第4話 正しい問題解決は徳洲会病院
便秘症というのは遺伝するものなのか、私の妻も便秘で死にかけたことがありました。義理の親父(妻の父親)が亡くなって2年ほど経ってからのことです。
今回も同じく私の運転で、しかし今度は迷わず徳洲会湘南鎌倉病院へ直行しました。
救急外来ではありませんが、妻の場合もかなり苦しそうでしたので、直接診察の窓口へ頼んで診てもらいました。
予約もなし「救急外来」でもないのに、事情を説明すれば、即座に門戸を開いてくれるとは、さすがは徳洲会、「命だけは平等だ」という徳田虎雄のポリシーが日本全国の徳洲会系病院に行き渡っていた頃です。
担当して戴いたのは「蒲田」という名のお医者さん。
当時の徳洲会の医師とは、全員が1年~3年間の24時間救急外来で鍛えられているので、そんじょそこらの金儲け病院のへなちょこ医師なんかとは全然違います。
一般の病院では、夏目漱石の「坊ちゃん」に出てくる「青なり瓢箪」みたいなひょろひょろの青二才の若造医師がいて、その後ろに、お局様のような、年増の・がめつい・やり手ババアみたいな看護婦が目を光らせている。そして患者がちょっと突っ込んだ質問でもすると「お時間がないので」とか、「他の患者さんがお待ちなので」なんて言って、質問や疑義を拒絶してしまう。
ところが、当時の徳洲会の医師とは、製薬会社や葬儀屋、そして、患者からでさえ「リンゴ一個」であっても贈り物はもらわない、というポリシーが染み渡り、清廉潔白・質実剛健・筋の通った、骨太でガッツのある、まさに医師らしい医師という感じで、どんな質問にも正面から明確に(素人にも)わかりやすく、懇切丁寧に説明してくれました。
また、病院組織としての徳洲会は、貧乏で治療費が払えない人には支払いを何年も待ってあげた。つまり、無利子でお金(治療費)を貸してあげたようなものです。
まさに「医は仁術」を、医師も病院も実践していたという、現在の外来種の偽(にせ)日本人医師ばかりの医療界とは1線も2線も画していた、別格ともいえるくらい崇高な医療機関だったのです。(徳田虎雄氏が病床に伏せってからは、病院にもよりますが、随分と俗っぽくなってしまったようです。)
蒲田医師の病状に関する説明は、明朗簡潔にして的確でしたので(私も納得)、すぐに治療(浣腸)をして戴くことになりました。
ところが、私がカメラを取り出して妻の写真を撮ろうとすると、さすがの先生も「写真ですか・・・」と渋い顔。診察室内で治療の様子を写真に撮るなんて、恐らく法的にも問題なのでしょう。
で、私が「今度、夫婦喧嘩をした時に、この情けない顔を見せてやるんです。」と言うと、「そりゃあ、いい!」と大笑いし、それ以上何も仰いませんでした。
で、私は、治療用のベッドに横向きになり腰に大きな布をかぶせられ、情けなさそうな・しょぼくれた顔をした妻に向かって「ほら、笑え!」とカメラを向けました。
すると、妻は「びぇー」というような顔(堺正章の父エノケンや、左卜全といった一流の役者しかできない「笑いながら泣く」という演技。妻の場合は地顔・素顔)で、フィルムに収まりました。お医者さんや看護婦さんたちは、皆、笑いを押し殺したようにして、黙々とお仕事をされていらっしゃいました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます