第8話

「……で、また何か用かね。私の記憶が確かならば、君の依頼は既に解決したはずなのだが」

「実は、最近おかしいんです!」


 端的に言おう。

 我が化学会会長である川神さんは、度し難い小食家だ。そのくせ人よりも食欲は(というか、食にかける情熱が)旺盛だから困る。

 昨日のこと。結局僕らは、駅のコンコースで軒を構えている立ち食いそば屋(あんまり美味しいわけではないのに、川神さんはやたらと食べたがる)へと行き、二人なかよくコロッケそばを注文し、僕は余裕で完食。川神さんは僕が口に運んでやってやっと完食した。

 川神さんが食べ終わったころには日は暮れ、僕の足は棒のように固く突っ張っており、切り出せば最高級木造建築家屋の大黒柱に最適だっただろう。

 そんな昨日の喰い過ぎが祟って気分が悪いという川神さん(小食なのにやたらと食べたがる)と、何の変化もなく晩飯、朝食、昼食と食べた僕のもとに、先日依頼を解決したはずの服留くんがやってきた。その傍らには当然のように守野さんが立っていた。

 いつもだったら快く要件を聞く川神さんだが、今日ばっかりはそうにもいかない。なぜなら、服留くんは連れがおり、そして何より、川神さんの胃痛が彼女の怒りに拍車をかけていた。


「……おかしいという言葉では何も伝わらないが?」

「すみません、えっと……なんだか最近、翔琉かけるくんがみんなから嫌われるようになって……えっと……それで相談に来たんですけど……」

「翔琉くんとは誰だね」

「僕の名前です」

「……ああそうかい。そういえば、そうだったねぇ」


 そう言って、むやみに髪をいじくる川神さん。普段は伸ばしっぱなしでさわりもしない髪を、ワンレングスに垂らして覚束ない仕草で触っている。その姿は場末のハープ奏者という様子で、ワンレングスは本来エッチなことを生業にしている女性の髪型だったと美術教師が言っていたから、場末のハープ奏者という形容は適切だろうと思った。

 ただ一つ、川神さんがありとあらゆる女性的な豊かさをもっていないという点を除いて。


「嫌われているとはどういうことだね。以前我々が調査したときは、君に関心のある女子の方が少なかったが? 思い違いじゃないのかい? (それか君たちがべたべたしすぎているからだろうな)」

(ちょっと! ちゃんと話を聞いてあげてくださいよ。依頼者がどんな状況か、何を求めているのかを、しっかりとくみ上げるのが研究には大事だって言ってたじゃないですか)

(んー忘れた! じゃあ君が応対し給え)

「(なんという社会不適合者……)それじゃあ、もっと詳しく教えてもらってもいいですか? どういう風に嫌われてると感じるのか」

「えっと……なんだか無視されているんです。話しかけても嫌な顔してどこかに行っちゃって……」

「それは前からそうだったじゃないかね? 君は前にも言っていただろう。相手が避けるようにどこかに行くと」

「今回はもっとヒドイっていうか、何だか目にも入れるのも嫌だって感じで。前がやんわり避けられるなら、今は本気で嫌われているって感じで」

「そりゃ君を目に入れたらいたいだろうね。ゆうに1mは超えているのだから」

「(茶化さないでください!)……嫌われているのは二人ともですか?」

「いや、僕だけです。亜由美……いや守野さんは普通に接してます」

「……なるほど。服留くんだけが嫌われていると。何か原因に心当たりはありますか」

「何も思い当たらなくて……」

「そうですか……」


 ここまで聞いて思ったことは二つ。

 川神さんの言うように二人のことが目障りに感じで、特に目につく服留君がハブられているのか、それとも…………惚れ薬の副作用か。

 僕は川神さんをちらりと見た。川神さんはさすがに手櫛で髪を解くのをやめていて、顎に手を添え何かしら考えているようだった。


「……君の言っていることをかみ砕いて解釈すると、私の発明が悪いというのかね」

「いや! そんなわけじゃ無くて! だって亜由美とのきっかけを作ってくれたのは川神先輩のおかげですから! …………でも」

「まあ、君の言い分もわかる。おそらく私の発明が何かしらの原因であることに間違いはないだろうね。直接的な原因ではないにしても、だ。例えば、オキシトシンの分泌促進がされなくなって、反動的に負の感情が表れやすくなっていたりするのかもしれない」

「…………僕たちどうすればいいんでしょうか」

「その質問に対する答えとして言えば、今のところ対処する方法はない。何かしらの対策はこれから調査してからになるだろう。だから、君たちの取れる手段は二つだ。一つは依然と同じ状態に戻す。つまり惚れ薬を使い戻すという方法。もう一つは君たちが無視に耐えるという方法だ。聞くところによると、直接的に虐められているなどの実害はないようだからね。いつまでかかるかわからないが、耐えてもらう。私としてはどちらでもいいから、とりあえず君らに薬を渡しておくさ。キミ、準備をしたまえ」

「はい」


 僕はいつのように茶瓶から川神さんの作った惚れ薬を、荒木さんの作った特製ノズルのついた容器に入れようとした。

 しかし、それは妨げられた。二人の声によって。


「惚れ薬はいりません! 頑張って耐えます。二人ならできると思います」

「えっと……うん。私、大丈夫。翔琉くんとなら、大丈夫」


 その瞬間、僕は間違いなく耳にした。

 人の脳の血管が怒りによってミチミチと膨れ上がり、ばっかーんと張り裂けるのを。奇々怪々な経験をしたことがある人はたくさんいるだろうが、頭の血管を破裂させるのを幻聴した人間は僕ぐらいだろう。それかボニファティウス8世のお世話係ぐらいだ。


「…………わかった。では好きにしたまえ」

「ありがとうございます! 僕たちも頑張ります」


 二人はハリウッド映画の主人公とヒロインのように、強大な敵に立ち向かうアベックのごとく化学会室を後にした。

 それから先は言うまでもあるまい。


「何だあいつらはーー!!」


 から始まる川神さんの愚痴を、僕は一身に受け止めたのだった。

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