第15話 フラッシュバック

 私が素敵な人だって? そう思っていいの? 少し泣きそうになったけど、堪えた。車の窓の外を見て。


 そうしているといつの間にか庭園に着いていた。車を降りて、オネエ様の少し後ろを歩く。オネエ様はたまにここへ来るらしい。お気に入りの場所があるから行こうと言われてついて行く。


 風を浴びて、光を帯びる金色の髪に魅入られる。このまま遠くへ行けたらいいと思ったけれど、目的地はすぐそこにあった。フランス式庭園で、中央に噴水とそこから流れる水が真っ直ぐ奥まで続いている。


 両脇にカラフルな花が囲み、とても美しい。ロマンチックな感じがする。花の外側にイスが所々にあり、二人で座ってみた。


「綺麗ですね」と呟くと「でしょ? 日本じゃないみたい」とオネエ様は前を向いたまま話した。いつもの優しい目をしていた。


 それから思う存分楽しんだあと、スーパーへ行って食材を買った。今日は餃子にしよう。ニンニクがたっぷり入ったやつ。エレベーターに乗れなくなったから、階段で部屋まで向かうのがこれから当たり前になりそうだ。


 オネエ様はエレベーターで行けばいいのに、運動になるからと言って一緒に階段を使ってくれた。家に帰ってニラやキャベツを切っていく。軽快なリズムで鳴る音が心地良い。


「凄ぉ〜い」と言ってパチパチと控えめに拍手するオネエ様を横目に、切り終えた野菜をボウルへ入れていく。


 味付けを指示しながら、オネエ様が「次は?」と毎回聞いてくれることがすごく嬉しい。少しよそ見をしてしまい、軽く指を切ってしまった。


 血が指からツーっと流れていく。それをただマジマジと見ていると、オネエ様が私の手を掴んで水に流す。


 血……そうだ、あの時。母の機嫌が悪いときに一緒に料理をしないといけなくて、誤って切ってしまったことを思い出した。鈍臭い私を見て声を荒げ、さっさとしなさいと言われて……なんだっけ。


 何でああなったんだっけ。


 包丁を私に向けて



「一緒に死ねば楽かしら」



 って言われて、怖くて怖くて堪らなくて……

 それで……ああ、怖い。



 こわいこわいこわいこわいもうやめて出て行って!!!!


 血走った目で私を見る母の顔と、ブルブル震えながら構えられた包丁。怖くて声が出ない。足が震えて動かない。逃げないといけないのに、どこへも行けない。殺される。死にたくない。



「────ちゃん! 沙蘭ちゃん!!」



 あれ?今私はどこにいるの? オネエ様に抱きしめられて、いつもの透き通る男性の声が聞こえてやっとここが実家ではない事に気が付いた。


 力が抜けて、オネエ様にしがみつく。「もう大丈夫」と繰り返されて、糸が切れたように泣きじゃくる私をただひたすらに受け止めてくれる。


 いつの間にか私の左手にはティッシュが握らされており、血が滲んでいる。オネエ様は私が泣き止むまで背中をさすってくれた。


 少し恥ずかしくなって、ぐしゃぐしゃにメイクが崩れた顔を洗いに行く。洗面所の鏡に映った私は痛々しかった。メイクをそのまま落として、スキンケアをする。


 いくらかマシになったけれど、目は充血したままだ。こんな顔だけど、メイクをし直す気力は残っていない。既にすっぴんを見られたのだから、今更そんなことをしても意味はないだろう。


 キッチンへ戻ると、コンタクトを外して眼鏡をかけたオネエ様が居た。泣いたのだろう。目が充血しているのは隠せていない。彼はそれを隠したくて、そうしたのだろうと思うと触れられなかった。


 私は気付かないふりをして、野菜を切ろうとするもオネエ様が代わりに包丁を握る。「アタシに任せて」と一言だけ言って、ぎこちなくキャベツを切り始めた。私は味付けをしながら、大きさがバラバラなキャベツを見て笑った。


「バラバラでも包めば分かんないわよっ!」なんて言うから、オネエ様らしいなと思う。タネが出来たので、キッチン横のテーブルに座って包んでいく。



「オネエ様。さっきのアレ、フラッシュバックだと思います。辛い記憶と似た状況になると思い出してしまうんだそうです。思い出す度に辛い思いを上書きして、どんどん大きくなっていく。もっともっと恐ろしい記憶になるんです。家を出ても克服するのはかなり難しいんですって。克服しても、時折フラッシュバックするって」


「本当に呪いみたいね……大丈夫、アタシがそばに居るわ。辛くなったら抱きしめて、大丈夫って言い続ける!」


「オネエ様も辛くなっちゃいますよね。共感力高いもん」


「そうね。そうだけど、辛いことは半分こしましょう? アタシが辛くなったら抱きしめてくれるかしら?」


「もちろんです! 任せてください。あ、臭かったらすみません」


「あははっ! 何よそれ〜! それはアタシのセリフよ。沙蘭ちゃんはいつでも、いい匂いだものっ!」


「本当ですか? よかった……オネエ様もとってもいい匂いです」


「あ〜よかった! 男臭いって思われてないか心配してたのぉ〜……あ、嘘はつかないでよぉ?!」


「ふふ、ついてませんよー?」


 明るい空気になった。楽しい思い出に上書きできたと思う。ニンニクの臭いが充満してオネエ様の香りが分からなくなるくらいだったけれど、ワクワクしている。


 実家で焼く餃子は物足りなかったから。餃子を包む間も笑いで溢れる時間が流れた。全てを包み終わって残った具材でスープにする。焼くのは私が、スープはオネエ様に任せた。


 綺麗な羽根付き餃子が大量に出来てしまったので、あとは冷凍することに。オネエ様は餃子をマヨネーズとポン酢、ラー油をぐちゃぐちゃに混ぜた物に付けて食べるらしい。私はやったことがなかったので、挑戦してみた。


 一口で餃子を口に放り込んでみると、今まででいちばん美味しかった。この食べ方もこれからしようと思う。本当に幸せな一日だった。


 親に腕を掴まれたり、同級生に会ったり、フラッシュバックしてしまったり……色んなことがあったけれど、それを踏まえてもいい日だと思えた。


 どんどんオネエ様を好きになっていく。この気持ちは隠していこう。バレないようにしないと、この関係が崩れてしまう。その方が辛いから、気持ちに蓋をしよう。

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