第47話 傷

 キッチン横のテーブルに三人で座る。真ん中にそうめんがどーんと構えており、周りに具を並べる。彩り鮮やかで美味しそうだ。


『いただきます』と手を合わせ、出汁と具を入れたお椀に少し浸す。ずるると勢いのいい音が鳴る。昔は啜るのが上手くできなくて、舌に巻き付けて口に入れていた。


 それよりなんだか、私だけ場違いだな。仲睦まじい二人の間に入るのは……。



 隠すことをしなくなった私の腕を見る。ここに傷をつけた日はよく眠れた。夢を見ても、そこに居る私は笑ってくれる。


 自分を苦しめることが救いになるなんて。影彦くんは今留置所にいるんだよね。何を思って過ごしているのだろう。彼も私のように自責の念に駆られているだろうか。



 そんなことに思考を巡らせていると、海外移住の話になった。オランダへいつ行くのか。実はフリーランスビザを取得することができたのだ。あとは行くだけだが、私の英語力はまだまだ。もう少し話せるようにならないと。


 私のために行くのを先延ばしにしている。オネエ様もやりたいことがあるらしいが、それが何かは教えてくれない。時間がかかるとのことで、丁度いいのだけれど。



「そうね〜、準備がまだ整ってないのよねぇ。これから裁判もあるでしょ? 色々やることが終わってからになりそうだわぁ〜」


「ふーん。したっけ、来年以降になりそうやね」


「今のうちに日本を堪能しないとねぇ〜」


「裁判、どうなるでしょうか。参加することになりますよね」


「いや、希望しないとダメみたいよぉ。被害者参加制度っていうのがあるらしいわ。今度調べてみないとねぇ〜」


 知らなかった。被害者も参加して、証言するものだと思っていた。私は昔から世間知らずなところがある。少しはマシになったと思っていたが、思い違いだったのかもしれない。


 裁判はいつ頃になるだろうか。彼を何年閉じ込めるのか。その後は? 私を追いかけてくる? 出来ればもう会いたくない。


 私のせいなのかわかっているが、彼は何をしでかすのか。未だにあの『薫くん』の姿が脳裏にな焼き付いている。最後に会った時のことを。



 夕食後一番最初にお風呂に入ったのはオネエ様だ。上がってくると、髪からポタポタとお湯を垂らしている。今日は上半身裸だ。なんで……ってお腹を見てみると傷が。ガーゼが剥がされて露になっている。



 右手にはガーゼが入った袋が。上手く貼れないから手伝って欲しいと言われた。そういうことか。咲那絵さんじゃなくて私に頼んでくれた。嬉しい……なんで私は喜んでいるの。忘れたの? 誰のせいでこんなことになったか。しっかりと思い出しなさい。目に焼きつけるの。



 この傷を忘れるな。決して。オネエ様は「傷が治ればこっちのもんよ。これさえお洒落に着こなしてやるわ〜」と明るく振舞った。無理をさせてしまっているのではないだろうか。



 心がズキンと刺されるように痛んだ。



 私はゆっくりと近づき、痛々しいお腹の傷をじっくりと見る。真っ直ぐ横に線が入っている。それはおおよそ二十センチ。


 縫う前はもっと酷かったんだろうな。抉られて、中身が剥き出しになって。血がドバドバと流れるくらいに。オネエ様が刺されるところを想像し始めると、「おーい」と目の前で手を振られる。



 危なかった。ゾーンに入るところだった。ブルブルと顔を横に振り、ガーゼを袋ごと貰う。大きなそれは一箇所が開いており、中には十枚程度入っている。



 ゆっくりと数枚取り出し、傷口に当てる部分を触らないように折りたたむ。少し分厚くなってしまったが、出してしまったから仕方がない。そのまま宛てがい、オネエ様に押さえていてもらった。


 テープをハサミで切り、丁寧に貼っていく。どう貼ればいいかは、オネエ様が教えてくれた。看護師さんが上手に貼り替えてくれていたみたいだ。きっと女性だったのだろう。



 男性も何人か居るようだったけれど、オネエ様はどんな人に見てもらっていたのだろうか。素敵な人ばかりのあの場所で。誰かを好きになったりしたかな。出来れば男性を選んで欲しい。それなら私は潔く諦められる。なんでこんなことを思ってしまうのだろう。ズルい女。



 私がお風呂に入っている間、二人の声が聞こえた。何をしゃべっているのかはわからない。家族はどんな話をするものなのだろうか。気になったけれど、盗み聞きは良くないよね。


 上がって着替え終わり、リビングへ向かう。二人は夏をどう過ごしていたか話していた。たわいも無い会話から喧嘩に発展することはないのだろう。お互いリラックスしているのがわかる。



 私はビクビクしながら、機嫌をとることに必死だった。二人を見ていると両親は、ただの同居人だったのではないか。そう思ってしまうのだ。今はお互いの人生に関わることはなくなった。



 これは果たして『家族』と言えるのだろうか。



 次の日咲那絵さんは帰ることになった。居なくなってしまうのは寂しい。元々オネエ様が戻ってくるまでの予定だったから、当然のことだ。ずっと私を支えてくれて、これ以上迷惑をかけるわけにはいかない。最後に抱擁をして、別れを告げる。


 咲那絵さんがずっと笑顔でいられますように。私のことで悩まないで。そんな願いを込めた。出ていく直前、オネエ様に話しかける。



「帷、そろそろ実家に帰ってきすれ。お父さんあの時のこと、後悔してるんさ。私は久々にこうやって会えたけど。オランダへ行く前に、仲直りして欲しいんさ。いつまでもこのままじゃ、お父さん死んでから後悔するしょや。沙蘭ちゃんも良かったら一緒に来たらいいべさ」



「わかってるわよ。ありがとう。ちゃんと帰るから、待っててちょうだい。じゃあ、したっけ」


 咲那絵さんは嬉しそうに手を振って、帰って行った。『したっけ』という方言は、『ばいばい』という意味らしい。


 なんだか可愛い。私も使ってみようかな。エセ北海道弁は嫌な気持ちになるだろうか。二人きりになったこの家は以前と何も変わらない。


 オネエ様の傷以外は。


 オネエ様が入院している間、咲那絵さんとどう過ごしていたか聞かれた。思考を巡らせるが、断片的にしか思い出せない。なんて答えればいいかわからなかった。



 どう言えばオネエ様に心配をかけずに済むだろうか。本当はオネエ様が傷ついてしまったことが怖くて仕方がなかった。自分を責めて責めて、傷つけた。



 夜も眠れなかったし、毎日が地獄だった。私の人生にオネエ様のいない世界を想像した。勝手に妄想して、苦しんだ。死にたくなったし、殺してしまいたかった。



 夢の中の自分にも責められて、壊れてしまいそうだった。どう生きればいいのかも分からなくなって、どう償えばいいか……そんなことばかりを考えていた。今だにそれは変わらない。そんなことを伝えるなんて、オネエ様を困らせるだけ。


 それを言って何になるの。


 悲劇のヒロインぶって、お母さんみたいじゃない。

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