第4話  幽霊よ、文化祭に急げ



     〈1〉


 学校だって生き物なんだ、と、あたしは思う。

 今もそのまま存在する校舎と、見たことのない消え去った校舎とが、ごく自然に接続している、そんな古い映像。再現された過去は、まるでパラレルワールドが現出したかのような、異様な不思議さとして感じられる。それこそが、取り返しのつかない時間というもののなせる業だ。記録に残るということは、過去とのずれを常に再起させることでもあるのだから。

 わずか毎秒十六コマ。少し動きのぎこちなさを感じる、粒子の荒れたフィルム。

 それは「向こう側」に失われてしまった世界を、「こちら側」に誘導するリンクである。


『オレは、今やってきたばかりなんだぜ』

『本当かよ……』

 周囲のクラスメートがざわめく。

(でも、その「今」って、一体いつ?)

 二十世紀の終わる前に、この学校に確かにいたはずの生徒たち。

 名前も知らない遠い遠い先輩たちが、画面の中で笑っている。叫んでいる。

『みんな聞いてくれ。オレは証拠を見つけたんだ!』

『何だって!』

『この事件の犯人は……』


           × × ×


 九月に入っても、あいかわらずの残暑。

 氷の感触がまだまだ恋しくてたまらない。テレビのあいさつが「秋」という言葉で必ず始まるのが、どうにも違和感ありまくりな毎日ではある。

 クラスメートとの再会を記念すべき(?)最初のホームルームの話題は「文化祭」だった。わずかには違いないけど、やはり集団の流れは、秋という季節に向かって傾いているのだ。

 二年A組がクラス劇に取り組むことは、すでに夏休み前のホームルームで決まっていた。だから七月後半から数週間のあいだ、係に当たった生徒は、さぞかし準備というか、手回しに忙しかっただろう。高校生だから、根回しがそんなに必要でないことだけは、とりあえずありがたい。

 九月の授業再開から動き始めたのでは、何としても時間が足りなくなる。これは毎年の恒例で、わかりきっていたことでもある。担任の都筑先生からの忠告で、テーマ・脚本などは、係が宿題として考えてくることも決まっていた。

 行橋まどかも無関係ではいられなかった。図書委員長という立場上、「ねぇ、何かいいストーリーないかしら?」とか何とか、根ほり葉ほり相談されたというわけだ。

「そうねぇ……文芸部長に相談してみたらどう?」と、ついつい逃げてしまった。

 後から考えれば、それこそがトラブルに巻き込まれるきっかけとなってしまったのだが、もちろん後悔は事前にはできないのである。

 文芸部長の久住貴史がA組にいるのは、クラス劇にとって実に好都合だった。

 彼は普段から、「アクティブな文芸部を目指すのだ!」とか、「作品はあらゆる媒体を駆使して表出されるべきなのだ!」とか、何かあるたびに吹聴している男なので、その点から言っても文化祭係にとっては、降って湧いたように都合の良い存在だったのである。

 しかし、典型的な文化系の部活であるはずなのに、わざわざ運動系もどきを目指して一体どうすんだろう? ブラバンという先例はあるにしても、まどかには久住が心配ではあった。いやな予感に違わず、久住が電話をかけてきたのは、夏休みもラスト一週間のカウントダウンが始まった日だった。


「もしもし。あのぉ……実は行橋さんに、確かめたいことがあってさぁ」

「今さら改まって何?」

「行橋さんの、探偵としてのエピソードをクラス劇にしていいかな?」

「そ!」そりゃだめだ。

 文芸部長として、きっと司書の川村先生あたりから噂を仕入れてきたのに違いない。だが、いくら日常そのものの図書館エピソードでも、ステージにかけたいなどと、「事件」の関係者は決して思っていない。

 それに、久住が言う通りに、まどかを探偵として見ているのなら、なおさらそんなことはできない相談だ。探偵って、確か英語では「プライベート・アイ」とか何とか言うんじゃなかったか? つまり秘密を守る義務があると思うのだ。

「それは残念だなぁ」

「ごめんね。そんなわけだから久住君の役に立てなくて」

「そうなったら、最後の手段を取るしかないよね」

「って、どうすんのよ?」

「決まってるよ。ぼくがストーリーを創作するのさ」

「は?」

「これはまさに文芸部長としての、ぼくの腕の見せどころでもあるしね。きっと歴史に残る名作になる超絶な脚本を書いてみせる!」

 ありがとう、じゃあね。という言葉を残して、久住は一方的に電話を切った。

 ブツッ! と耳に痛い音のあと、ものすごく不安になった。普段もそうだが、久住の調子の乗りすぎが、何だかすごく悪い予感のように思えるのだ。まさか、まどかの周辺を、ひどく曲解したドラマを作らないだろうか。最初から何だか、ろくでもないことが起こりそうで、まどかは昼寝もできなかった。


 今日だけの午前中授業。九月最初のホームルームは、都筑先生のあいさつから始まった。ひとつの通過儀礼ということだ。「秋」という言葉が三回も出てきた。言われる前からほぼ内容のわかっている話が終わって先生が引っ込むと、すぐに話題が切り替わった。

