第41話 素敵な夏
ぐぅ〜っとお腹が鳴ってしまい、昼ご飯を食べていないことに気づく。岸の方を見ると、既に二人はシートの上に座っている。私たちも戻ろうと、私は浮き輪の中へ入った。行きと同じようにオネエ様が引っ張ってくれる。あっという間に足がついて、陸を目指す。
「おーい」と愛奈ちゃんが手を振る。駆け寄っていくと、「お先に食べちゃってるよ」と実香ちゃんが言った。おにぎりを豪快に頬張っている。お手拭きシートで綺麗にして、おにぎりを選ぶ。中身は食べてからのお楽しみだ。
オネエ様にも手渡す。「いただきまーす」と言って一口かじる。鮭だ。一番好きな具だった。海外に行ってしまったら、こういう美味しい日本料理は食べれないのかな。そう思うと今のうちに味わっておこうと思った。
実香さんに海外移住のことを言うと、「WOW……cool、めちゃくちゃいいと思う。That's amazing! 世界が広がるよ。私も海外に住みたーい! いや、いつか住んでやるー!」と叫んだ。愛奈ちゃんは「ちょっと、私置いてけぼりじゃん!」なんて頬を膨らませる。
愛奈ちゃんが二個目のおにぎりを食べると、「あ、それ食べたいやつ!」と実香ちゃんが言った。バクッと大きなひと口をかじると、「食い過ぎ! なくなるじゃん」と愛奈ちゃんが怒る。
なんだか二人は姉妹みたいだ。カップルと言われないと分からないくらいに。恋人ってそんなものなのかな。いいな、心を許しあえる関係って理想だよね。それだけを言えば、オネエ様と私もそうなのかな。
幸せそうなカップルを眺めながら、今までのことを思い出す。オネエ様に会ってからまだ一年も経っていない。とても長い間一緒に居たような気がして、不思議だ。おにぎりをゆっくり味わっていると、オネエ様が私に言った。「水着姿ステキよ」と。
今言われると思わなくて、むせてしまった。「大丈夫?」と心配そうに背中をさすられる。お茶を流し込んで、息を整える。「オネエ様も」と言うと、「色気……溢れてる?」とポージングをした。それを見て思わず笑ってしまった。「沙蘭ちゃんもやってみて」なんて言われて、私は柄にもなく真似てみせた。お互いおかしくて涙が出るほど笑った。
それから四人で軽くビーチバレーのようなものをして、走り回った。夕方になると、海が茜色に染まる。疲れてヘトヘトになった私たちは、そんな海と空を眺める。今日を噛み締める。思いっきりはしゃいだな。青春したなぁ。明後日からまた仕事だ……ダメダメ、今はそんなこと考えないでいよう。
「また来ようね」と約束をして、帰る支度を始めた。無料のシャワーを浴びて、トイレで着替える。カピカピになった髪がびしょ濡れになる。誰が見ても、海に行ってきたことがわかる。ここを離れるのは惜しかったが、充分満喫した。バイバイ、九十九里浜。
帰りの車は静かだった。オネエ様は行きも運転してくれたのに、帰りも同じく運転席に座った。後ろで二人は頭を傾け合って爆睡している。休憩しなくていいのか聞くが、「体力に自信はあるのよ」と二時間ぶっ通しだ。家に着くと夕食の時間だった。二人はホテルで食事にするということで、お別れした。私たちは昨日の残りを。今日楽しかったことを話して、余韻に浸る。短くも長い一日が終わった。
海へ行って以来、二回目のお出かけの日になった。オネエ様と浴衣で花火を見に行った。焼きそばやたこ焼き、りんご飴やかき氷など色んなものを食べた。値段は高かったけれど、いい思い出になった。真っ暗な空に光る花火はとても綺麗だった。心臓にまで響く音も心地よかった。
淡色の浴衣を着たオネエ様は儚く輝いていた。オネエ様の女装姿も素敵だが、やはり私は男性の姿が好きだ。私が異性として見ている証拠だと思う。彼の細くて長い指や、少し筋肉がついた腕、浮き出る鎖骨。クッキリとした顎のライン……書ききれないくらい、彼の見た目の全てが愛おしい。
いつも包み込んでくれる温かさや、感情豊かなところ、寂しがり屋なところ。オネエ様は誰よりも人間らしい。嫌なところが見つからないくらい、私はもうゾッコンになってしまった。この気持ちを隠すのには慣れた。大事にされるだけで充分幸せだ。私は世界で一番の幸せ者だ。
私たちは海外移住に向けて、日々を過ごしている。オネエ様とならどこへでも行ける。英語の勉強や、オンライン英会話も始めた。住む国はオランダ。オランダ語が話せなくても、英語を話せる人がとても多いのだ。日本人のように本音を話さず陰でコソコソ悪口を言うこともない。
思っていることは言わなければ分からないというスタンスだ。価値観の押しつけがなく、いい意味で他人に興味がない国民性らしい。良い反面、全て自己責任という意味にもとれる。その方が良いのかもしれない。
日本人は就労ビザが取りやすい。オネエ様も私もフリーランスでやって行くつもりだ。私は日本人というブランドを活かして、家事代行サービスをする。今は雇われているが。そんな個人事業主のビザだが、取る条件が非常にレベルが低い。少額の資本金でいいのも助かる。
オネエ様は英語が話せるので、私の準備のせいでしばらくかかりそうだ。早く話せるようになりたくて、毎日取り組んでいる。オネエ様は急がなくていいと言ってくれているが、本気でやりたい。没頭できるものが初めて出来て、やる気がみなぎっている。生きる活力にもなっているし、何より楽しい。オランダで生活するのを想像するとワクワクする。
一日が意外と長く感じるようになった。オネエ様と出逢うまでは、同じ毎日の繰り返しだったから。新しいものに触れるとそうなるものなのかと、初めて知ることが出来た。
夏休み期間が終わり、九月になった。学生なら学校が始まる頃だろう。ストーカーだった影彦くんは、バイトを初めてから徐々に社会性をつけていったそうだ。東宮くんからは定期的に報告の連絡が来る。最近また引きこもりがちになったらしいが、そこまで問題はなさそうだという。
薫くんからは特になんの連絡もないし、申し訳ない気持ちは消えないが……とりあえず安心している。今日は夜まで仕事の依頼があるので、オネエ様が料理をしてくれるらしい。基本九時から十八時でお願いしているが、日によって前後する。この仕事を初めて褒められることが多くなり、自信を持つことが出来た。やりがいが持てる仕事と、英語の勉強。充実した日々だ。
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