3.そして黒**

漫画喫茶で休憩を挟み、明け方から昼まで人混みの中お薬売り。

ぱぱから店じまいして良いよとメールが来た頃には、日はとっぷり暮れて夕方の5時を過ぎていた。

疲れていても無表情は健在で、寒さに身体はすっかり慣れていた。

張り付いたお仕事モードがなかなか抜けない。


「くそ…」


風呂に入りたかった。

着替えもしたかった。

布団でゆっくり眠りたかった。

そして学校に行きたかった。

その場しのぎの級友だが、馬鹿みたいになって遊び歩きたかった。

懐も今は十分暖かい。

所持金3円なんて鼻で笑える。


「はぁ…」


腐ったような溜息を吐いて、新はわりと私物の多いマンションの近所の公園をうろついていた。

帰りたいのだが、なんとなくぱぱとままが居るような気がして、帰れないでいた。

顔を見ればまた啖呵を切りたくなる。

銀座に探されるのも飽きてきた。

少しは放っておいて欲しい。

放任主義のくせに。

いろいろな文句をのべつくまなく胸中に敷き詰めていると。

木陰に影が浮かび上がっていた。

シュールなシルエット。

まさか、と思い目を凝らす。

そこに、あの黒が居た。

新は胸の内で何かが芽吹いたような感覚に襲われた。

不快ではない、決壊。

自然と無表情が壊れてしまう、はにかんでしまう。

新は慌ててコンビニに向かい、お茶と肉まんを買って走った。

一昨日のことを頭に思い浮べると幸せ半分恐れが半分だった。

けれど新は走り距離を一気に縮めた。


「こんばん、わ」


疾走の勢いで前半は強く、減速で後半は語尾が弱く出てしまった。

黒が振り返り一瞬硬直、後身体をびくりとさせておろおろし始めた。

今にも逃げてしまいそうで、新は急いでマントの端を摘んでしまう。


「おとといのっ」


急いだせいで声が大きくなってしまった。

言い直そうと一呼吸すると、黒いのはもう逃げないよと一歩近づいてくれた。


「おととい、…一昨日はごめんなさい」


両手でマントを摘んだまま頭を下げる。

マントの下に足でもあるのかと思っていたら、中に姿を現しているのはまた黒いマントだった。

心の底から謝りたいのに、笑いが込み上がってきた。

それでも頭を下げたままでいた。

こんなことで許してもらえるなら、と新は縋るような気持ちをこめて。

優しく頭を撫でられる。


「…俺、嫌われたかもって」


わしゃわしゃと、慰めるような手つきが続く。


「…ありがとうございます」


柔らかくて甘い感情が新を支配する。

鼻が痛くなってきた。

指先で刺激しても唇が痛むだけだった。

黒いのの手がそっと離れゆっくり新の肩に移動する。

顔を上げて、そう言うかのように。


「本当に、ごめんなさい」


顔を上げると目がすぐに合う。

相変わらず個性のない能面の奥に、穏やかな黒い双眸がきらきらと輝いていた。

蔑みも偏見も知らない、純粋な目が。


「っ…っと、俺、嫌われて」


ないないと黒い首が横に振られた。


「良かった…」


泣き笑いになりかけて、ぐっと堪える。


「あ、あの子猫は」


言葉の変わりは首肯。

それだけで、ちゃんと弔ったのだと伝わってくる。


「そっか、そうですよね」


歯を見せて微笑むとこくりこくりと首が縦に動く。


「あ、これ食べませんか?お詫びっていうか、えっと…」


言い淀んで言葉を選ぶ。

それをまたず黒いのはうんうんと同意してくれる。

それがもう嬉しくて嬉しくて。

新はマントを掴んだままベンチに歩き出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る