第5話 プラントハンター

 いつものようにバイオレットの家で浪花節を聴かせ、歌の練習が終わった後のおやつ時、プリンを食べながらバイオレットが緑丸になにかを話し掛けてきた。言葉の中に寄席という言葉が聞こえたので、次はいつ来られるかという話かもしれない。

 そう思って恵次郎の方をちらりと見ると、恵次郎が渋い顔をしてバイオレットに言葉を返している。次に来られる日を訊いているにしてはおかしい反応だ。

「恵次郎、バイオレットはなんて言ってたんだ?」

 緑丸の問いに、恵次郎は渋い顔で返す。

「寄席に行きたいと言っている」

 それを聞いて、緑丸と菖一が恵次郎に言う。

「いいじゃねぇか。来いよ」

「いい心がけじゃあないですか。おいでくださいな」

 ふたりの言葉に、恵次郎は厳しい声で返す。

「だめだ。この前の会芳楼は無事に帰ってこられたが、寄席はどうなるかわからない」

「どういうことだよ」

 訝しげな緑丸に、恵次郎はこう説明する。

「寄席に来るのは日本人ばかりだ。しかも、中には異人のことをよく思わない日本人も多い。

そんなところにバイオレットを行かせて、もしなにかあったときに兄さんと菖一は責任が取れるのか?」

 それを聞いて、菖一ははっとした顔をする。

「たしかに。私もすっかり忘れていましたが、異人をよく思わない日本人は多いです。

万が一なにかあって、バイオレットさんが被害を受けるだけならまだしも、日本人が異人に手を出したとなったら国際問題です」

「そういうことだ」

 菖一と恵次郎の言葉に、緑丸も難しい顔をする。

「たしかに、昔、生麦事件なんてのがあったとき大変だったみたいだし、それ考えるとなぁ……」

 緑丸達がバイオレットが寄席に行くのを反対する方向なのを察したのが、バイオレットがしょんぼりした顔になる。

 その時、玄関の扉を叩く音がした。

「ソーリー」

 バイオレットがそう言い残し、食堂を出て行く。

 残された緑丸はきょとんとして恵次郎に訊ねる。

「どうしたんだ急に」

「来客じゃないのか?」

 しばらくそのまま待っていると、バイオレットが小柄な男の異人を連れて戻ってきたので緑丸が訊ねる。

「知り合いか?」

 すると、バイオレットは首を横に振る。それから、英語で恵次郎に話しはじめた。恵次郎はそれを頷きながら聞いている。ひとしきり話を聞いた後、恵次郎が緑丸と菖一にバイオレットの言葉を訳して聞かせる。

「なんでも、雇い主を探しているプラントハンターだそうだ」

「プラントハンター? なんだそれ?」

「珍しい植物を探し出して商売をしているやつらのことだ」

 恵次郎の言葉に、緑丸と菖一は小柄な異人の方を向く。すると異人はひとこと、なにかを喋った。

「随分低い位置から声が聞こえますが、この方、緑丸さんより小さいんじゃないですか?

そんなに小柄なのに、珍しい植物を探して回る体力があるんですかね」

 菖一の言葉に、恵次郎はこう返す。

「小柄だから、なかなか雇い主が見つからないそうだ」

「でしょうねぇ」

「でも、バイオレットはこいつを雇うつもりらしい」

 その言葉に、菖一はもちろん緑丸も驚いた。咄嗟にバイオレットの方を見ると、にっこりと笑っている。

 バイオレットが異人の肩を叩きながらなにかを言う。それをまた、恵次郎が訳して聞かせる。

「こんなに小柄なのにいままでプラントハンターとしてやってこられたんだから、きっととんでもない才能があるんだろうとバイオレットは言っている」

 それを聞いて、緑丸は感心したように息をつく。

「はー、それもそうだよな。こんなちっこいのに大変そうな仕事をやってこれてるんだ。

なにか飛び抜けた部分はあるよな」

 また異人の方を見ると、バイオレットが異人に何か話しかけている。それを聞いてか、異人もなにかを口にした。異人の言葉を聞いた恵次郎は、納得したように頷いてこう言った。

「なるほど、ぎこちない英語を話すと思ったら仏蘭西フランス人なのか」

「仏蘭西人……」

 恵次郎の言葉を聞いて、菖一が額を押さえる。

「英吉利人のバイオレットさんだけでも意思疎通に恵次郎さんが必要なのに、そこに仏蘭西人まで加わって、どうなってしまうんでしょう」

「そこは僕も不安だ」

 不安がるふたりをよそに、緑丸は異人に向かって問いかける。

「そういえば、お前の名前は?」

 それを聞いた恵次郎が慌ててこう言った。

「そうだ、名乗ってたんだ。

こいつの名前はリンネというらしい。

これから、この家で住み込みで働くそうだ」

 おどおどとしているリンネという異人に、緑丸はにっと笑って話し掛ける。

「そっか、俺の名前は緑丸。この家にはちょくちょく来てるからよろしくな」

 言葉は通じていないだろうけれども、歓迎されていることはわかったのだろう、リンネが少しはにかんだ。それから、リンネがバイオレットに話し掛ける。バイオレットはにっこり笑ってリンネの頭を撫でている。

 そのようすを見た緑丸が恵次郎の方を見ると、恵次郎がこう訳す。

「仏蘭西人なのに、英吉利人に雇ってもらえるとは思ってなかったそうだ」

「そっか」

 やはり、異人同士でも言葉の壁があるのだなと緑丸はしみじみ思った。


 あの日から、バイオレットとリンネの生活がはじまった。

 今まで通り、時折緑丸達もバイオレットの家に行っているのだけれども、どうにもリンネは浪花節が苦手なようで、緑丸が浪花節を唸っている間は他の部屋へ籠もってしまっていた。菖一はそのことが少々気に入らないようだったけれども、浪花節が苦手な異人がほとんどだということはわかっているので、特に咎めたりはしていない。

 そんなある日のこと、バイオレットがしきりに恵次郎に話し掛けているのでなにかと思っていると、恵次郎が苦笑いをしながら緑丸達にこう言った。

「リンネが来てから、ごはんがおいしいそうだ」

「そうなのか? まあ、ひとりで食べるより誰かと食べた方がうまいよな」

 緑丸がそう返すと、恵次郎は首を振る。

「そうではなく、料理の味が良くなったそうだ。なんでも、リンネは料理上手らしくて」

 それを聞いた菖一が口元に手を当てて言う。

「逆に、今までどんなものを食べていたんです?」

 恵次郎がバイオレットにそれを伝えると、バイオレットは苦笑いをした。

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