第5話 「降る雪や明治は遠くなりにけり」

現在の日本はすっかり韓国化し、マニュアル通りのことしかできない・面白みのないバカ社会になってしまいましたが、つい30年前までは、医者も病院も患者も、皆しっかりとした心でゆとりがあり、毎日の生活や人生を何でもない出来事で面白おかしく生きていたのです。

現在の日本は在日韓国人漫才師の漫才と同じで、表層的で作り物っぽい社会(的雰囲気)になってきているようです。

政府やマスコミのプロパガンダによって、景気がいいように見せかけていますが、現実には借金に次ぐ借金で、蛸が自分の足を食って生きているようなもの。子供の頃、祖父さんたちから聞いた「大正時代」のようで、まさに韓国的作り物の偽物社会。

となると、最後は在日韓国人の天皇や政治家極めつけ「テーブルをひっくり返す」となり、結局、犠牲となるのは純粋(在来種)日本人ばかり、ということか。


そもそも、現在の韓国の元である百済や新羅という地域の住人は、2,000年間、中国の属国であったので、働かなくても飯だけは食えた。しかし、その安易な安心感からは何も生まれなかった、という特異な歴史を持ちます。

外敵と戦うとか生活の質を向上させる為に努力する・前進する・苦労する、といった努力をせずに、要領よく生きる人たち。彼らは、明治時代に日本人が来るまで車輪とか水車が作れなかったらしいのですが、中国からそういう文明の利器はただでもらっていて済ませてしまえばいい、という考え方。

明治時代の日本人が、欧米の文明に追いつこうと必死になって個人は刻苦勉励・努力し、民族全体で戦ったのとは全く違う生き方が韓国人。

バカにされようが軽蔑されようが、文明や文化がただで転がり込んでくるまで、じっと待つ。自分で戦う・努力するのを嫌い、要領よく生き抜くというスタイルで生きる。これが韓流というものなのです。ある意味、賢い生き方、といえるかもしれません。私は絶対にいやですが。


 豊臣秀吉が朝鮮征伐に向かった時、半島で戦ったのは(現在の)韓国人ではなく、明(中国)の軍隊でした。(海戦では李舜臣という唯一やる気のある将軍に、日本軍は悩まされた。)

1950年に勃発したで朝鮮戦争で、北朝鮮軍と戦ったのは韓国人ではなく在韓米軍(国連軍)だったという事実は、その繰り返しをしている、ということ。「1950 鋼の第7中隊」という2021年世界興行収入2位の、朝鮮戦争をテーマにした中国映画が韓国で上映禁止となりましたが、それは北朝鮮と中国が戦った国連軍とは、アメリカ人の兵隊であって韓国人ではなかった、という史実が忠実に描かれていたからです。

韓国という国は昔も今も、自分では戦わないで漁夫の利を得ることばかり考えている。 戦わない・努力しない。それでも中国という後ろ盾から援助してもらえるから、向上心が育たず、要領ばかり考えるようになってしまった。

中国の属国時代、韓国には「土下座門」というのがあったそうです。

中国からの使節がくると、両班という韓国人の1パーセントといわれる少数の貴族が接待し、使節が中国へ帰るときには、使節一行の姿が地平線の向こうに消えるまで何時間でも土下座していたのだそうです。たった一週間の土下座外交で、中国から山ほどの財物が(韓国の貴族に)与えられる。数時間の土下座なんてなんでもない、と考える韓国人。そういう民族の体質だから、どんな些細な文化さえ生まれない。苦労や工夫がなければ文化など生まれないし育たない。(その「韓国人の歴史を物語る建造物」を、現代の韓国人は破壊・撤去してしまいました。)


  私の父が昭和12(1937)年に、現在のソウルの近くに住んだことがあったそうですが、そこの町500戸(1,500人)の住民の内、字が読めたのは僅か7人だったそうです。川沿いに住む1,500人全員が、乞食同然の、まるで原始人のような生活をしていて、丘の上にある両班という貴族の一家20人だけが、現在の韓国ドラマで見るような、オンドル(温突)という暖房装置のある、人間的な生活をしていたそうです。


学校もなければ、集会所も祭りも音楽も絵もない。日本人からすると、まるで犬や猫が、かろうじて人間の顔をして、服を来て、家に住んでいるという、外見だけでなんの情緒も情感も文化もなかったそうです。

500戸の家の若い娘は、全員が貴族の慰み者になる。運が良ければ、両班の妾にしてもらえる」という考え方。 早い話が、娘が貴族に強姦されて子供ができて、しかも、それが気に入られれば、自分たち家族も乞食から貴族の仲間入りができるかもしれない。それが彼らの人生(で唯一の夢)だったんだそうです。

戦わない貴族と、そんな貴族に対して従順で反抗心のない奴隷たち。この構図が今の日本で再び現実のものとなりつつある。(昭和元年から敗戦の昭和20年までが、まさにこれであったといえるのではないでしょうか。)


つまり、1935年の独映画「メトロポリス」において、2035年という時代設定で描かれた、1パーセントの貴族と99パーセントの「人間の顔・体型をしているが心は空っぽの人間擬き(もどき)」で構成される世界というものが、西暦2000年頃を境にして(成りすまし日本人の増加に比例して)徐々に現実化してきている、ということです。そんな日本では、在日韓国人貴族の割合は優に2桁を超えるでしょう。


2023年6月から始まった、主要新聞や雑誌・週刊誌の(偽日本人の記者やライター、専門家たちによる)壊滅的と言えるほど多くなった痴呆記事群を見ると、この急激な時代の変化とは、運命(必然)なのか人為的な風潮なのか、と考えさせられます。

私のようなスピンアウトというかリタイアした人間からすれば、興味津々という程度のことにすぎませんが、子供さんやお孫さんのいらっしゃる(純粋日本人の)ご家庭にとっては「ワクチン禍」以上の脅威となるでしょう。

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