示板よりご覧になれます」
「了解しタ」
メリッサは最後に、と前置きし、
「本来、当ギルドは冒険者様方になにかを強要するというのはありませんが、貴族の依頼、危険な魔物の出現、災害時といった緊急時には緊急依頼という特別な依頼をさせていただく場合があります。
緊急依頼について理由のない辞退は
ただし緊急依頼の場合は見合った報酬を用意しますので受けていただけるよう願います。
また犯罪行為は露見した時点で追放ですのでなさらないように願います」
「分かっタ」
「でしたらこれにて完了です。何か疑問がありましたらお気軽にお声掛けください。
当ギルドはナナシ様のこれからのご活躍をお祈りしております」
ナナシは顎を引き、少し考え込む姿を見せたが、結局何もいうことはなく去っていった。
その姿をメリッサは無理やり頬を引き攣らせて見送り、見えなくなった後で溜め息を吐いた。
「ふぅ。怖かったぁ」
緊張から逃れられた開放感に力を抜いて椅子の背もたれに身を任せた。
脱力しながら、二度と関わり逢いたくないわねなんて考える。まあ受付嬢である以上そういうわけにはいかないだろうが。
いつの間にかギルド内に活気が戻っていた。気を張っていたのは同じようで、口々に先ほどの新人冒険者について話している。
そういえば新人冒険者に絡むのが趣味の銀級冒険者のヴォーダンも流石に関わる気は起きなかったらしい。危機感も備えてこその銀級冒険者であるため然もありなん。
「やぁメリッサ。災難だったね」
メリッサに銅級冒険者のパッシュが話しかけてくる。
気障な喋り方をするが顔は良く、メリッサが粉を掛けている冒険者の一人だ。話し方に思うところはあるが、付き合えば直させればいいと考えていた。
「ありがとパッシュ。でも今日で終わりじゃないのよね。憂鬱よ」
「ふっ、危険があれば僕が守るさ。君が気負うことはないよ」
「頼りにさせてもらうわ。それで……新進気鋭の銅級冒険者である貴方からして彼はどう見えた?」
少し逡巡した後の質問に、パッシュは応える。
「実力は読めなかったが、最低でも銅級はありそうだ。
気をつけた方がいい。あいつからは死臭がした」
「……」
信頼する冒険者から厄認定を貰ってメリッサの表情が曇る。
パッシュは中堅どころの実力を持つ。魔物との戦闘を乗り越えてきたパッシュからの忠告は心に響いた。
「ようようお二人さんお熱いねぇ」
茶化すような口ぶりで割って入ったのは、銀級冒険者のヴォーダンだった。
不機嫌そうな顔をしつつも、パッシュは口を噤む。冒険者は実力主義であり、ギルド内では暴力沙汰は禁止されているとはいえ外ではそうではない。禍根を作るつもりはなかった。
「メリッサちゃん。パッシュなんかじゃなくて俺を頼ってくれよ。こんな尻の青さの取れねえ銅級冒険者なんかよりもよ」
「ヴォーダンさんにとってはまだまだかもしれませんが、パッシュもめきめき力をつけてますよ」
「そうだ。僕の出番を取らないでもらえるかなヴォーダンさん」
本人を前にしての言いように耐えられなくなったのかパッシュも口を挟む。
それをヴォーダンは鼻で嗤うと、
「はっ、銅級が何を粋がってやがる。
んなことよりメリッサちゃん、あいつには気をつけな。
奴の雰囲気、まるで獣のようだったぜ」
口にしたのはパッシュと同じような忠告。
素行は悪いが銀級冒険者の言葉だ。メリッサはこれからも関わらなくてはいけない現実を前にして憂鬱になった。
(転職したい……)
◻︎
情報は金になる。
それを知ったのは冒険者ギルドの幹部を辞めて酒場を経営し始めてからだ。
元あった金級銀級冒険者の情報。ギルド内部にいたからこそ知ることのできた情報。
経営が悪化した時に、それに価値を付けてきた人物がいた。
一時の欲望に負けたわけではない。裏社会の人間だろうと冒険者ギルドの幹部だった時代に渡り合った。よって冷静に、己の手札を天秤にかけた。
それ以来だ。酒場に情報屋なんていう裏の顔ができたのは。
冒険者ギルドの幹部の時の経験もあり情報は十分なほどあった。しかし、機密情報でもあったため、バレれば口封じの刺客が向けられるだろう。
