1.その黒****

ひらがなばかりの台詞に、冷や水を頭から食らった。

今の声は、


「しんちゃーあんもーちょー探したし、くそさっみーのに、…しんちゃんさむくね?」


ちょー薄着だね、と足りない口調で新の肩に触れるのは銀座。

ぱぱの従順な親友であり狂犬。

首を嫌々ひねり顔を向けると、銀座はいつも通り歯をむき出しにして笑った。

覗かせるそこに鋭い犬歯。

ピンクのダウンジャケットは知性なんてありませんと宣伝しているようで。


「さ、しんちゃん、しゃちょーがまってんぜー」


腕を捕まれ立たされることに抵抗できなかった。

銀座は背が高い、その上力が強い。

だから銀座は握力が無駄にある。

これから繰り出す拳は顔面の骨を簡単に砕く。

砕かれては困る人物が、新の背後に居た。


「んひ、いいこー」


そうして立ち上がった新に、銀座は改めてにこりと笑った。言うに決まってる。

決まっているのだから。

自分を震え上がらせる陳腐で使い古した決めゼリフを。


「しんちゃーあん、みえはってないでさー…ままの為におしごとしよ」


餓鬼にささやくように甘く優しく知性もなく、使い回しをけろりと吐く。

打算が散って表情が凍っていくのが分かる。

感情も、黒いのの前で死にたくはないのに息絶えていく。

心が冷え切る。

さっきまでの感情が霧散して、この場から離れたくなる。

見られたくない。

知られたくない。

自分が、


「んんー?」


銀座の馬鹿みたいに間延びした唸りで我に帰る。

銀座が子猫と黒を交互にぎょうぎょうしく見やっていた。

冷や汗が背中を伝う。


「うわきもきもだーごみがふたつまとまってるー」


声は阿呆みたく大きく、冬の夜に反響した。

人通りがほとんどなくて良かった。

好奇の目が黒に刺さらなくて、いや早くこの場から離れなければ。

この銀座が何をしだすか分からない。


「銀座、いこ」


声を殺して催促すると銀座が拘束を解いた。

完全に興味を持ってしまった。


「これもしかしてしょくりょう?しょくりょう?わああしんだのくうんだ!すげ、ちょー笑える」


ぐろいぐろいと小気味よく吠えて、えぐくえぐく、銀座が笑い出す。

豪快に声を張り上げて態とらしくわりと本気で。

爆笑の矛先は黒いのだ。

新は銀座の腕を掴み家路を促す。


「銀座、行こ」


「うひひひーいいのいいのおともだちじゃねぇの」


目に涙を浮かべ答え難いことを言い放つ。肯定したかった。

したかった。


「いいから」


「うひひーきったないでっす」


苛つきを声に乗せ、注意を自分に向けようとしたのに。

銀座の鋭い蹴りが死体を蹴り上げた。

何かが破裂して、何かが叩きつけられて、どこかにびたりと張り付いたような音がした。

唖然と、空気が張りつめた。

それは新にだけで。


「おお、さっすが銀座さん、きょりでますねー」


素っ頓狂な声色に、次の標的を狙い定めた決意を感じ取り。

新は強引に黒と銀座の間に身体を捻り込む。

眉間にシワをこれでもかと寄せて、眼孔を鋭くさせて。

新の表情に銀座がにたりと、犬歯を見せつけ笑った。

軸足に込めた力を抜き、子猫を蹴り上げた余韻に微笑む狂犬。


「ひひ、やさしい」


新は、息の根を止めたくなった。

涙が出そうになる。

泣きそうだ。

情けなくて泣きそうだ。

それでも嗚咽は喉よりもっと下で死んでしまう。

感情が先に死んでいるからだ。

銀座を睨みつける。

嬉しそうに返してくる。

自分は、これと、同じ。

ゴミだ。

凍った死体だ。

いや、それ以下だ。

目を伏せると銀座が力任せに新の肩を抱いてくる。

父親が家出をしていた子供を保護するように。


「しんちゃん、ままがああならないように、りっぱなおとなになろうね」


使い回しではない、新鮮な脅しに。

新は分かってるよ、と口の中でしか返事ができず。


ゴミだ。

ゴミだ。

ゴミだ。


心の中でそう呪文のように呟いて、銀座に連れていかれる。

振り返ることもできない。

顔を見せるのもおごがましい。

新はごめんな、とくずの合間に挟んで謝ることしか、できなかった。

遠くの夜闇の間で、日常というより普通を暮らす人間が家路を急いでいた。

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