第48話 本当は
私は当たり障りのない返答をしようと、口を開いた。オネエ様は私の口の前に手をかざす。
「嘘をつくつもりね。いいわ、言いづらいなら。アタシが居なくて寂しい〜! って思ってくれたらいいなと思っただけよぉ」
と頬を膨らませた。
そんなオネエ様が愛おしくて愛おしくて、自分のものにしたいと思ってしまった。そんな気持ちを胸の奥に押し込んで、「とっても寂しかったですよ」と答える。
待ってましたと言わんばかりにオネエ様は目尻を下げた。
オネエ様は私が仕事から帰ってくると、常に話しかけてくれた。思考に囚われることがないので、一人になるのはトイレやお風呂と、寝る時間だけ。
特に入浴中は考えてしまうので、自傷行為の衝動に駆られる。心配かけたくないし、きっとバレてしまうだろう。だが今は大丈夫。
まだ我慢出来る。寝る時間になると、いつも私が先に眠る。オネエ様は二十四時前まで起きているようだ。
私は22時には寝るから、リビングの電気はついたまま。部屋のドアを開けっ放しにしておくので、それがなんだか安心する。睡眠薬を飲んでも夢は見る。
強い薬はできるだけ飲みたくない。副作用がひどいし、中毒性があるからだ。
そしてオネエ様が戻ってから初めての休日がきた。私は仕事がなくても、いつもと同じ時間に起きる。今日も悪夢で目が覚めた。
夢の中でオネエ様は刺された後、そのまま倒れた。車道の方へ。車に轢かれて、もう一人の私があらわれる。
「目を背けるな」と目を見開かせて──私は現実に戻ってきた。
べっとりといやな汗が身体をつたう。恐怖が私を支配する。こわい、いつになったら終わるの。机の上に置いてあったカッターを手に取る。手首はダメだ。見えてしまう。
私は上腕の内側に刃をあてがった。食い込ませて皮膚を切ると、ビリビリと痛みが走る。私は今ちゃんと生きてる。あれは夢だ。大丈夫。
血はそんなに出ない。少し垂れるくらい。ティッシュで充分受け止められる。行為が終わって拭いていると、Tシャツに付いてしまった。寝ぼけていたからだろうか。やってしまった。
オネエ様はまだ起きていないから、急いで落とさないと。私は着替えると洗面台へ向かった。ゴシゴシと水で洗い、石鹸でまた擦る。
薄くなったがまだ落ちていない。漂白剤に浸け置きするしかない。念の為お風呂場に隠しておいた。見つからないよね。オネエ様はこういう時勘が鋭いから不安だ。もしバレてしまったらどうしよう。
なんの汚れが聞かれたら、なんて答えよう。生理の血……はこんな所につかないよね。前側だし。何かいい言い訳はないだろうか。
思考を巡らせながら、朝食を用意する。結局いい案が全く出てこないまま、時間が過ぎていく。検索してみればいいかと思って、スマホの操作をする。
出てきたのは、生理の血の誤魔化し方。私が求めているのは出てこなかった。
どうしようどうしようどうしようどうしよう。
気持ちが焦れば焦るほど何も浮かばない。いや、まだ七時半だ。オネエ様は起きてこないはず。落ち着いて、ゆっくり考えよう。SNSで誰か呟いてないかな。
『リストカット 血』と検索してみる。『血がみたくてやってしまう』とか、『思いの外大量に出てしまった』とかそういうのしかなかった。
オネエ様の部屋からゴソゴソと音がする。平然を装わなければ。スマホを持つ手に力が入る。ドッドッドッドッと鼓動が激しくなる。
遂にガチャッとドアが開き、オネエ様が出てきた。真っ直ぐ洗面台へ歩いていく。バレませんようにバレませんように……顔を洗う音がする。よし、いい感じだ。
歯磨きをしたあと、リビングへ来た。ふうっと安堵の息をする。オネエ様の朝食を出すと「ありがとう。ねぇ、アタシに隠してることない?」と尋ねられた。
え? 今なんて……一瞬頭が真っ白になる。「ないですよ」と思いの外か細い声が出た。オネエ様は「ほら」と見透かしたような目で私を見る。
「沙蘭ちゃんのこと結構分かってきたわ。今目逸らしたでしょ。嘘ついてる時いつもそうするのよねぇ〜」
と頬杖をついた。オネエ様には何でもお見通しなんだ。嘘をつくのはいいことではない。それは分かっている。
私は心配されると申し訳ない気持ちでいっぱいになるの。貴方の方が辛いはずなのに。私が苦しんでいる所を見ていい気分ではないはずだ。
知らない振りをすればいいのに。「腕みせて」なんて言われてしまった。
私が隠していることは何か話してないのに。
そこまで分かってしまったのか。ゆっくりとTシャツの袖をまくり上げ、腕の内側を見せた。
「あらぁ〜。まあでもそんなに深くまでいってないわね。アタシが帰ってきてから……今日が四日目よねぇ。今回が初めて? 本当のこと教えてくれるかしら。
アタシに嘘ついたってどうしようもないでしょ? 辛い時は言う。約束したの忘れたの? 隠された方がつらいんだから」
「そういうものなんですか。未だにそれが理解できないです。オネエ様の方が辛いのに……でも貴方が望むなら。そうです。一回目です」
今度はしっかりと目を見て話した。夢のこと、なぜこんなことをしていまうのか。咲那絵さんと過ごした一週間。それら全てを打ち明けた。
オネエ様はずっと笑顔だった。「よく我慢したわね」と頭を撫でられる。どうして貴方はそんなに強いの。それとも、辛さを隠しているの? 聞いてみると、違うって。
そりゃあ刺されたんだし怖かったけど、今生きて……こうやって話している。笑っていられる。犯人も捕まった。残るは裁判だけ。
私がオネエ様の前から消えてしまう方が怖いと言った。貴方は本当にずるい。私を虜にして離さない。
無条件の愛をくれる。
私のことを一人の女性として愛してくれていないのに、何故そう思えるの。理解できないよ。
裁判は十一月二日に決まった。千葉地方裁判所で行われるとのことだ。影彦くんが捕まってから約一ヶ月半だ。もっと時間がかかると思っていた。
犯人が罪を認めていること、事件がそこまで複雑でないことが理由だそうだ。あれから参加の方法を調べ、事件担当の検察官へ申し出た。
今回のケースは、殺人未遂罪にあたる。条件を満たしており、裁判所からも許可が降りた。私とオネエ様二人共参加出来ることになったのだ。
私たちが出来ることは何個かある。傍聴席ではなく、法廷内に座ることができる。被告人へ質問することも。何を聞くか事前に考えておかないと。
影彦くんはどんな姿で現れるだろうか。自分の罪を認めているらしいが、どんな顔で何を言うのか。想像するとなんだかゾッとしてしまう。オネエ様を刺したくらいだから、普通の人なんて考えはできない。心の準備もしておかなければ。
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