1.その黒**

視線を彷徨わせまばらなネオン後、花壇の端に黒いものが蹲っていた。

極上の黒だ。

黒すぎて暗闇で浮いているほど、極悪な黒だった。

口が半開きになり目を凝らす。

黒が蹲っている。

それだけだ。

それだけでなんら害がないように見えた。


「あれが、浮浪者?」


心の中で変な、を飲み込んだ。

会話の端々に悪意を込められ、まるで人ではない別のものとしての眼差しを受け続け。

大人しく蹲る弱者。

新はそっと伺うようにその黒に近寄った。

苦い気分にさせた言葉を、本当に向けられた黒がどんな者なのかが見たくて。

黒の輪郭が定まっていく。

闇夜より黒いそれに近づいてく。

怖くもの見たさでも、好奇心でもない。

複雑な、奇妙な、同情のような親近感のようなものを湧かせてその黒の背後に新は、立ち竦んだ。


慣用植物が植えられた背の高い花壇と、ベンチの端の本の小さな隙間に、その黒はいた。

しゃがめば風は当たらない、けれど怪しいことこの上ない場所に、その黒はいた。

その黒は蹲り、首をひしゃげていた。

もう動こうとしないそれを、どうすることもできない憤慨に押しつぶされながら。

その黒は蹲り、腐り始めた白い花を手向けようとしていた。

それは枯れ果て、毛皮に辿り着く前に冷たい外気でこなごなに崩れさった。

空中で固まる指。

黒い光沢のある手。

歪んで触れれば死を運びそうな、その黒の不吉そうな手が、ゆっくり拳を握りしめた。

こんなことしかできないからか。

そんなものしか手向けられないからか。

悲しいのか。

切ないのか。

その黒は肩を落とした。


鼻が、痛い。


奥の方が痛烈に痛い。

指の裏で口元を刺激しても痛みは引かない。

その黒が肩をさらに落とすから。

新は瞼を力一杯閉じた。

寒さで凍りそうだった。

幻覚だけど。

それでも鼻が痛いから。

新は目の前の花壇に手を伸ばし、ピンクの花を摘み取って隣にしゃがんで花を手向けた。

小さな柔らかそうな毛皮にそっと添える。

それでも鼻が痛いのは、その黒いのが視線を新にくれたからだ。

新が目を合わせたら走って逃げてしまいそうな、恐る恐る伺うような視線をくれたからだ。


鼻が、痛い。


鼻腔の奥がつきつき痛む。

新はそう感じながら、それでもその黒と目を合わせた。

個性のない能面があった。

腐葉土のような汚れた金のような色をした、能面が。

不気味で仕方がない印象だけを与える恐怖そのもの。

なのにその奥にあった双眸は、黒くきらきらと星のように輝いていた。

目を合わせてから輝いたのか。

目を合わせる前からそうなのか。

狂人の果てなのか。

恐る恐るは何処に行ったのか。

狂気の沙汰にしては無垢すぎて。

純真な子供のような疑いのない真っ直ぐな目で。

どうしてか自然と、笑みが零れた。

唇がぴきりといったがどうしてか嬉しくなった。

どうしても笑っていたくなった。

新の表情の和らぎに、その黒いのはますます目を輝かせお礼をするように深々と頭を下げた。

沙汰の人間はこうはでない。

崖っぷちの生き物はこんな行動に出たりはしない。

新が思わず吹き出すと、その黒はおろおろと慌てだした。


「面白れー」


肩を揺らして笑い出すと、その黒は困った困ったというように能面のアゴの部分に手を添える。

立てば新より少し背が高そうで、すらっとしたシルエットと仕草のギャップがかなり笑える。

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