第40話 海へ

 思っていたより人は居なかった。今まで海の家が夏季には開設されていたらしいが、見当たらない。お弁当を持ってきたから問題はないか。海辺にレジャーシートを引いて荷物を置く。


 早速私たちは海の中へ入っていった。愛奈ちゃんと実香ちゃんが楽しそうに水を掛け合っている。これが青春か……とふと思う。


 正直今のオネエ様は目のやり場に困る。男の人だから当たり前なのだろうが、上半身裸だ。綺麗に縦のラインがくっきりしたお腹。白い肌が太陽の光で眩しい。微笑ましい光景を眺めていると、オネエ様が私に水をかけてきた。


 彼の方を振り返ると、悪戯な笑顔をしている。私もオネエ様に向かって仕返しをした。キャッキャッとお互い笑いながら繰り返す。



「もっと深くまで行きませんか?」


「いいわよ。アタシ泳ぎは得意なの」


「えぇ?! 私は泳げないので浮き輪で……」


「アタシが引っ張ってあげる!」


「いいんですか? じゃあお願いします」


 二人の邪魔をするのもいけないし、オネエ様と二人っきりになりたいのもあった。私の水着、どう見えてるかな。いつもと変わらない接し方にもどかしさを感じる。意識しているのは私だけなのがよくわかる。浮き輪に入って歩いていく。


 どんどん深くなっていき、ついには足がつかなくなった。オネエ様に引っ張られて進んでいく。後ろを振り返ると、皆が小さくなっている。


 遠くで二人がはしゃいでいる。「この辺でいいかしら」と進むのを止めてプカプカと浮かぶ。彼は浮き輪に捕まらなくても顔向けに寝そべる。


 上半分だけ水に浸かっていなくて、本当に泳ぎが上手いんだと思った。私は怖くて出来ないから。


「ねぇ、沙蘭ちゃんも泳いでみない? アタシに掴まっていればいいし……」


「ど、どうやればいいですか?」


「外へ出てきて貰えるかしらぁ?」


「は、はい!」


 私は息をめいいっぱい吸って、鼻をつまむ。ドボンと潜り込み、浮き輪を伝って顔を出した。抱きしめるように掴んで浮く。離すのは無理だ。髪の毛がペチャンコになってしまったので、前髪を整える。メイク落ちてないかな。濡れているが擦ることは出来ない。むず痒くてブルブルと犬のように顔を横に振る。


 オネエ様はその場で泳ぎながら、そっと手を差し出した。ドキドキと鼓動が高鳴る。手をとると身体が沈んでいきそうな感覚になり、怖くて抱き着いてしまった。


 オネエ様は上裸で、私もお腹を出している。素肌同士が触れ合って、顔が熱くなる。丁度くっついているから顔は見えない。オネエ様は優しく私を抱きとめ、さらに密着する。「大丈夫」と耳元で囁かれて、おかしくなってしまいそうだ。


「海の中実際に見たことある?」


「な、ないですよ……泳げないし、海に来ることはほとんどなかったので」


「やだ、勿体ないわねぇ〜。アタシに捕まってていいから、このゴーグルを付けてみて」


「や、やってみます」


 オネエ様は首に引っ掛けていたものを私に手渡した。顔が近い……目が合わせられない。ダメダメ、今はそんなことを考えてはいけない。渡されたのは、学生の頃付けていたものとは少し違っていた。メガネの部分が繋がっている大きなゴーグルだった。シュノーケルの、口に加える部分がないバージョンみたいだ。


 付けるためには、手を離さないといけない。どうしようか考えていると、オネエ様は浮き輪を寄せてきた。片腕でしがみつきながら、装着できた。片手で付けるのは難しかったが、オネエ様も手伝ってくれた。


 オネエ様は「少し息を吐きながら潜ったら鼻に入らないわよ」と教えてくれた。鼻をつままずに入るのは怖かったが、試してみよう。私はオネエ様の手をとり、息を吸った。ゴボゴボと水の音が耳に響く。


 ホントだ……鼻に入らない。私が怖くないように、オネエ様も一緒に潜ってくれた。鼻からいくつか空気の玉が出ている。



 周りを見渡してみると、ゴーグル越しに見えた水中の景色は息を飲むように美しかった。外から見る海とは全然違っていた。鮮やかな青だった。澄み切っていて、魚が元気に泳いでいる。画面越しに見ても綺麗だったのに、これは……言葉で言い表せない。ずっと見ていたいくらいだ。


 息が苦しくなってきて、顔を出す。一気に空気が入ってくる。「もう一回見てもいいですか?」と聞くと、「もちろんいいわよ」と嬉しそうにオネエ様は答えた。何度も何度も繰り返し見ていると、気持ち悪くなってきた。残念だが、もうやめた方がいいだろう。



「海の中ってこんなに澄んでいるんですね」


「そうよ。自然はどれも違った美しさがあるわよねぇ〜……ねぇ沙蘭ちゃん。海外に住んでみない? その……車でも話してたでしょ?」


「私も言おうと思ってました! もっと色んな価値観とか、文化に触れたいです。日本は『普通』を求められるから……生きづらいのかも。今は楽しいですけど、このままずっとこの国にいるのは……窮屈かも。もっと自分を変えたいです」


「そう。それはいい事よ。凄く……親がまた何かしてくる可能性もあるしねぇ〜。違うなって思ったら、帰ってくればいいし。とにかく行ってみないことにはわからないわよね。これからどの国に行きたいか一緒に考えましょ! やることは山積みよぉ〜!」


 海外移住……となると、ビザの取得とか、英語をある程度話せるようになっておくとか、準備が大事だよね。大変だろうけど、それは覚悟しないと。何にもしないで幸せになれるなんてことないんだから。大丈夫、オネエ様と一緒なら。今の私は何にでもなれる。まだ二十二歳、夢に向かって突き進め! なんて、暑苦しいかな。それでも楽しい。


 目標があるっていいな。想像で終わらせない。そんな難しいことでもないんだから。勇気を出すんだ、私。やれることは全部やらないと。私は変わったのだから。


 ぐぅ〜っとお腹が鳴ってしまい、昼ご飯を食べていないことに気づく。岸の方を見ると、既に二人はシートの上に座っている。私たちも戻ろうと、私は浮き輪の中へ入った。行きと同じようにオネエ様が引っ張ってくれる。


 あっという間に足がついて、陸を目指す。「おーい」と愛奈ちゃんが手を振る。駆け寄っていくと、「お先に食べちゃってるよ」と実香ちゃんが言った。おにぎりを豪快に頬張っている。


 お手拭きシートで綺麗にして、おにぎりを選ぶ。中身は食べてからのお楽しみだ。オネエ様にも手渡す。


「いただきまーす」と言って一口かじる。鮭だ。一番好きな具だった。海外に行ってしまったら、こういう美味しい日本料理は食べれないのかな。そう思うと今のうちに味わっておこうと思った。

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