第44話 苦しくてあたたかくて

 そう。あの時私がしたことによって、こんな事件に巻き込んでしまったのだ。頭が痛い。私が、私のせい、私、私────!! 座っているのもつらくなって、椅子から落ちて崩れた。息が上手くできない。苦しいよ。もう死んでしまいたい。


 誰か私に罰を与えてください。のうのうと生きている私を殺してください。馬鹿みたいにヘラヘラして呑気に笑っていた私を! 生きる価値なんてないんです。


 どんな顔をして生きろというのですか。存在が人を不幸にしてしまう。壊してしまうんです。私が怖いです。自分自身がこわいのです。



 私が落ち着いた時には、隣にオネエ様の妹さんが居た。お母様も。あれ、私はどうしていたんだっけ。ここは、警察署か。「大丈夫?」と心配そうに、声をかけられる。背中をさすられ、あまりの温かさに涙が溢れ出す。


「ごめんなさい」と何度も何度も謝った。二人は何が何だか分かっていないようだった。それでも私はひたすら謝り続けた。泣き続けた。


 こんな資格なんてないはずなのに、私は弱い。両隣から抱きしめられ、胸が痛む。私が悪いのに、どうして慰めてくれるの。一緒に泣いてくれるの。私はどうすればいいの。


 私がちゃんと話せるようになるまで、寄り添ってくれた。話すのが辛いなら明日でもいいと警察官の人が言う。逃げちゃいけない。ちゃんと伝えないと。事実を。


 私と薫くんであり、影彦くんである彼だけが知っていることを。私は二人にも知ってもらわなければならないと思った。警察官含む三人が私を囲む。優しい声色で「知っていることを話してください」と言われ、私は震える声で話し始めた。



「ストーカーに遭い始めたのは去年の夏頃でした。メッセージや電話が何度もかかってきたんです。こわくて誰にも相談できなくて、何も出来ずにいました。それから仕事を辞めて、帷さんに出逢った。初めて相談しました」



 ストーカーの正体がわかって、話し合いをした。それから薫くんと出逢い、最後に会った時のことまで全てを話した。三人は真剣な表情で黙っていた。私がゆっくり最後まで言い終わるまでずっと。責められるんじゃないかと怖かったが、一生懸命言葉を紡いだ。


 話し終わると、薫くんと最後に別れる直前のビデオを流す。ブツブツと何かを呟く薫くんが映っている。私が話しかける声もちゃんと聞こえた。大切な証拠として採用された。



「私が悪いんです」と言うと、警察官は「貴方は悪くない」と言ってくれた。二人も同じく私を擁護する。何故話を聞いてもそんなことが言えるのか。理解できない。私を責める人が居ないのは辛い。罵倒して、軽蔑してほしい。優しさが私を苦しめる。



 明日オネエ様の主治医が決まって医師から説明があるらしい。二人はこの辺で一泊するとのことだ。私は家に帰ると一人になる。オネエ様と暮らしていた場所に一人。自分のしたことを反省しなければ。


 それと同時にとてつもない孤独感に苛まれる。独りになるのがこわいのだ。どこまでも我儘な私が、心底嫌いだ。一番憎いのは親だと思っていた。今は私のことが一番憎い。自分自身が許せない。許してはいけない。


 そんな気持ちとは裏腹に「置いていかないで」と口走ってしまった。二人は優しく笑って、「じゃあそっちの家に泊まろうかな」と言ってくれた。ごめんなさい。こんな人間でごめんなさい。


 体力が底を尽きてしまったので、タクシーで家へ向かう。自転車は置いていった。後日また取りに来よう。代金を払おうとすると、オネエ様のお母様が頑なに拒否した。結局払ってもらってしまった。



 玄関を開けると、真っ暗な部屋が寂しく見える。いつもはオネエ様が「おかえり」と言ってくれるのに。電気をつけて入る。疲れたな。もうヘトヘトだ。そのまま寝てしまいたかったが、かなり汗ばんでいた。


