たまねぎが目にしみる

日笠しょう

たまねぎが目にしみる

 悩んでいるからだが熱くて、指先は凍えるほど冷たい。


 そんな曲がふと聞きたくなって、近所のレンタルショップへ向かう。重たい雲が空に蓋をしていて、キンと冷えた空気が街中に立ちこめている、2月のお昼過ぎ。時間の流れまで凍り付いたように、ゆっくりだ。

 

 昔テレビで、大海を行く流氷の群れをみたことがある。冷たいものは、動きも緩慢だ。キシキシと音を立てて、遙か彼方へ向かう氷と私とでは、心の温度も、時の早さも違うのだろう。私もまた、学校のみんなと違うスピードで生きているのではないかと、思うときもある。


 サブスクリプションに登録していないわけではないが、観たいもの、聞きたいものはできるだけレンタルショップに通うようにしていた。時代遅れ、と言われてしまえばそれまでだが、こういうのはお店に行って、パッケージを手に取って、家に持って帰って、そしてまた返しに行くところまで含めて、楽しさだと思う。


 それに、サブスクはなんだか怖いのだ。私の大好きな作品を目一杯に詰め込んだ本棚が実は幻で、偉い人がひょいと指を振るだけで、簡単に取り上げられてしまうのではないか。誰かのさじ加減に、自分の感性や思い出までを委ねるのは不安だった。


 周りに取り残される寂しさと、この手からすべて抜け落ちていく恐怖。流氷の上に一人取り残されたペンギンを想像する。行くことも戻ることもできず、足場の氷に命を任せ、ただ広い海原を漂う孤独。私はペンギンだ。行くあてのない、漂流者だ。


 店内は閑散としていた。私のほかに客はなく、店員もレジに一人。一昔前に流行った曲がガビガビの音質で、レジ後ろのラジカセから垂れ流されている。もはや骨董品だ。


 店員は私に一瞥をくれた後、ぼそぼそと挨拶をして、また下を向いた。おそらく、いつものようにポップを作っているのだろう。


 私がこの店に通う理由が、お店手作りのポップだった。おすすめの映画やアーティストに、店員が紹介文を書く。私はそれを見るのが好きだった。


 ネットで探すよりも、店内をふらふら漂流しているほうが、新しい何かに出会える気がする。サブスクは能動的で、ウィンドウショッピングは受動的。向こうから情報がやってきてくれるのがうれしい。正直、2時間くらいなら簡単に時間を潰せる。


 目当ての棚はあとにして、とりあえず映画の棚から目を通していく。代わり映えのしないランキングコーナーは流し見して、自主企画のコーナーへ。よくまあこんなにレパートリーがあるもんだと、毎度感心する。今週は『タバコが吸いたくなる映画』らしい。当然かもしれないが、Vシネマがずらりと並んでいる。


 ——孤狼の血が面白いよ


 受験前、あいつに勧められたタイトルを見つけた。女の子に何をおすすめしているんだと思ったが、確かに面白かった。勉強のいい息抜きになったのも覚えている。その後、アウトレイジまでに手を出したのはちょっと後悔しているが。


 私とあいつは中学からの同級生で、高校も一緒だった。なんなら、第一志望の大学も一緒だったが、受かったのは私だけだった。


 ——いやぁ、受験期なのに映画を見過ぎたね


 あいつはそう言って笑ったが、彼が観た作品は例外なく私に又貸しされるので、視聴時間はそんなに変わらなかったと思う。サブスクで観ていたなら話は別だが、あいつも私と同じ現物派のひねくれものだから、やっぱりそれほど変わらないのだろう。


 たくさんの映画やCDを交換した。


 毎月500円で、新旧作品問わず映画を5本まで借りられるプランがあった。CDの場合は同額で、月10本まで。レンタルショップ版サブスクのようなものだと思ったが、パッケージを手に取れるし、借りて返す手間も発生するからいいだろうと勝手に折り合いをつけた。


 到底5本10本じゃ足りないから、お互いに別の作品を借りて、回し合いっこした。たまに借りる作品が被ったり、絶対に私が観ないような作品を混じっていたけれど、おおむね上手くいっていたように思う。押しつけがましい回もあった。


 ——これ、絶対におすすめだから、観て!


 と、あいつが押しつけてくる作品は、でもどれも、観た後に元気になれるものばかりだった。私も自分の視聴歴からおすすめの作品を返そうとしたのだが、これだっ! という作品はどれもあいつが紹介してきたものだったので、悔しい気持ちになったのを覚えている。


 そうして徐々に、好きな作品が増えていった。ゆっくりとした変化が、私には心地よかった。


 映画の棚を通り過ぎて、CDコーナーへ。


 私の受かった大学は、実家から片道2時間の距離にある。家から通えなくもないが、一人暮らしをしない理由もない。たぶん、私は地元を離れるのだろう。すぐに帰ってこれる距離だから、ホームシックに陥ることもなさそうだけれど。


 受かったときに、うれしいとかほっとしたとか、そういう気持ちはなかった。やっと終わった、のほうが近いかもしれない。クラスは一喜一憂していたけれど、私はぼんやりしてしまって、また取り残されてるな、と心のペンギンが俯いた。


 集団が嫌いなわけじゃないけれど、どうしても気持ちに熱が入らなかった。私の心は冷たいままで、何を見ても聞いても、押さえつけられたメトロノームのように極小の幅でしか気持ちが揺れ動かなかった。


 あとからあいつの結果を聞いたときも、私はひんやりとしていた。ただなんとなく、私の乗っている流氷にはあいつもいるものだと思っていたから、これからさみしくなるかもなと正直に口に出した。


 ——本当にそう思う?

 ——五分五分かな。いてもいなくても

 ——まあ、お前はそういうやつだ


 彼の第二志望は、実家から通えない距離にある。だから、彼も地元を離れるのだろう。そして私よりは、きっと帰ってこない。


 あ行の棚に、目当てのCDを見つける。古い曲なのに珍しく平積みされていて、お手製の紹介ポップが飾られていた。


『片思いの最中に聞きたくなるアルバム』


 黄色い画用紙に油性ペンで書いただけの、簡単なポップだ。私は誰かに何かを気取られないよう、普通を装ってCDを手に取り、なんでもないようにレジカウンターへ向かい。いつも通りレンタルの手続きを済ませて店を出た。


 知らない誰かに名前を付けられるのは好きじゃない。好きじゃないし、バレたくないし、あからさまだと思われるのも不服だが、だけどなるほどそうなのか、と早口で独りごちる。


 これは片思いだったのか。


 そして知らない間に、実らなくなっていたのか。


 地元を離れればこのレンタルショップからも足が遠のくように、物理的な距離はきっと埋めがたい。キシキシと、心の氷が音を立てる。そうやって流れに身を任せて、いつの間にか離ればなれになる。足下の氷はずっとここにあるわけではない。いつかは溶けて、私は深く沈んでいく。


 だけど。


 体がぶわっと熱くなる。黙りこくっていたメトロノームが、どくんどくんと、急に騒ぎ出す。


 足の短いペンギンは、ジャンプができない。海から上がり、別の氷にあがるには、相当な助走を海中でつける必要がある。だから私も、勢いよく駆け出していた。

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