8 王



 これまで異世界に転生しながらも後宮に閉じ込められて外の世界を見ることはなかった。外に出ることは可能であったが、身の安全を鑑みて引き篭もっていた。

 だが退屈だったわけではない。

 後宮にある蔵書庫の書物は一生を掛けても読みきれないほどもあるし、身を粉にして支えてくれるリリーもいた。

 幽閉されて監獄のような生活を送るならまだしも、ある程度の自由が担保されているこの生活は、不便と感じることはあれど我慢できないほどではなかった。むしろ前世の記憶が無ければ不便とすら感じることもなかったかもしれない。


 当然外に出たことがないということは異世界の代名詞の魔物も関わることもない。他にも外の人間、植栽、建物とあらゆる面で未知だった。

 しかし、経験値ゴーレムを外に出したことにより、パスを通じて外の世界を観覧することが可能になった。

 その上『憑依』をすればその体躯を我が身のように動かすことができる。それどころか強大な魔物の素材から作られたその躯は俺の肉体強度を軽く凌駕する。別の生き物のように森を駆け回るのは快感だった。

 大自然の空気を楽しみ、擬似的であるが戦闘も行える。

 魔物との戦闘は緊張感もあったが、それ以上に鍛えた技を申し分なく使えるというのは楽しかった。動作ミスで攻撃を喰らうこともあったが、性能を十分に引き出せるようになってからはそれも無くなった。

 異世界であるため目に映るものは全てが真新しく、夜が来るのが楽しみになっていた。まあ睡眠時間を確保するためにあまり長居はしなかったが。


 そして今日も背に羽が生えたような軽い足取りで大自然の中を冒険していた。

 束縛されていたからこそ感じる開放感。一度その楽しさを知ってしまっては後宮の息苦しい生活なんて耐えられなくなる。


 寝室からいつものように経験値ゴーレムを操作していると、本体の身体を揺さぶられる感覚があった。

 元の身体へと戻ってくると、俺を目覚めさせようとしているリリーと目が合った。


「……どうした、リリー」

「どうしたではないですよ。一体こんな時間からヴィン様は何をされているんですか?」

「見てわかるだろ。仮眠だ」

「外見てください、まだ昼間ですよ。こんな時間に眠っていては豚みたいになってしまいます。ほら起きてください、夜更かしでもしたんですか」

「いや、そうではないんだが。急に睡魔が来たような感じで」


 会話しながら目をやると、外はまだ陽光が降り注いでいる時間帯だ。少しだけ経験値ゴーレムの様子を確認するつもりだったのだが、いつの間にか熱中してしまっていた。

 いつもなら魔法書でも読んでいる時間帯だが、パスを通じて視る外の世界はそれを忘れさせるほど雄大だった。自分の身体のように動かせる経験値ゴーレムといい、未来で仮想現実VRが開発されたらこのような感覚なのだろうか。

 それは兎も角、リリーが目の前で起き上がるのを待っていた。

 ふむ。


「うーん。まだ眠いなぁ」


 棒読みで目を擦る。

 ……眠気なんて元々寝ていなかったので欠片も無いが、いいところで終わってしまったのでもう少し外の世界を探索したい。リリーの気持ちも分かっているが、もう少しだけでも。

 見つめてくるリリーから視線を逸らし、俺は布団にくるまった。

 そんな俺の肩をリリーが掴む。


「引き篭もっていては不健康ですよ。これまでは勉強をしていたみたいでしたから見逃しましたけど、こんなあからさまにダメ男みたいな生活をするのは見逃せません。そうだ、外で運動をしましょう。なにがしたいですか」