 順番にお風呂へ入ることとなり、まずは妹さんに入ってもらう。オネエ様のお母様と二人きりになった。ソファへ横並びで腰掛ける。このお方は凛としていて、強い女性だ。よく笑う人なのだろう。目尻にシワができている。それなのに若々しくて綺麗な人。


 多分私の親と同年代かな。オネエ様の目は母親似なのだろう。肩につかないくらいの髪がふわっとしている。スラッとした紺色のテーパードパンツが良く似合う。


「本当大変な思いして、こわかったしょ。私はずっとあの子を見てきたけど……一緒に誰かと暮らすなんて初めてでねー。軽く話は帷から聞いてたんよ。沙蘭ちゃんに会ってみたかったんさ!


 こんな形で会うとは思わんかったけど。ねぇ、私のこと咲那絵さんって呼んでよー。『帷さんのお母様』なんて堅苦しいべさ!」



「さなえさん……私もう帷さんと一緒にいちゃいけないと思うんです。もう耐えられません。これ以上私のせいで彼が傷つくのは見たくない。辛いです。自分が世界で一番憎いです」



「そんなこと言っちゃ駄目だべ……あの子は貴方と出逢って良かったと思うんさ。絶対に。これからも一緒に居てあげて。犯人は捕まったっしょ? 貴方は何も悪くない。何も言わずに離れていかれたら悲しむべさ」



 そんなことを言われたら……泣けてくる。北海道弁かな、咲那絵さんの話し方がとても柔らかい。私は悪くないのかな。そう思っていいのだろうか。今はできそうにない。


 辛くて辛くて、心が苦しいまま。一人で居たらもっと自分を責めていた。二人がそばに居てくれるだけで心強い。そうだ、犯人は捕まった。その間にオランダへ行かないと。私がオネエ様と生きることが許されるなら。



 妹さんがお風呂から上がってきて、咲那絵さんに「したっけ、先に入って」と言われる。サッとシャワーを浴びて早々に上がった。もう夜遅い。そういえば夜ご飯食べてなかったな。今日はいいや。髪をタオルで拭きながらリビングへ向かう。


 咲那絵さんが「そんな急がなくても良かったのにー」と言ってくれた。


「ママのこと名前で呼び始めたんですね。私も呼んで欲しいんだけど。『輪』の左側がいとへんバージョンで『りん』て言うの。てかタメ口でいいですよ。沙蘭さん一個上だし」


「え、じゃあお互いタメ口にしましょうよ。私だけだと話しづらいし。名前でよば……呼ぶね」


「わかった。ねぇ沙蘭姉って呼んでいい? お姉ちゃん欲しかったの。もう私たち家族みたいなもんっしょ?」


「あ、方言出た。綸ちゃんはなんでいつも標準語なの?」


「恥ずかしいもん。伝わらない時もあるし」


「そっか。帷さんから私のことなんて聞いてる?」


「ずっと一緒に居たいってさ。お兄は沙蘭姉のこと大切に思ってるよ。だからこれからも居てあげてね。私とも仲良くしてよ」



 二ッと歯を見せて笑う姿が少し幼く見えた。見た目は大人びているが、可愛らしい人だ。確かにちょっとだけ愛奈ちゃんと雰囲気が似ている。


 私だけ髪が濡れていたので、乾かそうかと提案してくれた。時折私がオネエ様の髪を乾かしていたな。早く元気になりますように。何も起こりませんように。



 咲那絵さんが戻ってきて、綸ちゃんが咲那絵さんにも同じことをした。微笑ましい家族だな。理想の姿がそこにあった。お父様と分かり合えたらいいのに。きっと大丈夫だと思う。この人たちがいるから。三人とも疲れが溜まっていたため、その後すぐに眠った。


 綸ちゃんがソファで寝ると言って聞かなかった。私がそこで寝るべきなのに。咲那絵さんはオネエ様の布団に。私は布団に入ってすぐ深い眠りに落ちた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る