たったこれだけのことで
TK
第1話
ある国では違法なことも、ある国では合法なことがある。
ある国では倫理的にNGでも、ある国によってはOKなことがある。
善悪の基準など、あってないようなものだ。
だが、地球上全ての場所で、絶対的に許されない行為もある。
その代表格が、殺人だ。
一応教育としても「殺人はダメ」ということを教わる。
だが、おそらく、人を殺してはいけないことは、誰もが本能的にわかっていると思う。
だから、大抵の人は人を殺さない。
でもそれは、「人を殺したい欲求が全くない」ということを意味しない。
正確に言うならば「人を殺したいけど、理性でブレーキをかけているだけ」ということだ。
そしてそのブレーキは、拍子抜けするような理由で壊れることもある。
***
最寄駅からバスで25分。僻地にあるだだっ広い大学のキャンパスを、一人で気ままに歩いている。
俺はこの大学の3年生なのだが、在籍期間で言うと2年目だ。
大学には、編入という裏ルートがある。
簡単に言えば、他の大学で得た単位を引き継いで、2年生や3年生として入学することができるのだ。
何事も、正攻法以外のやり方ってのがある。
では、そもそも、なぜそんな七面倒な道を歩む者がいるのか?
よく聞く理由は、「進路を変えたいから」とか「貴校でしかできない勉強があるから」といった感じだろう。
ただ、こんなものは建前に決まっている。
いくらなんでも、綺麗すぎる。人はこんな綺麗な理由でレールを外れない。
本音は、「学歴コンプを払拭したいから」とか「周りにゴミみたいな学生しかいないから」といったように、ネガティブなものがほとんどだ。
もちろん俺も、ネガティブな理由を原動力に編入試験を受けた。
だけど、そういう理由で行動しても、俺は一向に構わないと思っている。
むしろ、綺麗な理由だけで行動している奴の方が気持ち悪い。
というより、それはただの嘘つきだ。
それに、原動力がネガティブだったとしても、到達点がポジティブになることは往々にしてある。
ネガティブな感情は、無視してはいけない。ちゃんと向き合って、力に変換していくべきだ。
それを怠る者が、ただひたすらに愚痴を垂れ流し、人生の可能性を自らの手で潰していく。
***
「・・・この教授のゼミでいっか」
大学には、「ゼミ」というものがある。
まあ簡単に言えば、小中高で言うところの「クラス」だ。
小中高と違って、大学には自動的に割り振られるようなクラスが無い。
ただ、所属したいクラスを主体的に1つ決めることはできて、そこで仲間たちと切磋琢磨しあえるイメージだ。
また、クラスと言っても小中高とは違って、学年で区別されない。
1年から4年までの全学年がどこかしらのゼミに所属するパターンもあれば、3年と4年だけゼミに所属するというパターンもある。
まあこの辺りのルールは、大学によって全然違う。
この大学では2年次からゼミに入れるようなのだが、編入した瞬間からゼミを探すのが正直面倒くさかった。
だから俺は、3年次の今になって入れるゼミを探している。
まあゼミへの加入は強制ではないが、入っている人が多いから、なんとなく自分も入ってみようと思ったにすぎない。
わかりやすく言えば、「周りの人がやっているから自分もやる」という典型的な日本人の行動だ。
ゼミを決める判断材料は、多岐に渡る。
「集まる学生の質」「担当教授の研究分野」「就職率の高さ」「単位取得の楽さ」
ここらへんが、主な判断材料だろう。
ちなみに俺は今、「単位取得の楽さ」だけであるゼミを志望した。
ゼミの担当教授は見るからに優しい人間であり、単位も簡単に取得できそうな雰囲気がある。
俺がこの大学に入った理由は、「この大学に入った」という実績が欲しかったからだ。
ゆえに、青春とか勉強に興味はない。
無事に卒業さえできれば、それでいい。
・・・いや、青春に興味が無いってのは嘘だな。
青春を謳歌できるだけの器が、俺には無いってだけの話だ。
***
「は?どういうこと?」
俺は志望したゼミに無事所属することが決まったのだが、その喜びを地に落とすメールが届いた。
「“あなたのゼミの担当者は諸事情により変更されました”だと?」
ふざけんな。
ゼミの担当者って、こんな簡単に変更していいのかよ。
本来は、研究や就職に大きく関わる話だろ?
