第3話 弟のお見合い
寄席の都合でバイオレットの家に行けないでいたある時期のこと、恵次郎がお見合いをした。
それは緑丸と菖一が寄席に出ている間のことだったので、緑丸はことの顛末が気になって仕方がなかった。
寄席から帰ってきて緑丸がお見合いはどうだったかと両親に訊ねると、いささか暗い顔でこう返ってきた。
「お見合いねぇ、ふたりで話をさせてもほとんどなにも話してなかったみたいで」
「もしかしたら恵次郎のやつ、相手のお嬢さんが気に入らなかったのかもしれないな」
母と父のその言葉に、緑丸は溜息をつく。
「なんだよ恵次郎のやつ。俺には散々早く結婚しろって言うくせに。
ちなみに、相手はどんなお嬢さんだったんだ?」
緑丸がそう言うと、母が相手方のお見合い写真を緑丸に渡す。緑丸がその写真を見ると、ふっくらとして大人しそうなお嬢さんが写っていた。
「なんだ恵次郎のやつ、こんな可愛い子の縁談を断ったのか。もったいねぇな」
そう呟いたその時、ふすまが勢いよく開いて恵次郎が入ってきた。
「僕は縁談を断るとはひとことも言ってない!」
思わず驚いて恵次郎の方を見ると、恵次郎は父に縋り付いて、泣きそうな声でこう言った。
「父さん、僕はこの人がいいんだ。この人以外考えられない。だからどうか、向こうの家とうまく取り持ってくれ!」
恵次郎がこんなに取り乱すのは珍しい。父は恵次郎を宥めながら訊ねる。
「そうか、それならそれで取り持つけれど、どうしてお見合い中に言わなかったんだ」
「だって、あまりにも理想通りの人過ぎて、緊張してなにも言えなくて……」
「う、うん。そうか」
普段なら多少緊張してもうまくやれる恵次郎がなにもできなくなるほどの衝撃だったのかと、緑丸はぼんやりと思う。
そうしているうちに、恵次郎が父の肩を揺さぶりはじめる。
「父さん、あの人が他のやつに取られる前に結婚してしまいたい。せめて結納だけでも早く済ませたい。どうか頼む!」
「わかった、わかったから落ち着け。
明日返事をするときになるべく早く式を挙げたいと伝えておくよ」
普段女に全く興味を示さない恵次郎が、女のことでこんなに取り乱すなんて、緑丸としては意外すぎた。
「恵次郎も、ついに結婚か」
緑丸が笑いながらそう言うと、恵次郎がきっと緑丸の方を見て言う。
「兄さんも早く嫁をもらえ」
「はい」
緑丸は長男なので早く嫁をもらわないといけないのはわかっている。けれども、今は浪花節が楽しすぎてそれどころではないのだ。
翌月、恵次郎の希望通り、近所の人達に驚かれるほどの速さで結納を済ませ、結婚式を挙げた。神社で式を挙げた後、家で宴をしているときに緑丸は恵次郎に冗談っぽくこう言った。
「恵次郎もこれでひと安心だな。家は任せた」
すると、当然のように恵次郎が緑丸の頬を抓って返す。
「兄さんが家を継ぐんだ。だから兄さんも早く結婚しろ」
「おー、こわいこわい」
そうやってその晩は賑やかに宴が行われた。
翌朝、緑丸が部屋で寝ていると菖一の声が聞こえた。
「緑丸さん、寝坊ですよ。
朝ごはんの準備はもうできています」
それを聞いて、緑丸は飛び起きる。
「まじでか。起こしにきてくれてありがとな」
「いえ、これも私の勤めですので」
緑丸が菖一と共に食卓に行くと、すでに父と母、恵次郎、それに妹の愛子と恵次郎の嫁になった
「いやほんと、遅れてすいません」
緑丸がそう言いながらいつもの席に着くと、みんなでいただきますをして朝食がはじまった。
早速味噌汁を口にして緑丸は驚く。いつもの味噌汁とはだいぶ違うのだ。
「なんだこれ、めちゃくちゃうまい」
父も恵次郎も、驚いた顔をして夢中で味噌汁や白和えを食べている。
そのさまを見た母が、にこにこと笑いながらこう言った。
「今日の朝ごはんは千佳さんが作ったのよ。
おいしいみたいで良かった」
それから、愛子も笑って言う。
「こんなにおいしいごはんが作れるなんて。
私、お母さんだけじゃなくて千佳さんにもお料理を教わらなきゃ」
それを聞いて、緑丸はしみじみと呟く。
「こんなおいしいごはんが作れる嫁さんが来たとなっちゃなあ、バイオレットにも食べさせたいなぁ」
すると、恵次郎がぱっと緑丸の方を向いて言う。
「それなら今度うちに招けばいい。通訳は僕がする」
意気揚々としている恵次郎を見て、これは千佳のことをバイオレットに自慢したいのだなと緑丸は思った。
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