第8話 私はそれでも生きる

 それからも母はあーだこーだと自分の意見をつらつらと話し続けた。私は聞いている振りをして、右から左へ受け流していく。


 今の時代に子供を産むなんて、私には無理。お金もかかるし、どうせ母は手伝ってくれない。育児をするだけでも大変なんだから。そんなに簡単な問題じゃないし、じっくり相手と相談して……ってまだ結婚なんて考えられないよ。


 まだ若いんだもん。社会人になって間も無いのに、そんなこと考える余裕なんてありません。私は病気なんだし、今は身体と心を休ませないと。要らないことは考えないよーだ。なんて私、子供っぽいかな? 


 歯磨きが終わり、キッチンへ行って水を飲む。母は私が洗面所から離れると話すのをやめて、ランチへ行く準備をし始めた。


 メッセージを見ると、オネエ様はとっくに起きていた。


 朝の八時に『おはよう』と送ってくれていたみたいだ。いつもこの時間に起きているのかな。私がまた朝ちゃんと起きれるようになって、2人で暮らせば朝から顔が見られるんだよね。


 オネエ様の寝起きは機嫌が悪いかな? それとも、朝からテンション高くいられるのかな。


 二階へ上がり、準備を済ませる。十二時になって、母が家を出ていった。よし、今だ! 


 タンスの奥に手を伸ばし、キャリーケースを出す。何があってもいいようにラフなスウェットにズボンという格好で、準備していた大きめの手提げカバンを持つ。


 久々に髪をくくって、上の方でお団子にしてみた。音を立てないようにドアを開け、階段をゆっくり降りる。キャリーが壁に当たらないように気をつけながら一歩一歩踏み出していく。重くてキツイけど、もう少し!


 階段を降りた先に、そっとケースを置いた。よし、いい感じ。



 また持ち上げて置いて、靴を履いて──。


「どこに行くんだい? ……お母さんに連絡したよ。はぁ、最近おかしいと思ったんだ。楽しそうにしているし、2階からゴソゴソ音が聞こえてたからね」


 私はもうなりふり構わず出ようとしたが、ドタドタと近づいて来た父にキャリーケースを奪われてしまった。


 手提げカバンも無造作に置いたまま。ああ……私の未来。どうすればいいの? 父は私の袖を引っ張り、使っていない倉庫と化した部屋へ閉じ込めた。


「お父さんが怒られるんだから」と言って鍵がカチャッと閉まる音がする。逃げられないんだ。そう、どこにも行けない。


「はぁ……はぁ……はぁ……っ」


 まただ。あの苦しさが再びやってきた。地下の監獄に閉じ込められたように、とてつもない絶望感が私を襲う。逃げ場がなくて、どこへも行けない恐怖に手がしびれてきた。息もできない。死にたくない。


「はぁ……はぁ……おぇぇっ」


 うまく呼吸ができないから、えずいてしまった。涙も滲んできて、苦しい、怖い、ここから出して……。私は震える手でポケットに入れていたスマホを取り出そうとして、滑ってゴロンと床に落ちる。オネエ様から電話だ。苦しいけれど、声が聞きたい。安心させて欲しい。


『もしもし?! 大丈夫なの? 家は出れた?』


「オネエ……様ぁ……はぁ……うぐっ……はぁっ」


『何?! どうしたの?! 沙蘭ちゃん?!』


「苦しい……です……助けて……息が……っ!」


『いい? ゆっくり息をして、アタシの真似して? すぅーーーー、はぁーーーー』


 苦しくて堪らなかったけれど、一生懸命オネエ様と一緒に深呼吸をする。何度も何度も繰り返した。少しづつ楽になっていき、『大丈夫よ、アタシがついてるから』と私を優しく包んでくれる。


「すごい、楽になりました……ありがとうございます」


『何があったか話せるかしら?』と聞かれて、私は閉じ込められた経緯を話した。


 そして玄関が開く音がして、ダンダンと地響きがする。



 母だ。怖くて通話中のまま、ポケットにスマホを入れた。


 ガチャリと鍵が開けられ、勢いよくドアが開かれた。目の前には鬼の形相をして、カッと見開いた目がギョロッと座り込む私を見下ろす。全身が震えて、声が出ない。


「貴方ねぇ!!!!」


 バチンッ。


 頬が痛い。じんじんと痛んだ頬を抑えると、母は私のお団子の根元を掴み、引っ張られる。


「痛い! やめて!!」


「うるさい!! 私がどれだけ悲しいかわかる?!」


 リビングまでそのまま引っ張られ、投げつけるように私を離しドンッと背中をテーブルの脚に打ち付ける。


「貴方のために色んな物を犠牲にしてきたのに……足を引っ張ることしか出来ないの?!」


 ズイッと私の目を覗き込み、ガッと捕まれた肩に服の上から爪が食い込む。力が込められ、潰れてしまいそうなくらいの痛みに耐える。


 母から感じられるのは、狂気。まるで何か不吉なものに取り憑かれたようだ。


 母の目の奥からこの世のものでは無いかのような、恐ろしい何かが私を睨みつける。


「出て行きたいなら出て行けばいいわ! どうせ直ぐ戻ってくることになるだろうけどね!! この……バカ娘! 今まで掛かってきたお金全部返しなさい!!」


 ピンポーンと呼び鈴が鳴り、父が出ていく。私は椅子に座らされ、急いで髪を整えられる。乱暴に引っ張られるから頭皮が痛い。それにしても誰なのだろうか。訪ねて来なければ叩かれ物を投げられたか、再び閉じ込められたかもしれない。


 玄関で話し声がする。リビングの扉の向こうへ行って、助けを求めよう。髪をなおし終わると同時に、勢いよく立ち上がる。そのせいで椅子が倒れたが、気にせずドアに手をかける。


 グイッと服を後ろから引っ張られたが、ドアが開いた! 無理やり外に出て玄関を見ると、父と話す相手はオネエ様だった。


 彼は私を見て目を見開き、私は母の手が離された勢いで玄関まで走り、ガバッと抱き着く。


とばりさん!」なんていつも呼ばない呼び方で名前を言うと、オネエ様はギュッと私を抱き締め返してくれた。一気に緊張がほぐれたのか、ボロボロと涙が溢れ出す。


「お父様、お母様。沙蘭さんと一緒に暮らすと約束した者です。今日はこのまま連れて行かせてください。キャリーケースがあるのと思うのですが、失礼ですが頂戴しても?」

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