第13話 長男として

 あいかわらず寄席の合間にバイオレットの家に行く日々を過ごし、その中のある日に、緑丸はバイオレットにこう言った。

「俺、浪花節でシェイクスピアをやりたいんだ」

 それを聞いたバイオレットが不思議そうな顔をするので恵次郎が訳して聞かせると、バイオレットはぱっと笑って身を乗り出し、緑丸に言葉をかける。それを恵次郎はまた訳す。

「ぜひ聴きたい。楽しみにしているそうだが」

「だが? なにかあるのか?」

 緑丸がきょとんとすると、恵次郎が苦笑いをする。

「リンネは少々気に入らないみたいだな」

 言われてみると、リンネは微妙な顔をしている。恵次郎の言葉を聞いて、菖一は口元に手を当てて言う。

「まぁ、仕方ないでしょうね。リンネさんはかわいそうなことに浪花節が苦手なようですから」

「菖一、一言多い」

 菖一と恵次郎がやりとりをしている間にも、バイオレットは緑丸と握手を交わして手を振っている。余程浪花節でやるシェイクスピアを楽しみにしているようだった。

 こんなに期待されたらなにがなんでもやるしかない。緑丸は改めてそう思った。


 その日、バイオレットの家から緑丸達が帰ってくるなり、両親が待っている居間へと呼ばれた。

 なにがあったのだろうと思いながら三人揃って居間に行くと、難しい顔をした父に、とりあえず座るように言われる。

 素直にちゃぶ台の前に緑丸達が座ると、父が緑丸にこう言った。

「緑丸。お前もいつまでもふらふらしてないで、恵次郎や愛子みたいに結婚したらどうなんだ」

 この話は今までも度々されていたし、何度もお見合いはしている。けれどもどうにも身を固める気になれずに今まで来たのだ。

 緑丸が曖昧に笑って返す。

「そうは言ってもさ、俺のこと気に入ってくれる嫁さんなんてさぁ……」

「そう弱腰だからいつまで経っても嫁をもらえないんだ。

どうしても千佳がいいと言い張った恵次郎を見習ったらどうだ」

「うぃ……」

 緑丸が言葉を詰まらせると父が畳みかけるように言葉を続ける。

「全くお前は、飲まない、打たない、買わないで全く男らしくない。もう少ししゃんとしたらどうだ」

 その言葉に、緑丸は口を尖らせて反論する。

「そうは言っても、打たれるのは困るだろ?」

「まぁ、たしかに打たれすぎるのは困るがそれはそれとして」

 なかなか嫁を取ると言わない緑丸に、父は溜息をついて困ったような声を出す。

「もうこの際、女郎屋通いをしてもいいから女に興味を持ってくれ。頼むから」

「女より浪花節がいい」

「だから父さんは困ってるんだよ……」

 のれんに腕押しなようすの緑丸に父が頭を抱えていると、母が溜息をついてこう言った。

「菖一さんが女だったら、是非とも緑丸の嫁に欲しかったんだけどねぇ」

 その言葉に、菖一は澄ました顔で返す。

「そうは言われましても、実際男ですから」

「そうなのよ。とても残念だわ」

 また溜息をつく母と、頭を抱えている父に菖一が口元に手を当ててこう言う。

「なんといいますか。緑丸さんはますらおというよりはたおやめですから、女に対して控えめなのは仕方ないでしょう」

 菖一の言葉に、父はか細い声を出す。

「それにしても、緑丸も早く嫁をもらってくれ……頼む……」

 そのようすを見てさすがに緑丸も申し訳なく思ったのか、ぽつりとこう言った。

「……考えとく」

 そうは言うものの、やはり緑丸としては、結婚には乗り気がしなかった。

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