4.ただ黒***

日秋との意味不明なやり取りに憔悴しながら、新はとにかく都心に戻ろうと思った。

ここは臨海副都心。つまり海際なのだ。

道の端には海が見える、いい感じで寒い場所なのだ。

夜ともなればこの一昨日から変わらない装備では、太刀打ちできない。

視界の端で海が横滑り。

日秋の言葉を意味もなく反芻してしまう。

頭からから離れない。

宗教的な匂いがして背筋が凍る。

街の明かりが大分先に見える。

駅型複合都市までまだまだ距離がある。

寒空の下溜息を吐こうとして、新は瞬きをわざと繰り返す。

黒いそれが立っていた。

ただ黒が、形の良い黒が。

新の行く先に立っていた。

新は確証もないのに走り出す。

脳に木造で覆われた道の反動が響くが問題ない。

息が切れる、脳みそが揺れる、足がもつれそうになった。それでも黒いのの目の前で、立ち止まろうとした。


「わっぷ」


足首から力が抜けバランスが崩れる、黒いのがすかさず手を伸ばしてくれた。

息切れで顔が熱くなる。

恥ずかしいのと嬉しいのとで真っ赤になる。

能面の向こう側から、大丈夫と心配された。


「だい、じょぶ…」


息を整え改めて黒いのと対峙する。

黒いのは心配そうに新を撫でてくれている。

こんなことになるなんて。

新は下唇を噛みしめた。


「もしかして…俺のこと追いかけて…?」


来てくれたのなら、嬉しくて真っ赤になる。

すでに真っ赤だか、さらに赤く染まりそうだ。

黒は即座にうんうんと。

嬉しくて言葉にならない。

これが黒いのではなくしつこい客だったら、護身用のスタンガンを出しているところだ。

物騒な気分にならない。

黒いのが、愛おしいからだ。

こんな風に想っていたなんて。


「でも、なんで…?」


好きだったからこそ、あの拒絶は手酷かった。

なのに、なぜ追いかけてくれたのか。

黒いのはそっと撫でてくれている方とは逆の手を差し出した。

手のひらには、お茶の缶が乗っている。


「それって…飲んで…?」


恐る恐る目を見開いて同意を求める。

黒いのは小さくうん、と返事をくれた。

なにがどう嬉しいのか、もう新には分からなくなった。

泣き出しそうなそれを、缶を受け取ることで誤魔化そうとした。

ところがそれは出来なくなった。


「えっっっぐはっ」


缶腐りきり触れた瞬間こなごなになってしまったのだ。

当然触ろうとした新は粒を吸い込んでしまった。

驚愕吸い込み咳き込み。

身体全体で細かい異物を拒絶する。

黒いのは宥めるように、新を抱きしめ背中を撫でた。

新も黒の胸にすがりつき、激しく咳き込む。

涙が滲んだ。

鼻や喉がいがらっぽい。

それでもなんとかツバごと吐き出す。

まだ違和感が残っているが、咳き込むほど辛くはない。

抱きしめられながら、海の小波に耳を傾ける。

黒の腕の中は暖かい。

体温が心地よい。


「腐らせるって噂…本当なんだな」


触れ合っているから、黒のびくりとした動きが直で伝わる。

怯えさせたいわけでも、拒みたいわけでもないので、新はさらに黒に擦り寄る。


「でも、俺、腐らないんだな」


黒い胸に向かって囁くと、身体全体が縦に揺れる。

大きな首肯だ。

腐らない、特別という言葉が浮かんでくる。

新は首だけ持ち上げ、何とか目を合わせようとした。

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