第11話 賑やかな夜
この日も、緑丸は恵次郎と菖一を連れてバイオレットの家で浪花節の披露と歌の練習をした。
そしておやつを食べた後、恵次郎が心配そうに緑丸に言った。
「兄さん、ほんとうにひとりでこの家に泊まっていくのか?」
そう、この日は緑丸がバイオレットの家に泊まると約束をしていたのだ。
はじめ、恵次郎も泊まろうかと言っていたのだけれども、恵次郎は家で千佳が待っている。そして菖一は、恵次郎がいないと話がわからないということで、緑丸ひとりで泊まることになったのだ。
不安がる恵次郎に、菖一が口元に手を当てて言う。
「まぁ、緑丸さんならなんとかなるでしょう。
なんともならなくても、相手がバイオレットさんとリンネさんなら大事にはならないでしょうし」
「それもそうだが……」
いまいち不安が拭えないようすの恵次郎に、緑丸はにっと笑って言う。
「大丈夫だって。なんとかなるさ」
それを聞いて、恵次郎がバイオレットに話し掛けてから立ち上がる。
「わかった。それじゃあ僕と菖一はこれで帰るが、なにごともないように気をつけるんだぞ」
「なにごとって、なにがあるんだよ」
心外といったようすの緑丸に菖一が言う。
「夜更かし。とかですかねぇ」
「気をつけます」
恵次郎と菖一が玄関に向かい帰っていくのをバイオレットと緑丸とリンネの三人で見送り、三人はまた食堂へと戻った。
その日の晩、夕食の後に緑丸が持って来たせんべいとお茶を飲みながら、三人でわいわいと盛り上がっていた。当然、言葉は通じていない。
リンネが緑丸が持って来た緑茶を見て驚いていたのでどうしたのかと訊いたら、どうやら緑色のお茶を飲むのははじめてのようだった。
お茶と合わせて、ざらめのせんべいを囓ったリンネが真面目な顔で呟く。
「デリッシュ……」
「お? うまいか」
言葉の意味はよくわからないけれど、黙々と囓っているようすから、おいしいのだろうなと緑丸は察する。
せんべいを一枚食べ終わったリンネが突然立ち上がり、食堂を出る。なにかを言い残していったのだけれども、なにを言っていたのかは緑丸にはわからない。
「どうしたんだあいつ」
そう呟くと、バイオレットがわくわくした顔で話し掛けてくる。どうやらリンネは、仏蘭西の甘い物を作ってくると言っていたようだった。
「なるほどな。さっきの晩飯もうまかったし、期待できる」
しばらくの間緑丸とバイオレットで話をしながら待っていると、時間をおいてリンネがお盆の上にパンのようなものを盛った皿を乗せて戻ってきた。
「お、なんだそれ」
リンネがそれぞれの席の前にパンを置き、先端が四つに分かれた匙のようなものも置いた。これは先程夕食の時にも使ったフォークというものだ。これを使って食べろということだろう。
緑丸は早速、フォークでパンを切ってみる。すると、そのパンはしっとりとしていて柔らかい。そして、どことなくプリンのような匂いがした。
パンを口に含む。柔らかい舌触りに、甘く優しい卵の味。それに少しだけ塩っ気があって、プリンに似ているけれどもまた違った味わいだった。
パンを飲み下した緑丸の口から言葉が突いて出る。
「ヤミー!」
すると、リンネはしたり顔をする。それを見た緑丸は、日本のお菓子に対抗しているのだなとなんとなく思った。
翌日、緑丸を迎えに来た恵次郎を交えて、また少しみなで話をした。その時に出た話題は、愛子が先日、新山手劇場に行って合唱を聴いてきたというものだった。
恵次郎からその話の訳を聞かされたバイオレットが、身を乗り出して緑丸になにかを語りかける。言葉の端々しかわからない緑丸に、恵次郎が訳す。
「日本人の劇場なら、兄さんも歌で舞台に立てるかもしれないと言っている」
それを聞いて、緑丸は困ったように笑う。
「そうは言っても、俺は寄席で十分だからさ」
そうは言ったものの、歌で舞台で立つということが、少しだけ心に残った。
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