「剣の授業で十分動いたんだが」

「こんなお日様が頭上にいる時間からぐーたらしているのが悪いと言っているのです。ほらほら布団を畳ませてください。布団に引っ付かないでください」


 出来る限りの抵抗はしたが、レベル差があるので抵抗虚しく布団から引き剥がされる。

 精神年齢で言えば二十後半の男が年下の少女に駄々こねてることになるわけであるが、外見は少年なので問題はないのだ。

 一息ついたリリーが、


「折角なので馬術の訓練を行いましょうか。これなら私が教えられますし、将来の役にも立ちますよ」

「う、寒い。こんな中で外出たら風邪引いてしまう」

「後宮内の気温は一定なのでそれは通りませんよ。さあ動いてください」

「はぁ……」


 悔しいことに魔道具で後宮内は快適な気温に保たれているため、運動をするのに適した環境であるのは間違いない。

 リリーに連れられてだらだらと厩舎に向かって歩いていると、見覚えのある顔と遭遇した。


「よお、平民の息子じゃねえか」


 第一王子のパウルだった。毎度のことながら顔を合わせれば嫌味を吐いてくる。

 後ろには後宮の侍女を三人連れていた。中身はともかく見た目は美しい。後宮内でも最上位だろう。今のパウルのお気に入りといったところか。


「偶然ですね。これからどちらへ?」

「お前の部屋に行くつもりだったが、手間が省けたぜ。父上から……ん? そいつはお前の侍女か?」


 パウルがリリーを見て嘗め回すような目を向けた。

 嫌な予感がして視線を遮るようにリリーの前に出る。

 気に障ったようで、不機嫌そうにパウルが俺を睨め付けた。


「ああ? なんのつもりだ」

「はて、なんのことか。それよりご用件とやらについてお聞かせ願えますか」


 態々俺の部屋まで来るなら大事な用件なのだろう。

 しかしパウルは酷薄に笑って、


「用件、なあ。そうだな。そこの女を俺によこせ」


 ……まあ、そう言うだろうと思っていた。

 なんせリリーは美人な上、そのたわわな胸は爆弾級だ。猿のように盛っているパウルなら目を付けても不思議では無い。

 そしてパウルは俺が受け入れて当然と言った顔をしていた。反抗の意思は見せたことはないし、本来の立場的には受け入れるべきかもしれない。

 だが、その要求だけは飲むことは出来ない。


「申し訳ありませんが、彼女は私の侍女です。

 それに、本人の意思が無ければそのような行為は認められていないはずです」

「は? 知るかよそんなもん」


 とは言うものの、パウルは不機嫌に顔を歪めた。

 流石に御法度破りは問題となるため引き下がると思うが、短気に実力行使に出られては堪らない。

 なんとか話題でも逸らしたいが……

 俺はパウルの後ろの侍女に視線を向けると、


「彼女に拘らなくとも、パウル様には他に仲の深いお方々がいらっしゃるように思えます。

 私にとっては羨ましいことです。私もパウル様のような魅力を持てれば、気に掛けて貰えるのでしょうか。可能ならお口利き頂けませんでしょうか」

「お前、いつから俺に要求できる立場になったんだ。

 つーか、俺の女に色目使ってんじゃねえよ。殺すぞ」

「申し訳ありません。そこのお三方が素晴らしく美しく、思わず懸想してしまいました。ところで、用件というのは」

「用件はもう言っただろうが。さっさとそこの女を置いて消えろ」

「いえ、彼女は私の侍女でして。

 お望みなら代わりに私が女装致しましょうか」

「はあぁ? きめえこと言ってんじゃねえよ。お前ホモなのか?」

「いえ。しかし、以前顔立ちを誉めていただいた覚えがあったと思うのですが、残念です」

「勘違いしてんじゃねえ。二度と口にするな」

「畏まりました。ただ、彼女に無理やり手をだすというのは問題になります。こんな大切な時期に醜聞を作ってしまっては後に響きます」

「醜聞、なあ。あーだりい。

 おい、そこの女。こんな奴より俺の方が持ってるぜ。そうだな、例えば──」


 なんだこの茶番。心にもない言葉を並べ立てながら内心呆れる。

 こんなことより本当の用件が知りたい。父(王)絡みのことなら尚更だ。しかしパウルがその気になるのを待つしかない。