それを一方的なメールで済ませやがって。
しかも「諸事情」ってなんだよ。大事なところを濁すな。
「・・・まあ、理不尽な事が起きるのが人生か」
川沿いを歩いていたら、急に突き落とされて、ゲームオーバーになることもある。
この程度のことで、慌ててはいけない。
「優しい人だといいなぁ・・・」
今の俺にできるのは、祈ることだけだった。
***
「次は、ゼミの初回講義か・・・」
あの失礼なメールが来てから、数日経った。
正直、結構不安だ。
大学を卒業するためには、一定数の単位を講義の受講によって取得する必要があるが、一応ゼミも講義の一環なので、ゼミにも単位が割り振られている。
普通の講義で取得できる単位は基本2なのだが、ゼミの単位は8だ。
この8という数字は、めちゃくちゃに重い。
大学生じゃない者には伝わらないだろうが、8もの単位を落とすことは致命傷になる。
ゆえに、もし変更された教授が厳しかった場合、地獄のゼミ生活が幕を開けることになるだろう。
指定された教室に着くと、すでに数名の学生がいた。
特に決められた席も無いので、皆が座っている周辺に俺も座る
「なんか、担当の教授が変わったみたいですね・・・」
隣にいる学生にそう尋ねると、以外な返答があった。
「そうみたいですね。優しい人だといいんですけど・・・。あっ、これからお世話になります。よろしくです」
え?これからお世話になる?ということは・・・
「もしかして、君も今日が初めて?実は俺もそうなんだけど・・・」
「あっ、そうなんだ!そう、僕も今年からゼミに入ったんだよね。君、学年は?」
「3年だよ。君は?」
「僕も3年だよ。よろしくね」
「そっか!なんか同じ境遇の人がいて安心した」
俺は彼の素性を、全く知らない。
だけど、「今年からゼミに入った3年」という条件が重なっただけで、不思議と仲間意識が湧いてくる。
これは、地元が一緒なだけで意気投合するやつと一緒だな。
まあ理屈で考えるといずれも些末な重なりにすぎないのだが、野暮なことを考えるのはよそう。
幾分か心が温まったところで、不意に教室のドアが開いた。
「こんにちは!私がこのゼミの担当になったものです。よろしくお願いします」
本当に申し訳ないが、決して見た目は美しくないこの女性が、変更になった担当教授のようだ。
だけど、普通にコミュニケーションを取れる感じはする。
まあ、明らかなハズレって感じではなさそうだ。
「いきなり変更になって戸惑っている人もいると思いますが、私も同じ感じです。急にゼミを担当してくれって言われたので、ちょっと不安な気持ちもあります・・・。でも、任されたからには一生懸命頑張ります!」
うんうん、ちゃんと自分の弱みも曝け出せる人だ。
なんでもかんでも、自信たっぷりに話せばいいってもんじゃない。
堂々としながらも、時折弱さを見せる人間味ある人が、社会では好まれる。
この時点での印象は、可もなく不可もなくってところだ。
「では、このゼミの評価方法を説明しますね」
そうそう、そこが俺にとって重要なんだよ。話が早くてありがたい。
「皆さんにはそれぞれテーマを決めてもらって、そのテーマの内容を調査及び発表してもらいます。で、その発表の内容を皆と私で評価します。その評価が、直接成績に反映されると思ってください」
・・・ダルい。
特にダルいのが、発表の度に、その場にいる全員に評価されることだ。
俺は、評価されることが好きではない。
なぜなら、どんな評価も、基本的には結果しか考慮されないからだ。
結果を生み出すまでの過程には、様々なドラマがある。
体調が悪い中頑張ったかもしれない。遊ぶ予定をキャンセルして取り組んだかもしれない。
苦手な分野だったかもしれない。全く上手くいかず絶望を味わったかもしれない。
そんな儚くも美しい背景を無かったことにする“評価”という行為を、俺はどうしても好きになれない。
どうせそういうことをするのであれば、ちゃんと無味乾燥的にやり切るのがせめてもの情けじゃないのか?
いちいち、その場にいる人間を巻き込むな。
評価するんだったら、一人で勝手にやってろ。
“客観的な評価をするため”なんていう言い訳はクソ喰らえだ。
背景を無視して評価するという身勝手な行動に、ちゃんと責任を負う覚悟を見せてくれ。
そうでもしてくれないと、未熟な俺の心を納得させられない。
「あっ、あと、発表後には質問タイムを設けます。その質問タイムで発言する姿勢が無い人は、マイナス点をつけますので注意してください」
・・・は?
なにそれ、ふざけんな。
なんで興味もない発表に対して、無理やり質問させるんだよ。
「加点はできない」ならまだわかるが「マイナス点をつける」という表現に心底ムカついた。
生殺与奪を握っている立場を利用して、恐怖をもって人を扇動する。
俺が一番嫌いなタイプの人間だ。
この時点で、可もなく不可もなくといった印象は、もうとっくに地の底に落ちていた。
「・・・」
今、俺の中に、小さな小さな殺意が芽吹くのを感じる。
「死んでくれたらいいな」と、まあまあ真剣に思った。
「は?たったこれだけのことで?」と思ったそこの君。
君は正常な人間だ。きっと、素晴らしい人生を歩んでいるに違いない。
だけど、世の中には、どうしようもなく些末な理由で殺意を抱く人間もいるんだよ。
とはいえ、俺も完全にぶっ壊れた人間じゃない。
今はまだ、理性というブレーキがしっかりと作動していた。
たったこれだけのことで TK @tk20220924
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