第12話 to be or not to be

 リンネからせっかくだからと昨夜食べたものと同じパンを振る舞われた後、緑丸と恵次郎は帰路についていた。

「なんだったんだあのパンは……とんでもなくおいしかったぞ……」

 何度もぶつぶつとそういう恵次郎に、緑丸は苦笑いをする。

「リンネは料理上手だからなぁ」

 そんな話をしながら家に着き、玄関を開ける。

「ただいまー」

「ただいま」

 ふたりがそう言って中に入ると、すぐに菖一が出迎えに来た。

「おかえりなさいませ。お泊まりはどうでしたか?」

 その問いに緑丸はうれしそうに返す。

「めっちゃ楽しかった」

 その言葉を聞いて、菖一が眉を顰める。

「緑丸さん、夜更かしなさいましたね?」

「え? なんでわかった?」

 思わずぎくりとする緑丸に、菖一が涼しい顔で返す。

「寝不足の時の声をなさってます」

「すいません」

 菖一は目が見えないというのに、なんでもお見通しなんだなと、緑丸は感心するほかなかった。

 少しばつの悪い思いをしたけれども、緑丸はそのまま恵次郎と菖一を連れて自室へと向かう。

「ふたりに相談がある」

 部屋に入るなりそう言った緑丸は、文机の引き出しに入れていたハムレットの台本を取りだす。恵次郎と菖一を座らせると、恵次郎が緑丸に訊ねた。

「相談ってなんだ? その台本と何か関係があるのか?」

 その問いに、緑丸は台本を広げて強い声で言う。

「浪花節でシェイクスピアをやりたい」

 それを聞いて恵次郎は驚く。一方の菖一は、驚く風もなくこう返した。

「いずれそんなことを言うんじゃないかとは思っていました。

で、そのシェイクスピアとやらはどんな内容なんですか?」

 菖一の問いに、恵次郎がざっくりとしたあらすじを話す。

「こう言う内容のものの台本を、バイオレットからもらっている」

「なるほど。内容としては緑丸さんの芸風に合っているかとは思いますが……」

 菖一は少し考える素振りを見せてから、厳しい声で緑丸に言う。

「ですが緑丸さん。西洋の話を浪花節にしたとして、日本人に受け入れられるかどうかは難しい話ですよ」

 そう難色を示す菖一に、緑丸は真面目な顔で返す。

「それでも俺はやりたい。

俺は、バイオレットと同じものを見たいんだ」

 それから、菖一に頭を下げて言葉を続ける。

「頼む。難しいことだからこそ、お前の三味線が必要なんだ。お前でないとシェイクスピアなんて、きっとできっこない」

 緑丸が頭を下げていることは、菖一は知らないだろう。けれども、その真剣な言葉を聞いて溜息をついた。

「わかりました。私でないと無理だというのであれば協力いたしましょう。

そのかわり、生半可な覚悟ではできませんよ」

「わかってる」

 ふたりのやりとりを聞いていた恵次郎が、じっと台本を見てから緑丸に言う。

「ところで兄さん、このシェイクスピアのハムレットという芝居の中には、"to be or not to be"という有名な文言がある。

兄さんならそれをどう訳す?」

 それを聞いた緑丸は、きょとんとした顔で訊ね返す。

「それはどんな意味なんだ?」

「直訳すれば、やるべきかやらないべきか。という意味だ。

けれども、芝居の中でこの言葉は、父の仇を取るべきか否かと考えているところで使われている。

さぁ、どう訳す?」

 きっとこれは、恵次郎なりに緑丸の覚悟を試しているのだろう。緑丸は難しい顔をして考え込んでから、こう返した。

「生きるか死ぬか、決めねばならぬ」

 それを聞いた恵次郎は、頷いてこう言った。

「なるほど。それなら僕も協力しよう」

 そうしてその日から、浪花節にするための、恵次郎による台本の訳がはじまった。

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