 パウルはリリーに言い寄るも素気無く断られ、苛々しているようだがレベルにものを言わせることはなさそうだ。恐らく正妻からも忠告されているのだろう。

 暫くパウルは高圧的にリリーに突っ掛かっていたが、ある時点で時間を気にしたのか冷静になったのか俺の方を向いて言った。


「父上がお前を呼んでる。二階の執務室へ今すぐ向かえ」


 それだけを告げると興味を無くしたのか背を向けて去って行った。


 心中で溜め息を吐く。

 無駄に時間を使ってしまった。すぐに向かうとしよう。


 ◻︎


 この国の王(父)であるが。

 赤い獅子のような髭と鬣のような髪を持つ王で、見た目から分かる通り武闘派だ。反面政治に関してはほとんど宰相に任せっきりのようだ。

 しかし、お飾りの王というわけではない。

 政治の代わりに武力に全振りしたような王で、人間間戦争が起きるたびに最前線で指揮をとり、その首を取ろうと罠にかけてきた敵を逆に食い破ってきた武王でもある。他国では『獅子王』と呼ばれ恐れられているとか。魔物に対しても、崩落龍、不咲大鬼、氷の大精霊と討ち破ってきた武勇伝にいとまがない。

 王が最前線に出るなど現代ではあり得なかったが、この世界は個が大きな力を持つ世界なのである。まあ側近たちの奮進もあるだろうがそれは置いとこう。

 その戦歴の結果、武力においてはこの国どころか世界でもトップクラスであり、レベルも90台らしい。世界でもレベル90を越す者が数えるほどしかいないと言えば凄さが伝わるだろうか。

 力とは信奉の対象である。強大な力は人を惹きつけるものだ。

 結果、政治においてはお飾りであっても、この国は王のカリスマによって統治されている。だから王は絶大な権力を持つ。


 そして国王であると言うことは後継者争いにおける最重要人物であるということだ。まあ、国王という立場ながら次期国王については我関せずという立場を貫いているので正妻らが暗躍することになっているのだが。

 正直下手に内定されるよりかは今の方が有難いのだが、王としてそれでいいのかと疑問に思う。が、人生を戦いに振り切った王であるからして仕方ないのかもしれない。

 戦いは強くてもそれ以外が怪しい王、というのが俺の印象だ


 現在、そんな王と執務室で相対していた。

 何故か隣には正妻もいる。何処にでも耳があるのか、王が俺を呼び出す時は正妻ではなくとも手の者がいつも控えている。

 正妻も私生活があるだろうにここまでの徹底ぶりには頭が下がる。

 正妻からすれば俺の危険度は高く無いのに何故ここまで俺に執着するのだろうか。心当たりと云えば、愛妾である母絡みだろうか。男を取られた女の恨みは恐ろしいということなのか。

 正妻のことを意識して見ないようにしながら、王を見つめる。


「父上。只今参上しました」

「そうか」


 本題に入る前に、王は俺ではなく正妻へと視線を向けた。


「お前は呼んでいないはずだが」

「お気になさらず。ですが一つ言いますと、平民の血を引く王などと前例がありませんわ」

「ヴィンを王位に継がせると? そんなつもりはない」

「当然私は陛下を信じておりますわ。しかし、密会があったなどと噂されれば邪推される可能性もありますわ。私はそれを憂慮していますの」

「……勝手にしろ」

「慮ってのことですわ。お気を悪くせず」


 王は正妻から目を逸らした。

 正直追い出して欲しかったが、口の上手さでは正妻に分があるか。


 王は向き直り、鋭い眼光で俺を射抜くと喋り始めた。


「さて、ヴィン。お前も9歳であり、もうじきに10歳になる。12歳になれば学院を控えている」

「その通りです」

「お前も王族の端くれ。ならば、そろそろレベルを上げる気は無いのか?」


 なるほど、それが本題か。


 レベルを上げる。それは何度か検討したことだ。

 レベルを上げれば毒にも強くなるし、力も手に入る。毒殺の危険も少なくなるし、逃げられる可能性も上がる。

 取りうる手段も増えるし(逃亡や暗殺など)、最悪王に勅書して武者修行と言って外の世界に逃れることもできたかもしれない。レベル上げそれが良いことづくめだとは感じている。