「えーと、それでは、最初に文化祭係からの連絡があります」

 クラス委員の舟越亜弓の言葉に、まどかはぞわっと来た。冷房が急に効き始めたみたいだ。

「A組のクラス劇なんですけど、係からは久住君に脚本をお願いすることにしました。快く引き受けてくれたので、さっそく内容の発表をしてもらいます」

 久住はさっそく教卓の前に進んで、ニンマリしながら堂々と宣言した。

「今年のクラス劇の脚本係に立候補しました久住です! ぼくは夏休み中かかって、後世に残る名作に値するストーリーを考えて来ました!」

 脚本係の選挙なんか、する必要もないのに立候補ってか。まどかは、顔にだけはどうにか不安を出さないでおくことができたが、心の方にはまるで着地点が見つからず、はらはらしながら次の言葉を待っていた。

「今回の劇は、ミステリで行こうと思います! 学校を舞台に、図書館ミステリをテーマにしたいと思っています」

 まどかの目が点になった。

 後ろの席から、吉見祐介が呼んでいたが、もうまどかの耳には入らなかった。


 短縮授業がもたらした、午前中の放課後。

 空腹がいよいよ切迫してくるお昼時。南中するのに忙しい太陽は、何の妥協もしてくれない。コンクリートをすっかり灼熱の岩盤に変えてしまって、室温は底上げされるばかりだ。

 B高図書館では、読書環境と図書の保存を考えて、カウンターの乾湿計で温度と湿度を管理しているはずだったが、日当たりの良すぎる窓際では、とっくに三十度を越えている。なおかつ湿度だってそれなりに高いこの日本。まどかでなくても冷房の効かない図書館なんて、とうてい読書に専念できる空間ではない。

 まどかは貸出カウンターで、いつもの定位置を占拠してほおづえを突いていた。さっきまで冷汗をかいていたはずだが、今はすっかり暑さでまいってしまっている。

「あついよぉ。汗ってのは、本当に身体の涙だって思うよ」

「ハハッ、まどかもうまいこと言うじゃん!」

 古いドラマの台詞をパロっている場合ではない。幼なじみでD組の松崎静佳が珍しく本を借りに来たので、ついでに居座りながら雑談が始まった。カウンター付近のたたずまいが、なぜか落ち着いていて好きなのだと、しぃちゃんは言う。

「笑っていられないのよ。文化祭のことを考えると、もう頭が痛くって」

「別にいいじゃないの。文芸部の久住が考えてくれるってんでしょ? クラスが楽チンになるんだから、あたしんとこと比べたら、A組がうらやましいよ」

「クラスは良くっても、あたしは困る。だって、ここの図書館がドラマにされてしまうんだよ。どんなに曲がりくねった話にされてしまうか、それを考えただけでも憂鬱になるよ」

「そうか。久住って、そんなやつなの?」

「しぃちゃんは知らない? 文芸部が夏休みの前に出した文集を、読んでくれって言うから、せっかくだからと思ったけど、あまりにひどくて投げだしちゃった」

「ふーん、図書委員長でさえ、つき合いきれなかった中身ってわけね」

「だから心配なのよ」

「ふーん」

「何、感心してんの?」

「まどかが、どんな感じでパロディにされるのかな~って。ちょっと想像もつかないけど」

「しぃちゃん、想像してたの!」

 まどかの叫びに、静佳が急に「しっ!」と声をひそめてささやいた。

「来たわよ。パロディにされたら心配な、もうひとりのやつが」

 常連はドアの開ける音だけで、誰が来たのかすぐわかる。いつもの通りにスポーツバッグをロッカーに乱暴に放り込んで、図書館に顔を出す男。

 なーんだ祐介か。

「吉見君だったら何の心配もいらないわよ。そんなヤワな心臓じゃないから」

「え、心臓って、何の話?」

 話の流れを知らない祐介が、怪訝な顔で聞く。

「部活で鍛えているから、体力には心配ないって話よ」と、静佳がごまかすと、

「そ、そうか……?」

 しぃちゃんは適当に言い訳をしただけのつもりだが、自主トレと称して練習をさぼる常習犯としては、少しは堪えるものがあったらしい。案外、祐介も根が素直なのか。

「ところでさ、最近こんな本が入っているって知ってるか?」

 祐介が持ってきたのは、『超常現象のウソをあばく』という本だった。

 静佳が、祐介の本を取り上げてめくってみた。

「へー、吉見君って、オカルトが好きなんだ」

「それがちょっと違うんだな。正しくは、オカルトを疑うことが趣味というわけ」

「信じていないってこと?」

「オレは、世の中には科学で説明できないことは基本的にない、と思ってるんだ。たとえば、今は神秘のヴェールに包まれていても、いずれは合理的に説明ができるはずじゃないかと」

「そんなものなのかしら」

「松崎に無理にわかってもらおうなんてことは思っていないさ。ただオレの信念なんだよ」

この春から、いくつもの奇妙な出来事が、この図書館をめぐって起こったわけだけど、祐介はそれをとりあえず「解決」してきた。だから謎というものは、いつかは解けるものだと祐介が信じるのも無理はない。ただ、それが果たして最善の結果につながったのかどうかは、この際保留しておこう。一見、祐介という男は、科学とは縁もつながりも遠くにいるような気がするのだが、それもこの際無視しておこう。

