第11話 ありがとう


 ココアが飲み終わる頃に鍋が出来上がり、痛かった頭もすっかり良くなった。お皿を出したりしようとすると、


「休んでって言ったじゃない!」

 と制止される。どうにかして何か役に立ちたい。もう元気になったから少しくらい手伝わせて欲しいと頼み込むと、しぶしぶ折れてくれた。


「じゃ〜んっ」

 オネエ様はお鍋をキッチン横のテーブルへ乗せてくれた。パカッと蓋が開けられて、香りがふわっと鼻を抜ける。


「これって、柚子ですか?」


「そうそう。柚子って相模原市の特産品なのよぉ。知ってた?」


「え、知らなかったです」


「結構神奈川って特産品が多いの。なんだか誇らしいわよねぇ〜」


 そうだったんだ。オネエ様は物知りなんだな。この場所や、この世界のことをもっと知りたいと思った。豚バラ肉の薄切りと、水菜や大根、しいたけなど様々な具材が並んでいる。


 こんなにご飯がキラキラ輝いているのは初めて見た。「早く食べて」って言われているみたい。私は手早くオネエ様と私の分を取り分ける。


「「いただきます」」


 オネエ様は私より早く一口食べた。


「食べないの?」と言われたけれど、私は猫舌なのでふーふーと冷ます。


 息を吹きかけ続ける私を見て、隣で笑い始めた。口を左手で覆い、目尻に涙を浮かべながら。


「え、ちょっと! なんで笑うんですか?」


「だって……おっかしい! 可愛すぎよぉ〜!」


「か、可愛い?!」


 そんなこと初めて言われた。しかしそんなに笑うことなのだろうか。一口食べてみると、少し冷ましすぎたようだ。柚子の香りがすーっと鼻をぬけていく。


「美味しい……とっても美味しいです!」


「っ……アンタそんな顔簡単にしちゃダメよ」


「え、どんな顔ですか?」


「キラキラ目が輝いてたわ。その辺の男はイチコロよっ!」



 そんなくらいで落とせるわけないのに。オネエ様はたまにおかしなことを言う。私は自由を与えられて間もなかったからか、ご飯をおかわりした。


「すんごく食べるのねぇ。こんなに細いのに。どこに栄養が行くのかしら」


 なんて言われたけれど、ずっとお腹いっぱい食べたことがなかったのだ。初めてこんなに食べることができた。そんなことを言うと、これからは我慢しなくていいって。太り過ぎるのは困るが、好きなだけ食べられるのは本当に嬉しい。


 何を食べようかな、なんてことをずっと考えられるんじゃないかという程に。ご飯を食べるとお腹がぽっこりしてしまって、母親がそれを見てもっと食べる量を減らしなさいと言われた。



 だから食べた後はお腹を頑張って凹ませて、気付かれないようにする。それが今はしなくてもいいから、


「お腹こんなに出ちゃいました」

 なんて冗談を言ってみる。


 オネエ様は驚いて「大きくなったわね〜」なんて言って、私のお腹に声をかけたのがおかしくて涙が出るほど笑った。



「そういえば、いつ買い物に行ったんですか? お鍋ってなると、結構具材消費しますよね」


「あ〜。頼める人材がいたのよ。いつも急に押しかけてきて、ただここで寝て帰るような女がいるの。いつもの恩返しだと思って買ってきて頂戴って頼んだのよ。沙蘭ちゃんを置いて出掛けたくなかったからさぁ〜」


「そんな……すみません」


「アタシが気が気じゃなくなるからよ! 申し訳ないなんて思わないで。あの子家まで入ってこようとしたけど、沙蘭ちゃんが寝てたから必死で止めたわぁ〜」


「え、それ位いいのに!」


「違うのよ、あの子女の子が好きなの。沙蘭ちゃんみたいな可愛い子がタイプなのよぉ〜もう、困っちゃうわ〜! これからどうしようかしら、もう家には入れたくないわね……」


「そ、そこまでしなくても! オネエ様の友達なら、会ってみたいです」


「うーん……オススメしないんだけどぉ……とりあえず写真みる?」


「見たいです!!」


 オネエ様は恐る恐るスマホの画面を見せてくれた。画面に映っていたのは綺麗な女性だった。薄いピンク色の髪を綺麗に巻いてギャルに近いような派手目のメイクが、とても似合っていて美人な人だ。


「この子の名前、恋愛の愛に神奈川の奈で『あいな』って言うの。恋多き女よぉ〜」


 愛奈さんか。素敵な名前。写真をアップにしていたため、元の大きさに戻してみる。オネエ様と複数の人たちの集団自撮り写真だ。こんなに友達がいるなんてさすがオネエ様だと思った。


 オネエ様はどんな遊びをして、どんなお話をしてこの人たちとの楽しい時間を過ごしているのだろうか。いつか私も混ぜてくれるかな。オネエ様が大切にしている人たち皆に会ってみたい。私を紹介して欲しいなんて、図々しいことを考えてしまった。




 私たちはご飯を食べ終わったあと、横並びにソファへ座ってくつろいだ。スマホを見ると母から大量のメッセージが来ている。飽きずにこんな無駄なことがよく出来るな。そして、あの知らない人からも。


『家を出たんだね。どこへ行ったのかな? 知らない男の人と2人で暮らすなんて。僕という存在がいるのに、困ったな。悪い子にはわからせてあげないと。僕を怒らせたんだよ』


 スマホを膝に伏せて、呆然とする。ああ、見られてしまったのか。どうすればいい? 何をされるの? 私は怖くてソファの上で三角座りをした。



 滑ってスマホがソファの端にするっと落ちる。オネエ様が「どうしたの?」と優しく尋ねてくれた。ここまで来たら相談するしかないと思って、この事を話した。今までのメッセージも全て見せた。オネエ様は



「こういう時はハッキリ言わないとわからないのよ。メッセージ送ってもいいかしら」

 オネエ様は冷静ながら眉間に皺を寄せた。無視するのが一番いいと思っていたけれど、そうじゃないのか。私はオネエ様が送ろうとしているところをまじまじと見る。


『私に関わらないでください。次に連絡を寄こしたら、電話もメッセージも無視します』


「これでどう出るか見ましょう。これでもストーカーがやめないなら、警察に通報するしかないわ。大丈夫、アタシが付いてるから。言ってくれてありがとう。絶対守るから、ね?」

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