第16話 愛奈さん

 そうして二回目の受診の日になり、主治医に家出したことを伝えると、治療する上でとても素晴らしいことだと言って貰えた。


 家出する前にまた発作のようなものが出てしまったことを言うと、閉鎖的な環境が全部ダメになったかもしれないとのことだ。


 オネエ様が運転する車の中は平気だったけれど、電車はどうなのだろうか。今は乗らない方が良いと言われたので、暫くは試せないな。


 挑戦したいという意欲は素晴らしいが、今休息が必要な時に無理をするのはいけないと言われた。抗不安薬は発作が起きそうな時に飲むことになった。


 お守り代わりにもなるだろう。また来週までこれまで通りゆったりとした日々を過ごそう。前回の初受診とは打って変わって、笑顔で診察室を出た。


 流石に付いてきてもらうのは申し訳なかったが、オネエ様の家からは遠いし、送ってもらうしかなかった。帰りも同じく車の助手席で揺られて帰る。


 明日は交流会があるらしく、一日お留守番をすることになった。


 クリエイターが集まって交流を深める場らしい。営業をかけたりかけられたりするから、仕事の一環みたいなものだって。


 知り合いのクリエイターさんと昼食を食べてそのまま向かうから、昼前から私は一人になる。いつも家事全般私がやって、オネエ様が仕事の日はずっと部屋から出てこないのだけれど、居ないと言うだけでなんだか孤独に感じる。


 出かけられないし、寂しくなるなあ。


 次の日になって、オネエ様が交流会へ行った後のことだった。お昼ご飯を食べたあと、ゆったり過ごして十四時になるところ。


 オートロックなのに、ピンポーンとドア前から押される呼び鈴の音が鳴った。


 玄関の覗き穴から確認すると、愛奈さんだった。薄いピンク色の長い髪を真っ直ぐ下ろしてマスクを付けている。恐らくすっぴんなのだろう。


 入れるなって言われたけれど、何度も鳴らされるし「おーい」と呼ぶ声もする。さすがに可哀想に思って、ドアを開けて顔だけを出す。


「帷いないよね! てか沙蘭ちゃん、想像以上に可愛すぎるんだけど!」


 愛奈さんは左手でマスクを抑えながら、そんなことを言った。少しだけ長い爪は可愛くキラキラとした装飾がついていて、今どきの女子って感じがする。


 少し低めの声にギャップを覚えた。


「オネエ様に入れるなって言われてるんですけど……」


「知ってる。お願い、入れて?」


 声を高くして潤んだ上目遣いで見られるもんだから、渋々中へ入れてしまった。


「お邪魔しまーす!」


 愛奈さんはズカズカリビングのソファへ進み、ドカッと勢いよく座った。少し苦手なタイプかもしれない……。


「大荷物、ですね」


「あーこれね、おやつとジュースと化粧ポーチが入ってんの。折角来たんだしと思って。今日はちょっとだけおやつ食べる!! 体型維持するために我慢してるけど、たまには食べないと死ぬ」


 愛奈さんは嬉しそうに次々とカバンからおやつを出していく。


 愛奈さんが持ってきたのは、ポテチやチョコだった。今まであまり食べてこなかったもの。食べるか聞かれたので、勢いよく首を縦に振る。愛奈さんがポテチの袋を開けようとしたところで、


「やばい、手洗ってない!」


 と急いで洗面台へ駆けていった。私は貰った100%りんごジュースを二つのコップに入れて、ソファ前の机に置いた。


「ふぅ〜。コロナいつ終息すんのかな〜。一回罹ったけどさ、家から出れないとかしんど過ぎたわ。ちょっと待って、ジュースありがとっ! でもまじで気使わなくていいよ」


 手を洗い終わって戻ってきた愛奈さんは、表情をコロコロ変えながらポテチを机に広げた。


「沙蘭ちゃんってポテチ何味が好き? のり塩買ってきちゃったけど、歯につくの気になる人? てか呼び捨てでもいい?」


「実はのり塩が一番好きです……呼び捨てでもいいですよ。愛奈さんですよね」


「よかったー。歯磨けばいいから。それに家ん中だし。あ、名乗るの忘れてた。ごめんね〜! 帷からなんて聞いてる?!」


「可愛い女の子が好きだから、気をつけてって……」


「何それ〜危険人物みたいじゃん! そんな急に襲ったりしないって〜。めちゃくちゃタイプだし仲良くしたいもん。てか沙蘭今すっぴんだよね? 私も同じすっぴんなのに透明感違いすぎぃ〜まじ可愛い天使っ! って私初っぱなからうるさすぎない?!」


 話題が急に変わるからついて行けない。嫌な人では無いし優しい人なんだろうけど、自分全開って感じがして羨ましくもあり、ずるいと思ってしまう。顔色を伺って自分を隠すことなんて知らないのだろう。


 くるんと上がったまつ毛や、所々にあるホクロが色っぽくて大人の魅力もある。何もかも持っている人なんじゃ? 


 私ってば何てことを考えているんだろう。最低だよ。こんな自分が嫌いだ。だから嫌われるんだよ。


 オネエ様にもいつか愛想つかされちゃう。友達も離れていったじゃない。


 家族を捨てた私に、何が残るの?


「沙蘭はさ、帷といて楽しい?」


「私には勿体ないくらいです。何故こんなに良くしてくれるのかわかりません」


「……そっか。私も家出したんだけどさ、後悔してない。とりあえず今楽しけりゃいいじゃん! なんでなんでって考えても仕方ないし〜ラッキーって思えばいいじゃん? とにかく帷はいいヤツだからいっぱい頼りな? 女同士のことは、私に相談しなよ! 呑みに行くくらいしか予定ないし〜。あ、でも昼夜逆転してるから昼以降でよろしく!」



 ああ、オネエ様の周りは明るいな。愛奈さんのことを少し勘違いしていたかもしれない。今は明るくて自由に振舞っていても、過去に何があったかなんてわからない。私に過去を話してくれたことは、なにか意味がある気がする。


 気軽に話せる内容ではなかったから。愛奈さんもオネエ様のように、温かい人だと思う。苦手だったのが嘘みたいに無くなって、もっと仲良くなりたい。そう思った。


 自分は単純なのかもしれない。こんなことで気持ちが変わるなんて、可笑しいかもしれない。


 でも、この人のことを信じたいと思う。オネエ様の大切な人でもあるのだから。

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