第6話 彼の家

 玄関の目の前にキッチンがあり、その奥に広いリビングが見える。靴を脱いで、キョロキョロと周りを見ながら進んでいく。リビングの両側に部屋がある。もしかして2LDK?! 


 さすがWebデザイナー。家賃はどれくらいするのだろうか。一人暮らしをしたことがないから、相場がわからない。したくても出来なかったから余計に辛くなると思って、調べた事すらないのだ。


「広いですね」


「この辺は車がないと不便でしょ? その分安くて気に入ってるわぁ〜っ」


 見渡してみると家具のほとんどが木で出来ていて、自然が近くに感じられて落ち着く部屋だ。物が少ないから余計に広く感じる。


 男の人は部屋が散らかっているイメージだったけれど、オネエ様は違うのかも。キッチンの調理スペースのカウンター越しにテーブルとイスがあり、下には白いマットが敷かれている。


 汚れても直ぐ拭けば綺麗になりそうな素材でできているようだ。こういう物を選ぶ点を見ると、綺麗好きなのかなと思う。


「そうよ。お高いの。何飲む? ミルクティーとコーヒーとお茶……しかないわ。ごめんなさいね」


「じゃあミルクティーで!」


「りょおかぁ〜いっ」


 オネエ様はいつも楽しそうで、羨ましい。私もこうなりたい。私がいつも見ているインフルエンサーオネエ様のイメージそのものだ。


「その辺に座ってくれればいいからねぇっ」


「失礼します」と言って私は、テーブルを挟んで奥の椅子に座った。


「はいどうぞぉ〜」


「ありがとうございます! 頂きます」


「実はアタシ部屋の片付けが苦手で……久々にお掃除頑張っちゃった。もしかしたら沙蘭ちゃんと2人で暮らすかなぁ〜なんて思ってね。 やだアタシ、気持ち悪いわよね?!」


 綺麗好きだと思ったのは間違いだった。彼は私の為に片付けてくれたんだ。苦手な事なのに、私なんかのせいで無駄な努力をさせてしまったかな。


 一人ならそこまで気にしなくてもいいもんね。綺麗にするのは好きだから、これからは私がお掃除を頑張ろう。


「ぜんっぜんです!!  嬉しいです……私、オネエ様と暮らしたいです」


「本当に?! さっきも言ってくれたけど、その言葉本気にしていいのかしら。会ったばかりなのに、ウザがられてないかしら、なんて不安だったのよ……」


 珍しくしょぼんと眉尻を下げる姿もとても愛らしい。そんな風に思ってくれていたなんて。私は本当に幸せ者だ。こんなに優しくて素敵な人に出会えたなんて、人生の運全部使い果たしちゃったかも。


 私がこんな事になって、あの公園に行ってなかったら? こういう事を思うのは良くないかもしれないけれど、病気になって良かったのかもしれない。家を出ることになれたのも、オネエ様のお陰なのだから。


「私にとってオネエ様は救世主です……いきなり一人暮らしは無理だから、実家で暮らしていくしかなかったので」


「お爺様やお婆様は?」


「母方の祖父母とは縁を切っちゃったみたいで、父方の祖父は子供が嫌いなのでほとんど話した事ないんです。祖母が亡くなってから会ってません」


「そ、そうだったのね……頼れる人がいないなんて辛かったわよね」


「これが当たり前だったから」


「アタシが力になるからね! 意外と力も強いし、口喧嘩も得意よ?」


「ふふっ、頼もしいです」


「やっと笑ってくれたわね」


 私ってそんなに笑えてなかったんだ……確かに申し訳ないとか、迷惑になりたくないと思っていたせいなのかも。


 家では当然肩身の狭い思いをしなければいけなかったし、こうやってリラックス出来るのはオネエ様と一緒だから。病院もそうなんだろうけど、あそこは一時的な逃げ場所なだけ。


 オネエ様と暮らすようになれば、あの地獄のような家には帰らなくても良くなるんだよね。そうすれば、私は親のことなんか忘れて笑えるようになるだろうか。


「これからもっと笑えるようになればいいわね」


「オネエ様といたら、そうなれるかも……」


 それからオネエ様は、私が家を出る方法を一緒に考えてくれた。親にバレずにこっそり準備を進めていく事が大切らしい。それもそうだと思った。家を出るなんて知ったら発狂するだろうな。怒り狂って、それこそ誰も止められない。


「そろそろ帰りますね」


「あら、もうこんな時間ね」


「オネエ様、私のせいで仕事できてないですよね」


「あー、フリーでやってるから自由なのよ。最近頑張ってたからいいのよ。たまには休まないとね」


「ほんとめいわ……じゃない、私の為に時間作ってくださって本当にありがとうございます。私、オネエ様と出逢ってなかったらどうなってたか……」


「大袈裟よ。アタシは沙蘭ちゃんと居て幸せを貰ってるわ。こちらこそありがとう」


「そうなんですか……ふふ、嬉しい」


「送っていきましょうか?」


「いやいや! 遠いですし」


「歩けば遠いけど、アタシ車あるわよ」


「えっ! 車運転出来るんですか?」


「なによ。出来なさそうな見た目してるかしら」


「いや、すごいなーって」


「免許取りたかったからっ」


「じゃあお言葉に甘えて……近くまでお願いできますか?」


「もちろんよっ! さぁ、行きましょう?」


 目尻を下げて優しく微笑む帷さんの表情が、たまらなく好きだ。その顔を見るだけで安心できるくらいに。



「これがアタシの車よ」


 エレベーターで降りて敷地内の駐車場へ来た。帷さんが差したのは、赤い普通車だった。原色って感じでとても目立っていた。


「うわぁ……赤いですね」


「でしょう? 目立つから好きよ」


 少し乗るのを躊躇ったが、オネエ様が乗ると様になっていて続いて助手席に座る。新車の鼻につくような臭いはしなかった。


「この車、中古で安かったのよ〜」


 見た目からして高級感が漂っているから、高いものばかりなのだと思っていたのだが、見当違いなのかもしれない。意外と庶民的な金銭感覚を持っているのかな。親近感が湧いて少し嬉しい。


「じゃあ、行くわよ〜っ!! はっし〜んっ!」


 そう言いながらゆっくりと進んでいく。母がヒステリーを起こした時の荒々しい運転とは違って、安全運転で心が落ち着く。怖くないか聞いてくれて、私の表情もチラチラ確認してくれているのがわかる。


 そんな些細な気遣いが嬉しくて、ニヤけが止まらなかった。いつも気にしてもいなかった空を見ると、優しく私たちを照らしてくれている。ああ、世界ってこんなに綺麗だったのか。ふとそう思った。


「今日も綺麗な夕日よね。アタシこの時間の空が一番好きなの。一日お疲れ様って言ってくれてるみたいじゃない?」


「そんなこと考えたことなかったです」


「あら、そう? 沙蘭ちゃんはどんな空が好き?」


「今日から夕日が好きになりました」


「あはっ無理しなくていいのよ」


「そんなんじゃないです! 確かに素敵だなって」


「それなら良いのよ」

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