これ黒(仮)

狐照

1.その黒*

所持金は3円。

財布事情も考えず、啖呵切って飛び出した手前そんなところに伏兵が潜んでいるとは。

新は身体に張り付く冷たさに身震いした。

制服に少し厚めのセーター。

マフラーは床に叩きつけてきたので首はノーガードだ。

防寒としては最低クラス。


「これで200円くらいあればなぁ…」


口の中で転がし呟く。

唇が乾いて少し切れた。

痛みに顔をしかめる。

まま曰く、やくざさんみたい、な目を。

舌で潤すと血の味がした。

滑稽で笑える。

笑いはしなかったけど。


制服のポケットに手を突っ込んで寒さに震えた。

後悔はない。

いつも後悔はしない。

ただ理由が欲しい。

いつもそれだけがネックであがいて藻掻いて、結局逃げ切れない。

だからこの現状に至ったのが自分の間違いだと言われも、頭が悪いと言われても後悔はしない。

たとえ虚しい逃げだとしても。


「あれなにー?」


「見んなって」


いかにも平凡でケンカなんかしないけど結婚もしません、なカップルが嫌みな含み笑いをして目の前を通り過ぎて行った。

ひそひそとにやにやと悪意の籠もった言葉に、新はますます顔をしかめた。

ぱぱ曰く、その筋の人だって裸足で逃げ出す、眼孔を。

浮いているとは考えにくい。

ここはいろんな人間が行き来する駅前のショッピングモールの広場の一角。

新が立ってる場所は建物の壁際で、背後が赤いレンガ。

高校生が待ち合わせしている、という体にしか見えないはずだった。

街頭が当たらず薄暗い所に居るが、ああも悪意のこもった言葉を浴びせられるほど、ゴミのように佇んでいるわけではない。

表情が凍っていくのが分かる。

感情も死んでいくのが、分かる。


「ママーあの人ー」


「見ちゃだめよ」


若い母親とその子供の足早な姿。


「なにあれ、やばくね」


「うわ、まじやば」


知性の欠片もない丸みもないことを抜かす、高校生のカップル。

まばらに行き交う人の容赦ないそれに。


「悪かったな」


ひとりごちて息を吐いた。

白いはずなのに黒く見える息。

自分で吐いた悪態に、新はいよいよ腹が立ってきた。


「あれってホームレス?」


この場を離れようとして、その言葉が胸に刺さった。

自分は、確かにそれに近い。

けど。

目を見開いてそんな言葉を吐いた本人を探す。

人気はほとんどなかった。

自分を見て嘲笑う、それがなかった。


「たしかここら辺でよく見る…変な浮浪者じゃない?」


会話をしていて怖くなったのか、女性2人の声がどこかへ消えた。

変な、浮浪者。

そう言われ、今までの悪意が自分へ向かってきていたのではないと。

理解できた途端頬が熱くなる。

ますます寒さが身に染みる。

いい被害妄想だ。

新は苦虫を潰したように。

それでも自覚があったことに。

氷のようになった指の裏で、口元を刺激した。

後悔は、できなかった。

事実が新の目の前に蹲る。

くたばってくれと懇願しても、事実がそこに横たわる。

心臓がやけに早く脈打つ。

身体から力が抜けそうになって壁に凭れる。

冷たさが骨に染み渡るが気にならない。

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