第11話 

「おい、君。一つ聞いてもいいかね」

「なんすか?」


 僕と川神さんは目線を交わし、お互いの役割を決めるでもなく、考えるよりも早く行動していた。川神さんが聞き手にまわり、僕が退路を断つ。性別と力量から言っても間違いなくベストな分担だ。僕はゆっくりと退路を塞ぐように、ドアを背にして立ち身構えた。


「その芳香剤のようなものだが、少し確認してもいいかい。いくつか確認したいことがあってね」

「なんでっすか? 別に変な物じゃないっすけど。てか、その手に持ってるやつの方がなんすか?」

「これについては後で話す。それより、今まではそんなもの教室に置いてなかっただろう? 今までなかったものを教室に置いて周っているとなれば気にもなるさ。それに君のそのかったるい仕草、めんどくさそうな口ぶりからするに、おそらく学校中に置いて周っているのだろう」

「……俺、何にも知らないっすよ?」

「君がどれだけ事情を知っていようが、知らまいがはどうでもいい。いや、正確には君がその芳香剤をどこから仕入れて、誰に指示されて、どこに置くように言われているかを聞き出したいところだが、それはひとまずだ。さ、早く見せ給え」

「いやいやマジで、俺も早く帰りたいんっすよ」

「ならば協力的になりたまえよ」

「……強制じゃないっすよね」

「そうだとも。私たちに君の持ち物を強制的に調べる道理はない」

「なら嫌っす」

「……道理はないが、方法はある。無理を通せば道理も引っ込む。昔の人は良く物事を観察していたねぇ」


 川神さんは意味ありげに白衣の内ポケットに手をかけた。しかし、川神さんの内ポケットには相手を攻撃できるようなものは入っていない。入っているのは携帯、財布、そしてこの学校では欠かせない学生証。

 それなのに川神さんは意味ありげにポケットに手をかけた。つまり、川神さんは一世一代のハッタリをかましているのだった。

 相手の男はそんなことを知る由もない。川神さんが天才的な化学者で、多少の人間性が欠如した、けれど有力な発明家であることは相手も知っているだろう。だから、ハッタリでも効果は十分に見えた。


「……っち、俺もそんな役回りばかりだ」

「おい! 待ちたまえ!」


 まるで事情ありげであることを知らせるような捨てゼリフを吐き、美化委員を語る男は逃げ出した。それも、”窓から”。

 扉の前に立てば退路を塞いだことになると思い込んでいた僕は、慌てて窓へと駆け寄った。しかし、男は既に窓から飛び降りた後で、コの字型になっている校舎の向かい側、ここは南校舎だから、つまり北校舎へと逃げていくのが見えるだけだった。

 北校舎はグラウンドに面しており、いろいろな運動系の組織が活動している。追っていったところで、大勢の生徒のなかから見つけ出すことはできないだろう。それに運動場からはフェンスを越えれば学校外だし、グルっと校舎の外周を回ればどこへだって逃げることができる。最早、追跡すら難しい。

 僕は呆然と、逃げる男を見ていた。男は4階から飛び降りたというのに、足を引きずる様子もなく脱兎のごとく逃げていき、後ろ姿は小さくなって消えた。

 

「まさか、窓から逃げるなんて……」

「常人ではないな、少なくとも。ここがどのぐらい高さかわからないが、まともな人間が飛び降りていい高さではないことは確かだ。おそらく何かしら仕掛けがある。外骨格か、強化手術か……」

「捜しますか? と言っても、北校舎の方に逃げたことしかわかりませんけど」

「いや、追うだけ無駄だろう。仮に見つけ出したとしても、あの強化人間に対しては捕らえる方法もない。……いまはあの男が残していったものをしっかり調べよう」

「わかりました。あの男が置いていたヤツですね」


 僕は男が残していったものに近寄った。何か危険なものかもしれないとジリジリ近づいたが、香りもなく身体に違和感もなかった。今は効果が出ていないだけかもしれないが、即効性のあるものでは無いことは確かだった。


「まさか本当に香りを媒介にしていたとはね。もっとも、これが本当に芳香剤だという可能性も否定できないが。これが本当にただの芳香剤で、それとは別にあの男が何かやましい問題を抱えていたという可能性もある。……が、まあこの芳香剤は普通のものでは無いだろうね。分析器が反応しているところを見るに」

「反応したのはどの線だったんですか」


 僕が川神さんに聞くと、川神さんは白衣からスマホを取り出しログを確認しているようだった。


「反応したのは悪臭と服留君の臭いだ」

「どうして芳香剤にその二つが? 誰が何のために?」

「知らんさ。ただ今までは守野が怪しいの一点張りで調査してきたが、問題は思ったよりも大きそうだな」

「……確かに」


 僕は芳香剤を手に取ってみた。本当にいたって普通の芳香剤の容器だった。軽く振っても何も変化がなかった。それに分析機が示すような悪臭も、男子高校生のにおいもしなかった。


「どうして芳香剤なんかに擬態して……」

「まあ、これを作った人物は私が惚れ薬を作ったことを知っているだろうからな。その意趣返しだろう。私の惚れ薬に対して、嫌われ薬とでも呼ぼうか」

「なんとも手の込んだ犯人というか」

「技術があればそういうことをしたくなるのだろう。……認めたくないが、私もそれほど開発力が抜きんでているわけではないということだ。やろうと思えば、誰でも真似できる程度の能力なのさ」

「いえ、川神さんは天才ですよ」

「キミがそう思っているだけだった、と言うことだ。それにしても教室に置いて周っていたとは……。犯人らの目的は服留君だけではないと見える」

「守野さんはいったい、服留君をどうしたいんでしょうか」

「状況がこうなっては、犯人については振り出しだ。現時点でわかることと言えば、犯人には少なくともアンチ惚れ薬のようなものを、学校中に置いて周れるほどの開発力があり、それでいて研究者以外にも実働部隊を持っている組織がいるということだ。それから、それを望む人間がいる。当然その中に、守野の名前は含まれるわけだが…………どうだかな」

「そんな組織がこの学校にあるわけ…………………………あっ」

「やっと気づいたか。一つ……いや二つある。だからやろうと思えばやれるのだよ。”この学校ではね”」

「理化学研と――」

「――浪漫会に依頼すればな」

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