「そんなわけだから、今日は研究のためにオカルト本を借りようかな、って」

「図書館にそんなのあったっけ?」

「しぃちゃん。それがあるの。新着図書の中に!」

どうも怪しいと思っていたら、リクエストしたのは祐介だったわけか。これで謎が解けた。

 七夕に募った希望図書のアンケート。なぜかその手の本が妙に多かったのだ。

 ふたを開けてみたら、犯人はずいぶん身近にいたというわけか。

「そ! だから今日あたり配架されるんじゃないかと思ってさ」

「ハイカ?」

「書棚に並べることよ」

 しぃちゃんの発したクェスチォンマークにまどかが答える。

「川村先生が、ずいぶん頑張って配架してた。分類にずいぶん手こずってたみたいだけど」

 オカルト本、と言っても中身は多種多様だから、一個所の書架にまとめることはできない。民俗学の本もあれば、科学一般に分類できる本、宗教に類する本など、さまざまなのだ。もちろん領域のまたがった本もある。祐介のリクエストはその全部だ。

「実は、これはその一冊なんだ」

「えーっ! いつ借りた?」

 借りる時間なんてどこにあったのか。ありえない早業だ。

「それは内緒。そこがオレの七不思議のひとつだよ」

 祐介に七不思議なんてものがあるのか?

「今日は、これで都合3冊になるから、よろしくね」

「は?」

 いつの間にか、祐介の手元には本が集まっていた。新着図書のオカルト関係にまちがいない。

「それじゃぁ、オレ部活に行くから、よろしくね!」

 まどかが絶句のあまり、何も手につかずにいたので、しぃちゃんが代わりにバーコードリーダーを操作した。ピッという短い音で貸出手続きは終わった。本を借りてしまうと、祐介はバッグをハンマー投げのように半回転させて、あたふたと出ていこうとした。

 グカちャっ! そのようにしか書き表しようのない、妙な音がした。そしてドアを閉める音。あわてた足音が続いた。祐介が去ったロッカー付近には、グラウンドから上がり込んだ砂が一面に散らばっていた。これだけの砂がどこに付着していたのかは、未解決な謎である。

「……ったくーぅ」

 まどかはブツブツ言いながら、図書館最古の鉄道チリトリ(十八リットルの灯油缶をななめに切ったやつだ)を持ち出して、砂を掃き集めはじめた。

 静佳がつぶやいた。

「ねぇ。今の変な音、あれって、きっと弁当箱の音だよね」

「それがどうかしたの?」

「空っぽのアルマイトの中で、箸がころがったんだよね」

「だから?」

「まどかが、図書館に来たのは何時?」

「しぃちゃんが来る、ほんの二分くらい前。そんなに早くないよ」

「するとホームルームが終わってすぐよね。吉見君は、一体いつ弁当を食べたのかしら?」

「あ!」これこそ、現代の科学でも解けない謎だわ!

 空っぽの弁当箱に科学の光を当てても無意味だろう。しかし!

 コーヒーに角砂糖と間違えて、固形ブイヨンを入れたって結局飲んでしまう男、吉見祐介の胃袋にとって、謎なんか存在しない。学校の七不思議だって、七味唐辛子と同じレベルだと思ってるんじゃないかなぁ。

「ねぇ……まどか」

「えっ、何?」

「この学校の七不思議にかかわる噂を、聞いてくれない?」

 静佳が、いつになく神妙な顔をして、まどかに語りかけようとしていた。



     〈2〉


 七不思議。

 学校の怪談が好きな生徒なら、その手の本は、小学生の時から読みあさっているだろう。ブームにもなったのだ。だけど実際、B高にそんな話があったのだろうか。少なくとも、まどかは聞いたことがない。

「まどかは知らないかなぁ……校庭のイチョウの話」

「どんな?」

「聞きたい?」

 他に生徒はいなかった。静佳の口から言葉が流れ出すと、白昼の図書館の中、二人のいるカウンターのエリアだけが、別世界空間に足を踏み入れてしまったかのように感じられた。


 校庭にイチョウの大木があるでしょ。学校が建つ以前から生えている木なんだってね。

 何十年も昔、将来を誓い合ったカップルがいて、女の子はいつも手紙にあの木の葉を便箋といっしょに送っていた。メールのない時代だからね。なぜイチョウだったのか、理由なんてわからない。何か気のきいたことをしたかったけど、それができなかったのかもしれないよね。戦争中だったから。

 そう。戦争中の話。恋愛なんてとんでもないって思われていた時代。つき合っているのを見つかって無理に別れさせられた。彼は戦争に行かされて、女の子は泣きながらイチョウの木に二人の名前を刻んで、彼の帰ってくるのを待っていた。だけど、彼は戦死、彼女も空襲で死んでしまった。その二人の名前が、今でもイチョウの下で約束をしたカップルには、どうかすると読めそうに見えるときがあるらしいよ。名前が読めたカップルは将来幸せになるんだって。


「ふーん」

 どこかにあったストーリーにも聞こえる。、この学校の話としては初めて聞く話だ。しかし、何かがひっかかる。違和感だけが渦巻いて、うまく言葉に表すことができない。

「けど、それは悲しい話かもしれないけど、〈不思議〉とは違うような気がするよね」

「そうかもしれないね。それじゃ次の話……」

「ちょっと待って、あと六つもあるんでしょ。あたし、お腹ペコペコなのよ」

「それもそうね。部活が終わるまで、まどかに待ってもらうのは無理か、じゃ、また今度ね」

 結局しぃちゃんはお昼を食べに行った。

 まどかも今日は当番ではないので、帰ることにした。玄関のガラス扉から校庭が見える。ふっと思いついて、東側の塀に沿って並んでいる木立まで歩いてみた。長い時代とともに学校を見守ってきた、問題のイチョウの木がそこにあった。

