第10話 妹の覚悟

 冬になり、夏彦との結婚式を控えた愛子が突然、両親と緑丸と恵次郎、それに千佳の前で、真剣な顔をしてこう言った。

「お父さん、お母さん。私、キリシタンに改宗しようと思うんです」

 それを聞いて、愛子以外の全員が驚いた。

「愛子、なんでそんなことを言うんだ。

もしかして夏彦君に気を遣っているのかい?」

 慌てたようすでそう言う父に、愛子は頭を振って返す。

「夏彦さんのこともありますけど、それだけではありません。

私は何度も教会に行って、キリシタンのお話を聞いて、その信仰に惹かれたんです。

私は、彼らと共に彼らの神様の元で生きたいんです」

 それを聞いて、両親も緑丸も恵次郎も、なにも言えない。

「どうか、改宗するお許しを下さい」

 頭を下げる愛子に、父がこう訊ねる。

「もし、だめだと言ったらどうする」

 愛子は顔を上げて、父をじっと見返してこう返す。

「それでも、私は教会に行くことをやめません」

 それを聞いた父は、何度も頷いて、難しい顔をしてこう答えた。

「そこまで覚悟を決めているのであれば、改宗するのもいいだろう。

そのかわり、やめておけばよかったなんて絶対に言うんじゃないぞ」

 父の言葉に、愛子はまた深々と頭を下げる。

「ありがとうございます。これより私は、キリシタンとしての道を歩みます」

 今まで黙っていた千佳が、優しく愛子に声を掛ける。

「大丈夫。改宗してもきっと大丈夫です。

夏彦さんがきっと、愛子さんのことを導いてくださるから」

 千佳の言葉を聞いた愛子はうれしそうにはにかむ。それを見た緑丸と恵次郎は、そんなに夏彦のことを好いているのかと、ただただ感心するばかりだった。


 愛子が改宗した後、愛子と夏彦の挙式が行われた。式は夏彦が管理している教会で行われ、普段は着物を着ている愛子が真っ白なドレスに身を包んで、夏彦との誓いをあげた。それを見て、緑丸も恵次郎も大泣きした。

 結婚式の後、夏彦と愛子が着替えている間に、緑丸と恵次郎と菖一が教会の前で立ち話をする。

「愛子は、ほんとうに幸せになれるのかなぁ」

 緑丸のその呟きに、菖一が返す。

「なれますとも。愛子さんはもうすっかり覚悟ができておいでです」

「そういうもんなのか?」

 まだ不安があると言った様子の緑丸と恵次郎に、菖一は頷いて言葉を続ける。

「誓いをあげたときの愛子さんの声は、今までで一番輝いていました。

そう、まるで。柔軟に形を変えながらも決して壊れることのない、翡翠のような声でした」

 菖一の言葉で、ようやく緑丸も恵次郎も、愛子の覚悟を知ることができた。きっとそれなら、幸せになれるだろう。

 そう思って教会を見上げていると、緑丸の名を呼ぶ声が聞こえた。なにかと思ってそちらの方を向くと、花束を持ったバイオレットとリンネが小走りでやって来ていた。

「おう、ふたりともどうした」

 緑丸がそう訊ねると、バイオレットが恵次郎に話し掛ける。恵次郎はそれを訳す。

「愛子の結婚祝いに、リンネが花束を作ったそうだ」

 それを聞いて、緑丸はにっこりと笑う。愛子と夏彦が教会から出て来たら、手渡してもらおうと思った。


 愛子と夏彦の結婚式から数日、愛子が緑丸達を居間に呼ぶのでなにかと思ったら、ちゃぶ台の上にクッキーの盛られた皿が置かれていた。

「愛子、これは買ってきたのか?」

 恵次郎がそう訊ねると、愛子はにっこりと笑って言う。

「夏彦さんの知り合いのご婦人に、クッキーの作り方を教わったんです。それで、兄さん達と菖一さんに味見して欲しくて」

 それを聞いて、緑丸は腕を上げて喜ぶ。

「やったー! 俺クッキー大好き!」

 恵次郎も、そわそわしたようすでちゃぶ台の側に座る。

「早く食べよう。焼きたてなんだろう?」

 そのようすを聞いていた菖一が、溜息をついてふたりに言う。

「まったく、クッキーが出るとふたりとも子供みたいなんですから」

 そう言う菖一も、少しそわそわしていた。

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