最終章
第42話 事件
仕事が終わって、私服に着替える。さあ、帰ろう。スマホを確認すると、『材料が足りなかったから買いに行ってくる』とメッセージが来ていた。十分前だ。『了解です、今から帰ります』と返事をして駅へ向かった。いつもなら返信が来ているはずだが、既読がつかない。なんだか嫌な予感がする。
最寄り駅に着くと、急いで自転車を漕いだ。マンションの階段を駆け上がり、ガチャッとドアを開けようとした。鍵がかかっている。可笑しい。こんなに時間がかかるはずない。電話をかけようとスマホを見ると、知らない番号が掛かってきた。もしかすると──そうだ、出てみよう。受信ボタンを押した。
「もしもし」
「もしもし? あの、いきなりすみません。兄が……帷……あ、あ、うぅ……」
「帷さんが……どうしたんですか?!」
「刺されて……今病院に……鎌ヶ谷病院です」
「嘘……あぁ……! 生きてますよね?! お願い……」
「意識がなくて……重症ではないみたいです。とにかく来てください」
「っ……行きます!」
私はそう言い放つと同時に電話を切った。怖い。何があったの。死なないで。震えた手で画面を操作する。鎌ヶ谷病院……電車に乗らないと。私は乱暴にポケットへスマホを押し込んだ。
涙をぐっと堪えて走り出した。階段を駆け下り、自転車に跨る。よく散歩しているから、場所は知っている。私は全速力でペダルを漕いだ。はやくはやくはやくはやく……!
オネエ様が包帯でぐるぐる巻きになる想像をする。呼吸も心臓も止まって医者や看護師が集まっている、そんな光景。重症ではない。わかってる。それでも嫌な思考が止まってくれなかった。
遂にボロボロと涙が零れてくる。早く行かなければという気持ちと、現実を見たくない気持ちがぶつかり合う。無事でいて欲しい。私に笑いかけて、まだ一緒に生きていたい。私はもう貴方の居ない世界、そんなの生き地獄だ。私を繋ぎ止める糸が切れてしまう。
私は肺が痛くなるほど、無我夢中に漕ぎ続けた。やっと病院が見えた。あたりは暗くなっている。逸る気持ちのまま自転車を停め、鍵を取って走り出す。入口は閉まっていたので、建物の横へ回ると明かりがついていた。
救急外来の受付だ。中へ入ると警備員のような人が中にいた。息を切らしながら、「結城帷さんの同居人です。救急搬送されたって……」と質問する。
「確認いたします」と言って、その男性はどこかへ電話をかけた。どうやらICUのようだ。受話器を置くと、「ご家族の方が来られるのでお待ちください」と言われた。
一分程でエレベーターからオネエ様の妹らしき人が出てきた。オネエ様と同じ金髪の、かきあげロングヘアを真っ直ぐ下ろしている。メイクは崩れ、目は泣き腫らしたように赤い。
オネエ様に似てハーフのような美人さんだ。唯一目は彼と違ってつり上がっているが。「結城帷の妹です。沙蘭さんですよね」とか弱く質問される。オネエ様はICUで入院することになったらしい。腹部を刺されてそのまま倒れたって。
頭を打った衝撃で脳震盪を起こし、まだ目が覚めていない状態だという。財布の中に私の連絡先が書いてあったため、電話が出来たと教えてくれた。コロナウイルス拡大防止のため、家族しかICUへは入れないとのことだ。
私は帷さんに会うことが出来ない。息はしているし、命に別状はないと言われたが、何が起こるかわからない。もしかしたら、急に状態が変わるかも。どんな姿で今彼は寝ているのか。実際に見ないことにはよく分からないじゃない。私が恋人だったら見れたのかな。ただの友達だもんね。辛いなぁ。こんな時でも自覚させられるなんて。救急外来の椅子に二人で横並びに腰掛け、沈黙する。
再び妹さんが口を開き、「今ママが飛行機でこっちに向かってて……私一人でこんな……うぅ……沙蘭さんが来てくれて良かった」と私の手を握った。その手は僅かに震えていた。入院の書類にサインは出来たが、手術をしたり状態が急変した時の判断は母親に任せるとのことだ。飛行機でここまで二時間かかる。オネエ様の実家は北海道だから。
あと一時間程度で着くとのことで、それまで待つことにした。十分くらいが経過した時、エレベーターから看護師さんが降りてきた。名札にはICUと書かれている。笑顔でオネエ様が目を覚ましたそうだ。私も特別に案内してくれた。病棟の外にはソファが置かれており、待合室になっている。その近くに立って待つ。検査をしに行った帰りらしく、ベッドのままオネエ様が運ばれてきた。
少し話しますかと聞かれ、終わったら声をかけてくださいと離れて行った。オネエ様は病衣を纏い、腕には点滴が繋がっている。飛び散ったであろう血は綺麗に拭かれていて、布団が被さって傷は見えない。「アタシはこの通り元気よ」と力こぶを見せて笑った。
顔色が悪いのに、強がって……安心したのか再び私は大粒の涙を流す。息が上手くできなくて、ヒックヒックと方を揺らした。妹さんも横で泣き始めると、オネエ様が戸惑いながら、私たちの手を握る。温かい。ちゃんと生きてる。本当に良かった。もうダメかと思った。
幸い刺されたのは横腹で、数十針縫う程度で済んだらしい。それでも大きな傷だと思うが、一週間様子を見て退院する予定だという。犯人の顔は隠れて見えなかったそうだ。そんな最低な奴はさっさと捕まってほしい。意識が戻ったから、警察に電話しないといけないって。辛いのにそんなことまで……。
看護師さんに悪いので、数分話して妹さんが声をかけに行った。オネエ様はベッドのまま病棟の中へ押されていく。顔が見れて、少しでも話せたことに感謝しないと。素晴らしい病院で安心する。あとはお願いします……と心の中で呟いた。他に誰もいないからと、待合室で座って待つことになった。すると電話がかかって来て、警察からだ。通話のボタンを押して、耳に当てる。
どうやら犯人が捕まったらしく、私の知り合いのようだった。事情聴取がしたいとのことで、今から来て欲しいと言われた。妹さんを置いていくのは気が引けたが、仕方がない。名残惜しそうに私を見る妹さんに手を振る。私は体力を使い果たしてしまった足で、ゆっくりと歩き出した。時間が経って今足がブルブルと震えている。仕事を終えて全速力で来たからだろう。
鎌ヶ谷警察署まで残る体力を振り絞って、自転車を漕いだ。力が入りにくくて思ったより時間がかかってしまった。五分以上かけてたどり着き、中へ入る。個室に案内され、警察官と向かい合って腰掛けた。目の前の男性警察官は捕まった被疑者が東宮影彦だと言った。私のせいだ。どこから? 私はどこから間違っていたのだろう。
話し合いで解決しようとしたからなのか、ストーカーを放置していたからなのか。もっと他にも自分自身を責める理由はいくらでも見つかる。ああ、どうすればいいの。もう私はそばに居ちゃいけないんだ。苦しい、どうか私を許さないで。
────
感情描写が大分上達したのか、これを読むと淡々としている感じがしました。
今は修正する余裕がないのですみません……公募にかなり魂を注いでまして😂😂
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