 見慣れている木だが、あらためて幹を回って観察してみた。しかし名前が彫りつけられたような痕はなにも見あたらなかった。観察が足りないのだろうか、それとも静佳の話が、単なるでたらめにすぎないのか。季節が季節だけに、これでもか、というくらいに繁った大きな葉が青くて勢いがある。これでは悲しさも恐怖も感じない。


 それから日々が過ぎてゆき、劇のストーリーがはっきりしてきた。

 久住の発言で、ひょっとしたら、と思ったまどかは、主役なんかに指名されたら、絶対に断ろうと思っていた。九月も半分過ぎたある日の六時間目。

「劇のシナリオも完成したので、いよいよキャストを決定していきたいと思います!」

 舟越さんの言葉で、クラス全体がざわつく。

(来た!)

 とうとうその日がやって来たのか。

 一週間前の月曜日、放課後にシナリオの印刷を亜弓ちゃんと分担したのだけど、印刷しながら、あたしなら、どの役が無難だろうか、と、まどかは消極的な方向ばかりを考えていた。もともと、人前に出る度胸なんかあるわけないし。

「では、主役の探偵を決めたいと思います。誰か立候補しませんか?」

 しーん。

 亜弓の切り出した言葉に、だれも反応しなかった。と、思っていたら、

「はーいっ!」

 妙に元気のある久住の声がした。

「久住君って、脚本係でしょ?」

「そうだけどさ、他にやろうって人間がいないんなら、オレが責任をもって主役をするよ」

「ちょうどいいよ、久住にやらせろよ」という、一部からの無責任な発言。

「ちょっと待って。脚本係なら、演出も担当しなければならないでしょう?」

「できるよ。自分が作ったんだから、話はよく分かっているからさぁ」

「……いいんですか?」

 クラスの雰囲気は、特に異存はなさそうだった。というか、誰も返事をしない。

まどかは、祐介のいる方を見た。なぜか下を向いている。その視線の先は昨日図書室で借りた本だろうと見当がついた。あたしたち自身もかかわることなのに、ひどく無責任だ。

祐介、何とか言え!


「では、久住君に主役の江羅川探偵をやってもらうということで。でも脚本係として演出にも関係するので、できるだけクラス全部でフォローしていこうと思いますが、どうですか?」

いいんだけど、何だかなぁ。ここまで私物化してしまっていいの?

「文化祭係からはどうですか?」

 亜弓ちゃんが、係に聞く。

「あ? えっと、別にいいです。他の役も決めたいので、立候補をお願いします」

ようやく、何人かの手が挙がった。しかし……あまり当たりたくない役ってあるんだ。誰も名乗りをあげない。


 幸いにも主役級のキャストは当たらなかったけど、冷静に考えても、自分がストーリー上重要な役が務まるようなキャラとは思えない。当然だったかな。

 まどかには被害者の役が当たった。図書館で殺される生徒の役なんて穏やかじゃないが、フィクションとして笑い飛ばせばいいのだ。現実の出来事をステージで公開することに比べれば、これでよかったのかもしれない。

 十月に入って、校舎を吹き通る風が、やっと本当に季節に相応しい空気になった。元通りの爽やかさを取り戻したかと思ったら。体育祭の練習までがスケジュールに割り込んできた。応援の準備以外は、特別に居残りする必要はないが、並行して文化祭の準備も進行するわけだから、学校全体が、どう転んでもお祭り気分に舞い上がってしまう。まぁ無理もないか。

 まどかのように文化祭の中心から離れた立場でも、ひょっとしたら図書館に来ている時間の方が場違いなのではないか、と錯覚してしまう。当番が回ってこなくても、ごく自然にカウンターの中に入っていたはずなのに、不思議なほど遠い場所に感じられてしまうのだった。


「まどかぁ~」

「あれっ、しぃちゃん。D組の方はいいの?」

「ちょっと時間ができたんだ。まどかなら、きっとここにいるんじゃないか、って思った」

「あたしも今日は偶然。最近はあんまりここに来てなくて」

 D組はオリジナル映画を作るとか言っていた。映画と言っても、もちろん今はフィルムなど使わないし使えない。機材もフィルムもすでに前世紀のものだから、手に入れようがないのだ。映画ファンに言わせれば、フィルムの方が映像に味があるのだそうだが、今は撮影のためにビデオカメラさえいらない。D組生徒全員が何かの役で登場する……させられるそうだ。しぃちゃんにも役が当たっているらしい。

「しぃちゃんのクラスは、どんな話?」

「それがね、ミステリなのよ」

「えっ! まさか」

「心配ないって。A組はシリアスでしょ? こちらは完全にコメディだからね」

 そうは言っても、よくそんな企画が生徒会を通ったもんだ。バッティングしていないか。

「シナリオができてから、内容を突き合わせてみたら、全然、路線がちがっていたというわけ。それに、まどかのクラスはステージでやるじゃない? こちらは教室で上映するんだから、形態も全然違うしね。だから気にしないでいいの」

