第39話 新居

 二時間以上かかって鎌ヶ谷市に到着した。私たちが住むのは六階建てのマンションの二階だ。階段で登ることを考えるとかなりいい場所だ。業者の人にエレベーターで荷物を運んでいってもらう。


 ダンボールに直接中身の内容をざっくり書いていたので、それを見て『ここに置いてください』と指示をしていく。全ての荷物が中へ入り、作業が終了した。ダンボールだらけの部屋……これが引っ越しか。



 間取りは前のマンションと少しだけ違う。リビングを挟むように部屋が分かれていたが、今回は隣同士。

 そろそろお昼を過ぎた時間になっていたので、二人で外食にする。


 そういえばオネエ様と外で食べるのは初めてかもしれない。私が料理するのが定番だったので、わざわざ行こうとはならなかった。出前を頼んだことは数回だけあるが。


 引越し祝いということで、近くの回転寿司に行った。久々に来たからとてもワクワクしている。横を通り過ぎていくお寿司を眺めるのは楽しい。サイドメニューも充実しているから、充分贅沢だ。


 ついついお腹いっぱい食べてしまった。歩いて来たからそのまま散歩をする。新しい場所へ来たのだから、全ての景色が新鮮だ。自由を手に入れたような気がして、足取りが軽い。飛び跳ねてしまいそうなくらいだ。


 オネエ様は私を見て「ホント楽しそうねぇ〜」と目尻を下げる。降る雪がキラキラして見える。落ちてくる粒を手のひらで受け止める。じわっと溶けていく。積もるほどではない量の雪は、とても優しく見えた。私たちを迎えてくれる温かさを感じた。




 それから私は家事代行サービスの会社でバイトを始めた。休職中は傷病手当金を貰うことが出来ていたので、ある程度余裕ができた。親にほとんど持っていかれていたので、やっと貯金し始めたのだ。また仕事が出来なくなっては心が持たないので、週三日からゆっくり慣れていく予定だ。研修期間の後、先輩の仕事に同行してから自立するという流れになっている。


 ただ家事をすればいいと思うと気持ちが楽だ。人の家に行くのに抵抗がある人が多いらしく、需要も高まっている。自分が必要とされている実感が持てるのだ。実際にお礼を言われることもやりがいが持てる。


 家事自体苦ではないし、自分に合っていると思う。前の仕事ではミスをする度に焦ってしまって、またそれを繰り返す。そんな負のスパイラルに陥っていた。周りに気を遣いすぎてしんどくなっていたし、集団の中は向いていないのかも。


 海外だと日本人の丁寧さは重宝されるだろうから、それもありかもしれない。オネエ様はいつか移住がしたいと言っている。この国よりもっと生きやすい場所があるなら……そこへ行ってみたい。


 もっと広い世界が見たい。そう思えるようになった。ここへ来て自分がより前向きになっている気がする。




 引越して半年が経ち、仕事も板に付いてきた。週三から週五になり、派遣社員から正社員へ。会社は変わったが、やることは変わらない。エレベーターに乗れるようになった。電車にもひとりで乗れるようになって、活動範囲も広がった。


 基本は自転車で行けるところだが、やっと皆と同じように生活できるようになったと感じる。精神科は特に相談事もないので、ただ現状報告と薬を貰うくらいだ。親からの干渉は今の所ない。連絡は未だに途絶えないが、会いに来ることもない。こんなに長い間平和に過ごせるなんて。



 もう季節は夏になり、蒸し暑い日々が続いている。水着を買って、今度海に行く予定だ。梅雨も明けて夏休みらしいことをすることになっている。花火大会に行って浴衣で出かけるのも楽しみだ。私は今一番の人生を謳歌している。



 ついに私たちは海へ出かける。朝早く起きて準備をした。オネエ様はいつもと変わらない時間に起きた。愛奈ちゃんとその彼女も一緒に行く予定だ。愛奈ちゃんに恋人が出来てから、会えていなかった。一旦こっちへ来てくれるとのことだ。合流し次第車で向かう。


 水着は通販で買った。試着して思った通り可愛いものが買えた。オネエ様にドキッとして貰えたらいいな。服の下に着ているから、着いたら脱げばいいだけ。浮き輪に空気も入れて、準備は出来ている。



 時間は朝の九時になり、二人がキャリーケースを持って駅に来た。オネエ様と駅まで迎えに行き、家に二人の荷物を置く。愛奈ちゃんの髪は相変わらず綺麗な薄いピンク色だ。露出度高めのデニムパンツから、程よい肉付きの白い脚が魅力的。そんな格好を見るだけで夏を感じる。



 さあ、いよいよ出発! いつもオネエ様と私だけで乗っていた車内が賑やかになった。愛奈ちゃんの彼女さんはアメリカンな雰囲気だ。少しプリンになった金髪を、無造作に上の方で丸めている。海外女子のお団子ヘアみたいだ。メイクをしていないのに、彼女は堂々としている。とびきり美人ではないが、どこか惹かれるものがある。羨ましいな。


 私は昨日の夜眉毛ティントをして、お湯でも落ちないメイクをバッチリ決めているのに。名前は『実香』だって。彼女は名前の通り生命力を感じさせる人だ。



 二時間の長い旅は賑やかであっという間に終わった。実香ちゃんは最近留学したらしく、時折英語が会話に混ざる。海外に行くと心が入れ替わるらしい。私はまだ行ったことがない。高校は公立だったし、家族で旅行なんて滅多にない。


 海外に行く話すら出たことがなかった。いつかオネエ様と海外移住がしてみたい。早くその時が来ないかな。絶対行こうと約束したから、それがもっと楽しみになった。私の大きな夢のひとつだ。




 辿り着いたのは九十九里浜の矢指ヶ浦海水浴場。せっかく千葉県に住んだのだから、一度は行ってみたかった。特にここは無料のシャワーがある。ライフセーバーの方もいるので安心だ。人は多いだろうが、今日は構わない。



 私たちは早速服を脱ぎ、浮き輪を持って走り出した。愛奈ちゃんが目の前でジャンプした。本当に楽しそう。私も……愛奈ちゃんに続いて、人生で初めて飛び跳ねた。今までの私はテンションがどれだけ上がっても、そんなことはしたくなかったのだ。恥ずかしかったから。


 でも今は何故かこの気持ちを、全身で表現したくなった。皆テンションが高くて、そんな行動は変に見えない。

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