第25話 初詣

 リビングへ戻ってきたオネエ様は目を瞑ったままパンを食べ始めた。あと三十分で車を運転しないといけないが、大丈夫だろうか。


 私が運転出来ればいいのだが、私は免許を持っていない。親が運転してくれていたし、必要ないと言われていたからだ。取るのにお金と時間もかかるから、未だに無免許のまま。


 白湯を入れて身体を温める。どうすればオネエ様の目が冴えるかな。少し驚かせてみる? 驚かすのを利用してスキンシップが取りたい。


 私の下心という名の悪魔が囁いてくる。こういう時しかタイミングが無いんだから大丈夫だって。欲に勝ちたいのに……遂に私は負けてしまった。


「どーん」と言って座るオネエ様の後ろから抱き着いてみる。「わぁっ!」と声を裏返らせ、オネエ様は耳まで赤くして口を抑えた。



「目、覚めました?」

「さ、覚めたわ……」


 流石に恥ずかしいよね……私もそれが移ってしまい、ゆっくり身体を離す。顔が熱くてパタパタと仰いで熱を逃がす。


 そのまま部屋へ戻り、服を着替えて気を紛らわせる。下心がバレないように、自分の胸が当たらない程度でやったつもりだ。


 それでもあんな反応をされたら、こっちも照れてしまう。一人の女として見てくれているのだろうか。なんて……そんな訳ないのに。


 さあ、もう行かないと。すっかり目が冴えたオネエ様は、何も無かったみたいにケロッとしていた。車に乗って高尾山へ向かう。


 一時間もかからない距離を走る間、元気な洋楽が流れる。オネエ様のテンションも上がっていき、私も楽しくなっていく。



 高尾山について、二時間かけて山頂を目指す。険しい道ではなかったけれど、体力が無いからか結構疲れた。日の出の七時前に間に合うことができて良かった。運動したあとに見る山頂からの景色は特別に見えた。


 そして遂に、日の出が……太陽がひょっこり顔を出して世界を照らす。茜色の空が暖かく私たちを包み込む。今まで見た景色で一番綺麗だった。


 横に立っているオネエ様を見ると、真っ直ぐ目を輝かせて日の出を凝視している。輪郭がハッキリとした美しい横顔が見えた。


 私は急いでスマホを取り出し、ノーマルカメラでパシャリと一枚撮影した。


 この瞬間のありのままの映像を撮りたかった。バレてもいいから、とにかく納めたかった。


 音で気付いたオネエ様がこちらを見て笑う。


「日の出より美しかったので」


「アタシの魅力ってば、困っちゃうわぁ〜」


 オネエ様はそう言ってセクシーなポーズを取った。


「ねぇ。沙蘭ちゃんと一緒に暮らすようになって、朝起きたら先に起きているでしょう? 誰かが居るって幸せなことよね。今もこうやって二人で日の出を見てる。アタシ……朝日が一番好きになったわ。相変わらず起きるのは苦手だし、寝ぼけちゃうけどねぇ〜」


「そうですよね。オネエ様のお陰で日常が特別になりました」


「アタシもよ」


 私は日の出に向かって心の中で願い事をする。来年も再来年も、毎年オネエ様と年を越せますように。そして、ずーっと一緒にいられますように。






 オネエ様と日の出を見に行った次の日のこと。いつものように薫くんと散歩をする。週に一回会うのが当たり前になっていた。


 大学生だし、授業時間はバラバラだ。いつも授業が遅い日にこうやって会いに来てくれる。どこに住んでいるのかはよく分からないが、近くに住んでいるらしい。


 最近何にハマっているかとか、たわいもない会話で盛り上がる。不思議と薫くんとの会話に困ることは少ない。波長が合うからなのか、何なのか……違いがよく分からない。それでも彼と居ると居心地がいい。


 オネエ様や愛奈ちゃんと何をしたとか楽しかったことをついつい話してしまう。つまらないだろうかと後から後悔するが、退屈そうな姿は見たことがない。


 私の話にちゃんと興味を持ってくれる。最初は敬語で話されていたから、少しお互いぎこちなさがあった。ほとんど歳は変わらないから、タメ口で話してもらっている。


 私が敬語ならなんとも思わないのに、敬語で話されると壁を感じてしまうのだ。皆そうなのだろうか。自分の吐く白い息を呆然と見ながら薫くんの話を聞いていると、薫くんが突然聞いてきた。


「沙蘭さんは今一緒に住んでる人のことが好きなの?」


 こてんと首を傾げ、寒さで赤くなった頬と鼻があざとさを増す。母性がくすぐられるようなそんな姿は、女性の心を掴むのだろう。


「え? 違うよ。ただの友達」


 今の私はちゃんと笑えているだろうか。自分が発するその言葉に心が抉られる。こんな程度で傷ついてどうする。これから先は長いのに。


「そうだよね。だって一緒に暮らしてて何も無いなんて、恋愛感情がある訳ないもん。男女でしかも恋人じゃないのに二人で暮らすなんて変な話だけど……いつまでとか決まってるの?」


「はは……そうだよね。決まってないけど、なるべく長くそうしていたいな」


「もう相手は二十代後半でしょ? そろそろ結婚も考える頃だし、そんなに長くは無理なんじゃないかな。沙蘭さん素敵だからすぐいい人が見つかるよ。僕を好きになるとかね」


「なにそれ、冗談やめてよ〜!」


「冗談じゃないよ。真剣なんだけどな。僕じゃ駄目かな……頼りない? 僕なら幸せにできるよ。寂しい思いさせないし、一人にしない。


 不安ならずっと一緒に居てあげる。女の人と連絡取るなって言われたら取らないし、家から出るなって言われたら出ないよ。嘘じゃないよ、約束する」



 なんだか今日の薫くんはおかしい。私を覗き込むようなその目が怖い。背中がゾクッとするような感覚が走る。


 自分は普通の感覚を持っていないと思っていたが、私を超える何かが奥底に眠っているような気がした。



 私の本能が警告する。この人と恋愛をしてはいけない……と。


 彼の歪みに安心していたのだろうか。そうでないと思いたい。


 いや、私は……オネエ様に対して異常なほどの執着がある。薫くんと何が違うのだろうか。目の前に見えるのは自分の投影か? 私の歪みに彼は気づいている? 




 もうよく分からない。




 恋愛は似たもの同士が上手くいくと聞いたことがある。メンヘラはメンヘラ同士で依存し合えば……私はメンヘラなのかな。普通が何かも分からなくなってきた。



 気まずくなってしまって、薫くんが謝ってきた。


「僕っておかしいよね。普通に恋愛できたら幸せなのに」


 いつの間にか恐怖は消えていて、慰めたいと思った。私もそうかもしれないと言うと、「嬉しい」とコロッと表情を明るくさせる。


 もういいや。考えるのはやめよう。私は高校時代から恋愛ができなくなったことを話した。


 だから、


「薫くんを好きになれないと思う」



 これなら誰も傷つかずに済むよね。私のオネエ様への気持ちは……言わなかった。



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