「そうなのかなぁ」

「ところで、吉見君はどうだったのかしら」

「あ、それならわりと重要な役が当たったわ」

「へぇ意外なんだ」

「犯人役なんだけどね」

 とたんに静佳が吹き出した。

「ごめーん……だけど、揃いも揃って何だかね。犯人と被害者!」

「本当、冗談じゃないわ」

 まどかは、これも文化祭係の差し金ではないかと疑っている。できるだけ現実と遠い役を当てようと努力した結果の妙なキャスト。地球を一周して、後ろ向けに帰り着いたというか。

「ところでさぁ、思い出したんだけど」

 本気で今思い出したばかりなんだ、という顔で、まどかが言った。

「なぁに」

「しぃちゃん、いつか言ってたでしょ、七不思議のこと」

「あぁ……そう言えばそうね。忘れてた」

「残りは何があるの?」

「そうねぇ、まんざら文化祭に無関係というわけでもないんだし、この際まどかには、知っておいてもらおうかなぁ」

 文化祭に無関係というわけでもない、とはどういう意味だろう?

「あたしが説明したのは、七不思議のうち最初のひとつ。二番目はね……」

「ちょっと待って。また長い話になるんじゃないでしょうね」

「じゃ、簡単に言うね……」


 <その2>  グラウンドの朝礼台の近く、ある一角だけ、雨が降ってもなぜかぬれないで、

      すぐに乾いてしまう。昔の墓地だったという噂がある。

 <その3>  夕方、放送が終わったあとの放送室で、スイッチを切ったはずのモニターから、

      戦争中に亡くなった生徒のざわめきが聞こえるという。

 <その4>  職員室にある押切カッターは、その年に着任した先生のうち、

      必ず誰かひとりはケガをして病院に運ばれる。

 <その5>  音楽室のピアノは、めったに使われない最低音・最高音だけは音が外れている。

      完璧に調律して曲を弾く生徒は、在学中に行方不明になるという噂のためである。

 <その6>  真夜中の図書館には生徒の幽霊が出るという。しかし誰一人、

      その生徒が誰なのかわからない。


「以上」

「ち、ちょっと待って、それじゃおかしいでしょ?」

 七不思議のはずなのに、しぃちゃんは六つしか言っていないのだ。

「聞きたいの? どうしても?」


 <その7>(亡失)


「待って。何よその「亡失」って。わざわざカッコ閉じる、まで、ご丁寧に言わなくってもいいでしょ?」

「これは本当に、どんな話か伝わっていないの。伝承されていないってわけ」

「何かわけでもあるのかなぁ」

「理由は簡単。七不思議の全部を知ってしまった生徒には、必ず不幸が訪れるからよ」

「それも何だかどこかで聞いた、よくある話のような気がするなぁ」

 あれ? 全部を知ってしまった生徒には、必ず不幸が訪れる? って、それ自体が「七不思議」のひとつを構成していないだろうか。ひょっとして? 

 いつの間にか、静佳がまどかの目をのぞき込んでいた。

「あ~ぁ、気がついちゃったんだ!」

「何よそれ?」

「それ自体が最後の七不思議だって、気がついた時点でアウトなのよ。どうする?」

 今さら、どうするって言われてもね。

「とにかく、まどかはしばらく用心した方がいいわね。特に探偵劇」

 そ、そーぉ?

 まどかが後込みしていたら、ちょうど図書館に、D組の柏木がやってきた。

「お、松崎。ここにいたのか。ちょっと来いよ」

「何よ、急に」

「言いにくいんだけど、クラス映画のことで、ちよっとどうしようかと思ってさ」

「まさか、撮り直しってこと?」

「そうじゃないんだ。今コンピュータ室で編集してんだけど、とにかく来てくれよ」

「あ~もぅ。はっきり言いなさいよ」

「実は……」

 柏木は声を潜めて静佳に耳打ちしたが、その中身はしっかりまどかにも聞こえていた。

 柏木の話には、まちがいなく〈図書館の幽霊〉という信じられない言葉が含まれていた。



     〈3〉


 何となく、しぃちゃんについてきてしまった。

 その場の雰囲気というのは恐ろしいもので、D組の話なのに、つい雰囲気に流されるまま、いっしょに歩きはじめていた。

「何があったのかしら?」、

「実際に映像を見た方が早いわよね」

 階段の途中であたしが聞くと、しぃちゃんが顔を見合わせながら言った。

 図書館から二階のICT教室に行くまでに、柏木は何度かこちらの顔を見ていたけれど、特に迷惑そうな表情をしていたわけではなかった。

 もちろん、A組のあたしがD組の映画のことに首を突っ込むなんてことは、遠慮しとくべきだ。しぃちゃんが、あたしについてきて欲しいような顔をしていたが、ひょっとしたら違っていたのかもしれない。ためらいもあったけど、ICT教室に来てしまったら、今さら引き返せない。

 柏木がドアを開けて顔をのぞかせると、まどかもよく知っているD組の男子数人と女子が3人、パソコン操作をしている最中だった。しかし座席についているのは、原町という男子だけ。みんな原町のマシンを囲むように立っていて、操作は中断していた。

「すまないが、これ、松崎さんに確かめてほしいんだ」

 原町がしぃちゃんに呼びかけた。背後のあたしを見て、何で行橋が来たの? とでも言いたそうな顔が一瞬見えたが、なぜか納得してしまったようで、パソコンの画面を指さした。

