1章

第4話 楽しみ

「名前、なんて言うの? アタシは結城 帷! 珍しい名前でしょう? よく苗字と名前が逆なんて言われるわぁ〜」


「ゆうき……とばりさん」


「いやん、やっぱオネエ様って呼んでくれる? そっちの方がいい響きだわっ!」


「わかりました。私は川瀬 沙蘭です。名前負けしてますけど」


 名前、忘れたくないな。帷さん。とばり。


「そんな事ないわよ! 貴方は名前に似合って素敵よ、沙蘭ちゃん」


 沙蘭ちゃん……か。母と同じ呼び方なのに、嬉しくなった。変なの。


「ありがとうございます。オネエ様もとっても素敵です。モデルさんかと思いました」


「あらやだ嬉しい」


「そういえば、オネエ様はどうしてここに?」


「アタシね、フリーでWebデザイナーをしてるんだけどぉ、時間が空いたから散歩してたのよ」


「へぇ……凄いなぁ……かっこいい」


「ふふ、そうかしら。それと歩くって色んな効果があるのよぉ、心と体の健康っ!」


 明るく話してくれる彼と話していても、明るく返せない自分に嫌気がさす。それなのに、ずっと隣に居てくれた。


「そろそろお暇しようかしら。今は1人で居たいでしょう?」


 え、もうそんなに時間が経ってしまったの? いや、まだ30分しか経っていないはず。そんなに酷い顔してるのかな、私。オネエ様が立ち上がると、「あっ」と思わず声が出てしまった。慌てて口を抑える。


「どうしたの?」と彼は相変わらず優しく笑って、私の目を見た。こんな事、言ってもいいのかな。私は恐る恐る口を開いた。


「あの……オネエ様……まだ行かないで欲しい、です。でも、迷惑なら」


「めっ」と私の口に人差し指を添えて静止させられる。むにゅっと私の唇が当たってカサカサしてないかな、なんてことを考える。


「それ以上は言っちゃダメよ。行かないで欲しいって言ってくれて嬉しいわ。私を必要としてくれて、すっごく嬉しい!」


 そう言って優しく笑って、また座り直してくれた。ここに居てくれるんだ。つまらないことしか言えないけれど、ただ傍にいて欲しい。そのまま優しく微笑みかけて、私を包み込んで。


「いいんですか? まだ一緒にいても」


「決めたわ。今日はもう仕事しないっ」


「え、そんな……」


「だーめ。アタシが決めた事よ。口出ししな〜いのっ」


 親に怒られるのとは全然違う。私の為に言ってくれるその言葉が温かくて、心地良い。それから彼の友達の話をずっと聞かせてくれた。私はほとんど聞くだけでよかったから、凄く楽だった。


 話すのもエネルギーを使うし、今そんな元気はない。無理して話さなくていいって言おうとしたけど、彼は話したくて話しているんだと思う。


 気づけば空は紅く染まり、彼の髪をオレンジ色に染めた。


「そろそろ帰らないと怒られるんじゃない?」


「帰りたくない……」とつい口に出てしまって、ハッとする。私は彼に甘えて我儘を言うようになってしまった。私はなんて図々しいの。


「そうよね。家来る? って言いたいところだけど、一応男だから良くないわよね」


「いやいや! そんな、さすがに悪いです」


「そう? アタシは別にいいけど……もうちょっと回数を重ねてからにしましょうか」


「そうですね。また会えますよね?」


「明日でもいいわよ?」


「本当に? いいんですか?」


「もちろんよ! じゃあ、また明日ね沙蘭ちゃん」

「はいオネエ様、また明日」


「じゃあね〜んっ」とフリフリと元気よく手を振った帷さんが、スキップして帰って行った。私の家とは逆方向だな、なんてことを考える。


 帷さんが居なくなった途端、虚しくなった。あぁ、家に帰らなくては。あの地獄に。重い足取りでスマホのマップを頼りに歩く。すると電話がかかって来て、帷さんだった。このSNSに電話機能があるなんて知らなかったなぁ。


『もしもーし』


「オネエ様、どうしました?」


『1人で歩いてるんでしょ。辛いかと思って』


「っ……なんでもお見通しなんですね」


 私の為に電話をかけてくれて、家に着くまで付き合ってくれるらしい。申し訳ない気持ちでいっぱいだけど、心がジーンとあったかくなった。私は珍しく他人に親の話をした。


 今まで外面がいい親の話をしても、信じて貰えなかったから。やっぱり私の親は毒親で、私はその毒を飲み続けている状態だって。表現が面白いなーと思いつつ、どこか腑に落ちてしまった。


 一時間以上かかってしまい、辺りは暗くなり始めている。ガチャッと玄関のドアを開けると、鬼の形相で母がドタドタと歩いてきた。


「どこ行ってたの!!!! こんなに遅くまで」


 門限は二十時だし、今は十九時になるところだ。遅くなんかないのに、うるさいな。ここに残っていたらきっと私は壊れていた。


 こんな考えができるのはオネエ様のお陰だ。誰のせいでこんな事になったのかも分かっていないのだろう。いつも私が悪者になるんだ。悲劇のヒロインぶっちゃって。


「うるさい!!」


 私は初めて声を荒げた。母は目を丸くして、珍しく黙っていた。横をスルッとすり抜け、階段を駆け上がる。


「貴方今なんて言った?! 私に口答えしたでしょう! 親不孝者!! 貴方にどれだけのお金がかかったと思ってるの?!」


 バタンと扉を閉め、母は父と口論し始めた。たまに親同士でも喧嘩するんだよね。今はタイミングが良かった。胸がドキドキして、高揚感を覚える。


「ふふ、あははははっ!」


 なんて清々しいの。こんな気持ちは初めて。驚いた顔しちゃって。もっと早くこうすれば良かった。そうすれば、何か変わったのかな。いや、もしかしたら悪化するかも。たまたま今回は上手くいっただけ。


 やってしまったかもしれない。直ぐに落ち込んでしまった私は、SNSを開いた。オネエ様からメッセージが来ていて、


『今日はありがとう! 楽しかったわ。家の中に入って落ち着いたら返事ちょうだいね?』


 だって。自然と口角が上がる。


『こちらこそありがとうございました。今日初めて親にうるさいって言ったら、ビックリしてました』


『まあ! やるじゃない。沙蘭ちゃんすごい!』


 ふふ、オネエ様ってば大袈裟。二人で暮らせたら、どんなに良いだろうか。家に行っていいって言ってくれた。いつか行けるといいな。


 明日も会えるんだよね。この楽しい気分のまま、服を選んじゃおう。オネエ様は男性が好きだろうから関係ないと思うけど、綺麗な人の隣に居るならなるべくマシな格好でないと。


 やっぱりワンピースかな、仕事で着ないような服。大人っぽく見えるかな。


 そうだ、オシャレが楽しいと思ったのは何時ぶりだろうか。こんなに心が踊るのも、本当に久しぶりな気がする。帷さんと出会って間も無いのに、こんなに私は変わったの? 


 精神科の先生に報告したいな。喜んでくれるかな? 頼れる人が出来ました、先生。久々に心から笑える気がします。人生を楽しめる気がします。

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