4.虹蔵れて見ず日

世間的には休日の今日。

末棄は兄首藤と弟素甘すあまに誘われて、変若水の森に来ていた。

変若水の森とは、実験的に遺伝子改良された植物が群生する、変若水家の人間のみが入ることを許された私有地のことを指す。

大自然に縁もゆかりもない三兄弟が雁首揃えて集まったのには理由があった。

変若水の森には、奇妙な生物が生息している。

鹿のような角に頭、下半身は馬に似た、足は五本で眼がハ虫類。

鳴き声は猫のようで草食。

単為生殖で卵をぽこぽこ産み落とす。

繁殖力はネズミか害虫並。

変若水の森の植物以外好まず、変若水の人間以外知ることもない、遺伝子改良が残した生物。

そしてその肉、たいへん美味。

故に首藤と素甘は時々ここに来ては強化人間に狩りをさせその肉に舌鼓を打つのだ。

幼い頃からそれを口にしていた兄弟の共通の好物でもあった。


その他右左が森から生物を追い出し追い駆けていた。

その集団を素甘が用意した強化人間の精鋭が待ち構え、素手で角を掴み首を捕らえひねり殺す。

銃などで仕留めると味が落ちでしまうため、そのような危険な方法をとらざる終えない。

何体かの強化人間が角や後ろ足をくらい、再起不能と草原に転がっている。

鷹宗は首藤の隣で手帳を何度も何度も見ては頷き首を傾げては見てはを繰り返す。


そんな奮闘を小高い丘に立てられたロッジのテラスで、首藤と素甘はいつもの体で眺めていた。

首藤は阿呆な笑い声を上げていた。

彼自身ど、が付いてもまだ足りない本当の阿呆だ。

緩い教育を私立のエレベーターな学舎で学び、大丈夫お兄ちゃん?と素甘に小馬鹿にされているのを気付かないほど、知恵が足りない。

一応おちみずグループの社長。

これで面構えが残念だったら、ただの成金馬鹿だ。

が、救いなことに、背も高く美丈夫。

良かったねおにぃちゃんと素甘にまたも小馬鹿にされることがあるが、本人はやはり気付かない。


そんな長男の隣で、小学一年生より小さな体躯の素甘が、幼稚な声でけらけら転げ回っていた。

その中身は無邪気と邪悪が入り交じった、幼児とはとても思えない嫌みと毒を吐く性根の腐った性格が詰まっている。

くりくりした大きな瞳にぷにぷにの頬。

愛らしい天使の見た目で鋭利な言葉を突き立てる。

彼の傍らには目が死んで生気精気共になく、明らかに心壊れた女が座っていた。

伸ばしたままの長い黒髪に隠れた姿も美しい、白い鼻筋の通った彼女は、三兄弟の実の母親だ。

三男坊素甘は、この心病んだ母の可愛い素甘であり続ける半強化人間。

実年齢は末棄の一つ下ほど。

己の生まれに何ら疑問も抱かない辺りが、強化人間。

己の気ままな身を謳歌していう辺りは人間。

そんな兄弟次男坊、末棄は持参したノートパソコンとにらめっこ。


兄弟の憩いのはずだった。

少なくとも兄と弟には、楽しいことだった。

末棄を救うことのない、憩いだった。

末棄は、首藤と素甘を陰で支えるが務めときつく躾けられたいた。

幼い頃からそう言われ続けた末棄は、二人を血の繋がった人間と思っていなかった。

彼らは変若水の、変若水に必要な血脈を継ぐ者。

それ故いくら二人が弟よ、おにぃちゃんと、甘えて寄って触れて話しかけても、末棄は兄とも弟とも捕らえない。


酷は、唇を乾かせそんな末棄を見守り続けていた。

森特有の静けさの中に、凶悪が混ざっていないか白いのど仏。

首藤は馬鹿剥き出し、素甘の無邪気はほぼ悪意。

いつしか狩りではなく、戦闘本能を呼び覚まされた強化人間同士の争いになっていた。

それを兄弟は楽しそうに笑い転げて野次を飛ばし、煽る。

乗りに乗ってきた二人はふいに同時に末棄を見遣り「末棄ー、酷、出したら?」「酷さんをさ、出そうよおにぃちゃん」


末棄は僅かに二人に目を向け、酷、と小さな声で呼ぶ。

呼べばすぐ、酷は黒くするりと末棄の影から現れ末棄の傍。

末棄の急所に警戒を続ける。


「酷、やるか?」


「…俺は末棄を守る」


末棄以外はどうでも良い。

末棄の傍を離れることはない。

それを短い言葉に込めた酷の即答。

少しだけ満足そうに椅子に座り直し二人に「だそうだ」と短く言い切る。

二人は不服そうに不満げにしてからすぐさま向き直り、強化人間たちのつぶし合いに興じた。


溜まっていたメールを開封確認終わり。

息をほっと吐き、末棄は上着のポケットから黒飴をひとつ取り出した。


「酷、飴食べるか?」


小さな顎を首肯させる黒い頭。

黒飴の包みを開け、末棄は酷の口元へ運ぶ。

かこっと、酷は飴を貰い。

末棄は仕事へ。

酷は仕事へ。

世の休日と呼ばれる今日、二人はただただ仕事に没頭した虹蔵れて見ず日。

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