「いいかい、この場面なんだ……」

 ディスプレーには、動画再生ソフトを起動させてあった。

 原町がマウスをクリックして、今まで再生していたらしいクリップの一時停止を解除した。

 パソコンの小さなスピーカから、ざわざわした声が聞こえ始める。画面の動画には、D組の生徒が映っている。クラス映画の一シーン。二人の男子生徒が木の幹を撫でている。


「……すると、ひとつ目の不思議というのは、これだったのか!」

「そうなんです。ドケチ先生」

「明智だ、まちがえるな。すると犯人はここから次の場所に逃げたことになる」

「それがどこなのか、ぼくにはさっぱり」

「よし、とにかく行動だ。行くぞ。ココヤシ君!」

「小林です。まちがえないでください」


 背景はおなじみの場所だ。例のイチョウの木の下で撮られたのだろう。ちょうど図書館の室内からよく見える場所。

 どこから衣裳を都合してきたのか、映画のホームズのように、絵に描いたようなステロタイプの探偵スタイル。くだらないギャグを飛ばしているのは里川と森下だ。その探偵の足元にサッカーボールが飛んできて、画面を横切ってしまうのは、自主制作のありがちなご愛嬌だろう。その森下本人も、原町の隣で画像を見つめている。目が笑っていない。


「そう、この次の瞬間なんだ」一瞬、画像が乱れた。

 里川と森下がイチョウの木から去って、校舎に戻っていく場面の途中。なにか暗い画像が見えたような気がした。原町が続けて言った。

「気が付いたのは森下なんだ。何かのノイズか、それとも撮影に失敗したのかと思って、正体を確かめようとしたんだ。そしたら、こんなものがあったんだ」

 一時停止から、コマ送りにしながら確かめる。ぎこちない動きで一歩ずつ動いていく里川と森下の後ろ姿。次の瞬間は真っ黒になった。そして、次の画像。

「げーっ!」

 見るんじゃなかった。夢に出てきそう。いや、とてもじゃないが眠れない。


「どう思う。松崎?」

「何よ、これ。まるで幽霊じゃないの。こんな怖いの見せないでよ」

「心当たりはないか?」

「それって、どういうことよ?」

「ここに映っているのが誰なのか、誰も知らないんだよ。それに、どうしてこんな映像が紛れ込んでしまったのかもわからない。オレたちはクラス全員の顔も名前も知ってるだろ? だから、ひとりずつ聞いてみることにしたんだ。最後のひとりが松崎なんだよ。どう?」

しぃちゃんが首を横に振る。

「ない。全然」


 まどかも、おそるおそる画面をのぞき込む。

 目をそむけてばかりでは何も解決しない。全体が緑色っぽいし、陰影がありすぎて、全体のシチュエーションがよくわからない。だが、どこかの室内であることは、間違いないだろう。ただし全体の雰囲気として、昼間には見えない。昼間なら無理にカーテンを引いて暗く見せるだろうが、そういう空気は感じられない。やはり夜に撮影されたものだろう。

 しかし、この場所? まさか。絶対ちがうわよね。

 うんにゃ! ちがっていてほしい。なぜなら……


「誰なのかって言われても、あたしにもわからない」

「そうか。行橋さんはどう思う?」

 何であたしに来るの? とは思ったけど、幼なじみとして付属品のようについてきた以上、せめて解決につながるような回答ぐらいはしないと。

「この場所なんだけど」

「うん?」

「図書館の、準備室の前だと思う……」

 全員の目がディスプレーの液晶画面に釘付けになった。

 それは図書館の古い文献資料を集めた一角のようだ。ドアだ。ドアの向こうは、いつも川村先生のいる準備室。そして暗闇に姿を見せたのは、誰も顔を知らないひとりの女子生徒。ただ一瞬だけアップになった顔。

 沈黙を破ったのはあたしだ。

「これって、誰も知らないということは、誰かが撮影したわけじゃないわけね?」

「そうだよ」

 部外者としての基本的な疑問に、森下が答えた。

「最初から見てくれていたと思うけど、オレたちが登場しているシーンに、いきなりこれがノイズのように割り込んでいたんだ。こんなもの撮影した覚えなんかないよ」

「シーンの撮影は誰がやったの?」

「加藤と脇坂。二人が撮影係なんだ。この部分はおととい撮影して、たった今編集を始めたばかりだ」

「撮影ってどうやってするの?」

「これだよ」

 森下は机上にあったコンパクトのデジタルカメラを取り上げた。

「放送室に行けば、ビデオも借りられるんだけど、簡単だからこれで撮影しているんだ」

 つまりデジカメの動画撮影機能を使ったのだ。もっと本格的に商業映画みたいな方法でやっているのかと思ったのだが。確かに自主制作で映画を作ろうとしたら、それなりに大変な労力が必要だろう。完成さえすれば、あとは上映するだけでいいのだから、文化祭当日は楽だとは思うが、実際のところ、そこまでこぎつけるのが大変なのだろう。想像がつく。