だから客は選ばなければならない。売る情報も選ばなければならない。
情報とは常に移り変わるものだ。持っている情報は時が経つとともに古い情報になる。
だから常に情報は得なければならない、コネは保持しておかなければならない。
冒険者ギルドの幹部を辞めたからと言って持っていたパイプが無くなったわけではない。
酒場を開くのは夜だ。
だから、昼に動いた。世間話の程で、酒を差し入れするついでに、金でひけらして、盗聴の魔法を使って。
自由な時間が少なくなったが、一つの目的に向かって邁進するというのは悪くなかった。
裏の世界に名が知れれば情報を売りにくる輩も現れた。
だが名が売れるということは危険が増えるということでもある。護衛を雇おうが、集に個は勝てない。
故に己に科すのだ。
自分は客にとって有益な存在でなければならない。喧嘩を売る相手を間違ってもならない。自分が軽く扱っていい相手は情報を重視しない相手に対してだけだ。
その結果。
阿漕な商売を続け、表向きは閑古鳥が鳴く酒場の主人であるが、金を粗稼ぐ情報屋としての側面を持つようになった。
蓄えた財産はもう足を洗ってもいいくらいだ。人生を足抜けできるくらいの金は集まった。
この街では無理だろうが、他の街へ行き名を変え生き方を変えれば一人の人としては十分な人生を送れるだろう。
なのにそれをしない。
それは己の本質を理解したからだった。
情報なんてものを取り扱う危険と綱渡りの仕事を始めたのは金のためだった。
しかし今は違う。
今となっては、誰も知らない情報を持っているのが愉しくて仕方がない。
だから今日も、ザイルは酒場の主人としての顔を貼り付ける。
そして今日も客がやってきた。
だが今日の客は一味違うようだ。
「情報を買いたイ」
そう口にしたのは、襤褸布の目出し帽、そして襤褸服と包帯で全身を覆っている小男だ。
小男だろうとレベルがものを云うこの世界では警戒は変わらない。
その目は鋭く、何日も風呂に入っていないかのような異臭が鼻腔を刺激する。
懐から出すのは薄汚れた袋。中から金貨が覗くが、どれも血に汚れている。
酒場で客のふりをして酒を飲んでいる用心棒が警戒して近くに寄ってくるのが見えた。
だが殺傷沙汰にするつもりはない。これまでの経験が警鐘を鳴らしていた。
「何が知りたい」
「オラトルの呪いについて知りたイ。それと呪いにかかった人間の詳細と、呪いに掛かった人間の居所だナ」
思考は一瞬。
オラトルの呪いと言えば、金級冒険者のカタリナの義弟が有名だがここに来たと云うことは別の人間についてだろう……となると。
脳に全ての情報を詰め込んでいるザイルは脳の引き出しを開けると、情報に値を付けた。
「……分かった、金貨10枚だ」
「交渉成立だナ」
そして金を受け取ると、依頼人に向かって話し始める。
「奴の名前はユリア。女で元銀級冒険者だ。一年前、オラトルの呪いに掛かってジャズル組合に捕えられた。オラトルの呪いに掛かる前の実力は──」
己の知ってる情報を最初から話し始める。
だが敢えて伏せて話した部分もある。
最後に仕入れた情報は、反抗の意思を失わない彼女が四肢を両断されたと云う話だからだ。
知らぬ存ぜぬで通すつもりだし、その方が高値で売れる。それにそもそも呪いに用がある様子なので当人の状態などどうでもいいのだろうと感じたからだ。
要らない情報を高く売ったつもりだ。もし憤慨したならば他のオラトルの呪いに掛かった奴の情報を格安で売ってもいい。
ここでこいつと敵対するつもりはない。
それ以前にザイルが敵に回さなくとも、この風貌だ。どこかで必ず揉め事を起こす。
敵に回すのは、力量を測ってからだ。
喧嘩を売る相手を間違えない。それは己に志した
だが、暫くしてザイルの元に予想だにせぬ情報がやってくる。
──オラトルの呪いに掛かった元銀級冒険者が復活した、と。
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