 一番の最適解に思えるがそれは正妻も理解していたのだろう。これまで二度レベル上げを行う機会があったものの図ったように毒で寝込み潰えてきた。外向けには体調不良となっているが実際には正妻の手の者に仕込まれた毒のせいである。


 まあ今の俺なら錬金術で毒消しの薬を調合して無理にでも敢行することはできるが、レベリングは後宮を離れて森の中で行うため事故を装いやすいという問題がある。正妻は俺へ強い害意を持っているため、リスクはあっても場が味方すれば暗殺という手段を取りうる。実際、過去にはレベリングの最中に亡くなった王族がいるようで、同じ轍を踏みかねないだろう。


 いや、それだけの危険があったとしても、経験値ゴーレムが作れていなかったら無理にでもレベリングを行ったかもしれない。

 レベルが1の状態なんて捌かれるのを待つ魚でしかない。打つ手がないのならせめて賭けに出ようと考えていただろう。


 だが今となってはレベルを上げてはいけない理由ができた。

 それは教会より貸し出されるある魔道具の存在だ。

 『階位測定魔道具』と呼ばれるそれは、己にしかわからないはずのレベルを外に出して確認することができるという物だ。

 教会は階位測定魔道具を使ってレベルを測定し、その証明書を発行することによって利権を得ている。証明書が実力を保証してくれるわけだ。


 もしも俺がレベリングを行うとしたら、その魔道具を使って測定しながら行うこととなるだろう。そうすれば、俺の不自然なレベルがバレてしまう。

 これは場合によっては一発で危険視されて暗殺されるようなものと考えている。特に正妻が。


 というか、身を危険に晒してレベリングしなくても、俺の経験値は勝手に経験値ゴーレムが稼いできてくれているのだ。こう考えるとどうしても費用対効果があっていない。


「レベルはまだ上げる必要はないと感じています。私は平民の血を引いていますので、レベルを上げては貴族の方々が良い顔をしないでしょう。もう少し機を待ちたいと考えております」


 建前を並べてレベリングの話を断る。

 それに王が口を開く。


「王族でありながら力を望まないか」

「まあいいじゃありませんの。彼の気質は争い事には向いておりませんわ。それは王族としては欠点かもしれませんが、将来彼は平民と貴族を繋ぐ橋渡し役になってくれるかもしれませんわ」

「そうか」


 正妻が割り込んで口先だけの言葉をすらすらと述べると、納得した様子の王が頷く。

 そして一言俺に向けて発した。


「下がれ」

「はい」


 用件はそれだけだったようだ。

 顔を伏せて退室すると、通路を歩きながら先程の話を思い直す。


 ……やはり正妻がネックだな。


 正妻のせいで俺の動きが大分制限されている。俺の私生活にも後宮の侍女の目があるため、錬金術の小部屋にいる時を除いて監視されているようなものだ。毒を盛るなど容易いだろう。

 だが告発することはできない。

 これまでの正妻の犯行を王に訴えようにも、凶器である毒を確保しておくことが最低条件であり確保出来たとしても、俺も錬金術のために魔物の素材を確保したりしているため自分で仕込んだことだという筋が通ってしまう。

 更に毒を盛ったことに対する証言者は後宮の侍女であるが、それも正妻にリリーを除いて抱き抱えられている状況だ。捜査官がやってきても聞き取りの段階ですら多対一でこちらが不利だ。どう足掻いても後宮内での出来事である以上正妻に有利に働く。


 現状維持するしかないのが現実だった。


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