「そりゃ監督の、姉崎のやつがそれでいいって、言ってくれているんだからさ。映像が粗い方が、時代の感じが出る場合もあるからって」

「時代?」

「戦争前の学校の雰囲気を出したいって。少年探偵団のイメージらしい」

 そんなノスタルジックな線を狙うこともアリなのかもしれない。探偵があんなスタイルをすること自体、やはり初めからそういう路線を選んだのだろう。

「どうやって映画にするの?」

「データはマイクロカードに入っているから、そこからパソコンに落として編集する、っていうつもりなんだけど、まだ三分の一もできてないんだ」

 文化祭当日まで、あと二週間あまりだ。果たしてD組はこれで間に合うのだろうか。


「ところでさ、撮影このまま続ける?」

 原町がこの場の全員を見渡すようにしながら言う。

「そりゃ、どういう意味だ?」と森下。

「これって呪いか何かじゃないだろうなぁ。このまま撮影を続けると、何かオレたちに起こるような気がしてならないんだ」

「莫迦な! クラスで映画を作ろうって言い出したの、元はお前だろ。今さら逃げるな」

「だけどさぁ、七不思議がこうやって形を現したってことは、何かあるんだよ、何か」

 七不思議。その言葉に一番反応したのはあたし自身だ。

 しぃちゃんの教えてくれた、B高の七不思議の六番目。


<その6>  真夜中の図書館には生徒の幽霊が出るという。しかし誰一人、

      その生徒が誰なのかわからない。


 伝説がずっと過去から伝わっていたものだとしたら、図書館には何かあるのではないだろうか。信じたくないけど、そんな気がしてきた。原町の言葉が冗談ではなく、本気が含まれていることは、みんなが感じていた。沈黙がICT室に訪れ、空気を支配した。

「止めちゃだめ!」

 しぃちゃんが原町と森下の間に言葉で割り込んだ。

「原町が怖がっているのはわかるよ。だけどクラスで決めたんでしょ。あたしたちの映画なんだから、撮影は続けるべきだわ。七不思議はあるかもしれないけど、さっきの映像に映っていたのが誰なのか、いったいなぜあんな映像が紛れ込んだのか、それを調べることが、あたしたちの採るべき方向だと思う」

「調べるって?」

「探偵に依頼するの。映画の森下君たちじゃなくて、本物に」

 しぃちゃんがあたしの方を見た。そしてD組のスタッフも一斉に。


 あたしは図書館に戻った。

 しぃちゃんは部活動に行ったので、あたしはICT教室にいる理由がなくなってしまった。このまま現場(?)を調べればよかったのかもしれないけど、手がかりがあるわけではなかった。とりあえず、謎の女子生徒の顔をプリントアウトしてもらって、それを唯一の手がかりに、探索を始めようと思ったのだ。

 春から探偵の真似事はしていたけれど、あくまで巻き込まれたわけで、依頼人がいたわけではない。成り行きとはいえ、今回はしぃちゃんに依頼されたような形になった。

 四時半からA組に帰らなければならない。今度は自分のクラス劇が待っているのだ。

 ロッカーに置いたカバンから台本を取り出す。久住があれほど大言壮語していた割には、シナリオの方は完成後二週間あまり、訂正や追加ばかりが続き、とうとうストーリーまで大幅に変更する事態になってしまった。ようやく形を取り戻したシナリオを、慌ただしく読み合わせることになったのが、つい先週の終わり。都筑先生が、早めに始めるように、と言った理由が、胃袋に落ちるサイダーのようによくわかる。


 ガラッ!

 勢い良すぎるドアの音が、館内の静寂に穴を開けた。秒速三四○メートルの反響が終わらないうちに、ロッカーにスポーツバッグが放り込まれた。

「よぉ、今日は何かいいネタ入ってる?」

「ここは図書館。トロなんか握らないよ」

「別に本でなくてもいいんだから」

「吉見君にしては珍しいことを言うのね」

「何か困ってる?」

「何でわかったの?」

「行橋はさっきはここにいなかった。そのあとICT教室から戻ってきただろう? 何かすごく真剣な顔だった。オレが遠くから見てるのに全然気がついてなかったし」

 そこまで気がついていたらしかたがない。実は、と、説明をしているうちに時間が迫ってきた。

「そういうことか。で、写真は?」

「これよ」さっきプリンターから出てきた、普通紙印刷された生徒の顔を見せた。

「こんな生徒がいるのかな」

「名前はおろか、学年もわからない。2年D組には、誰も彼女を知っている生徒がいない」

「それがなぜか、ノイズのように紛れ込んでいたわけか……」

「これって、何かの呪い? D組のスタッフは撮影を止めるかって話にまでなったんだけど」

「うーん?」

 祐介が、何かに気づいた。「このドア……」

「やっぱりそう思う? あれじゃないかしら?」

 あたしは、準備室のドアを指さした。改めて見てもそっくりだと思う。見るのが怖いから、今日はまともにそちらを見ていない。

「ということは、夜中にここで撮影した何者かがいた、ということだな」


 てっきり「幽霊が出るという七不思議は本当だったんだ」というセリフが、祐介の口から出ると思っていた。梯子を外されたような気分だ。でも、

「あぁ、なるほどそうだよね」

「不思議なのはそれだよ。幽霊ぐらい出ても別にオレはかまわないと思う。だけどそれを撮影した人間がいたとしたら、そっちの方が問題なんじゃないか?」

 夜中に真っ暗な図書館を徘徊する生身の人間、それは完全に不審者だ。

「でも、もう四時二○分過ぎだから、教室に戻ろう。練習が待ってる」

「だけど、その後は?」

「行橋はどうするつもりなんだ?」

「例のものを調べようかと思ったんだけど」

 例のものとは、いつかくまなく調査した、この学校の卒業アルバムだ。今度は名前がわからないのだから、顔だけを頼りに探すことになる。どれほど過去の卒業生なのかは知らないが。

「オレは絶望的だと思うな。不鮮明な暗い写真をもとに探すわけだろ? 見た目そっくりな顔もおそらく多数あるはずだ。果たして見分けがつくだろうか」

「そうか」

「重要なのは、誰が何のために映像に細工したか、だよ。その目的がわかればなぁ」

「あれってトリック? 七不思議は信じないの?」

「不思議さに眩惑されてたら、本当の意図が読めなくなると思う。さぁ行こうぜ」



     〈4〉


「この図書館には何かが潜んでいるのよ。……私たちに知られないところで」

「そんな莫迦なことってあるもんか。一体どうやってだ?」

「大橋君、あなたは転校してきて半年も経っていない。図書館を甘く見てはだめ。書物の世界には、大橋君には想像もできないような、とんでもない不思議が隠れているのよ」


「そこまで!」

 久住の一声で、シーンの練習に区切りが入れられる。

 司書の川村先生……ではなく、「村川先生」役の山瀬洋美が思わず、「ほーっ」という大きなため息をついて、教壇の前から退場。教室の中に笑い声が充満する。

「笑わないでよ。ここって、すごく緊張するんだからぁ」

 本物の川村先生から借りた白衣を着た山瀬の演技は、かなりそれっぽくて迫真的だった。

 大橋君役の吉見祐介が頭をかく。

「犯人役だって大変なんだぞ。そ知らぬ顔で会話するって、演技力が必要なんだからな」

「まぁまぁ……えーと、次はシーン18。ここが昨日、結構大変だったところだよな」

 演出をつとめる久住も、限られた練習時間、やりくりが大変なようだ。

「ここ。山崎がどうしても笑っちゃうんだよ。今日は笑わないようにしろよ」

「あたしのせいにじゃないよ、笑わしているのはモッチーでしょ」

「だからさ、オレ今日はちゃんとやるって!」

 謎の数学教師役の望月昌志が、弁解しながら教壇の上手に立つ。

 望月の演技に、わざわざ〈老数学者〉西澤先生の物真似が入っているから、山崎しほりが思わず笑ってしまうのも無理はないが。

 傾いた夕陽が教室の奥にまで射し込んで、演技を見るのも眩しい。だが、考えようによっては、時刻と窓の向きという偶然がもたらした、絶好のスポットライトのようにも思える。

 ホリゾントに使う背景も未完成だけど、そこに事件の舞台である図書館があるつもりで、望月が黒板を背にする。

「スタート!」

 プッ! 望月が思わず吹き出した。「……何だったっけ?」

「またかよ、お前!」

「久住の書いたセリフが難しすぎるんだ。あんなの簡単に覚えられるもんか!」

「だって、お前、数学者役なんだよ。それっぽくやってみろってば」

「わかったよ、エヘン!……『三角形においてひとつの辺に対する角の正弦と外接円の半径から対象物への距離が明らかになるように事件にかかわる人物の関係を補助線で結んでみればきっと解決への距離と方向が判明するに違いない』……って、これでいいのかな?」

「よし、OK!」

「すげー!」

 一気にまくし立てた早口のセリフに、喚声と拍手が同時に巻き起こった。


 ポスターカラーを盛大に浪費しながら、大道具係が廊下を占拠して張りきっている。まどかも被害者役のシーンはすぐに終わってしまったので、塗り作業に加わる。

「あれっ、まどかって大道具だったっけ?」C組の桐原裕美が通りかかった。

「違うけど、もう追い込みでしょ。ニャンコの手も借りたいくらい」

「ところで、あれって何?」

 裕美が爆笑と拍手の聞こえる、教室の方を指さした。

「A組のピン芸人。望月君だったら、あの西澤先生のマネって、絶対ウケるよね」

「ところで委員長としては、図書館が気になってしょうがないんじゃない?」

「そんなこと……ないよ。今はクラス劇が大事だからね」

「それより、キリコ。あんたのその格好、何?」

 裕美の顔には、目立ちすぎるほど、青い絵具のホラーメイクがしてあった。

「あぁ、これ? うちはお化け屋敷と模擬店を兼ねてるからね」

「へ?」

「化け物喫茶なんだって。いい加減にしてほしいよね」

 そうは言うが、文化祭まで日数があるのに、もうメイクを始めているのだから、裕美だって言葉とは裏腹に、雰囲気に呑まれているのに違いない。

「それより、まどか……解決のめどはあるの?」

 裕美が、周りの生徒に聞かれないように、急に声をひそめた。誰が言いふらしたのだろう。

「何のこと?」

「トボケはなし。七不思議の謎にチャレンジするって、静佳から聞いた」

 しぃちゃんったら。

「あたしね。まどかなら解決できるって思う。どうして図書室に幽霊が現れるのか、まどかならきっと解決してくれると思うんだ」

 そうは言ってくれてもね……。

「だ~か~ら~、本物の探偵になってくれるのを待ってんだよぉ!」

 わぁっ、キリコ。その顔で迫らないでよ!

 大道具係が全員笑っていた。


 練習が終わった。

 もう下校時間だが、一階に下りてみたら、まだ図書館に灯りがついていた。ちょっとのぞいて行こう。閉館時間かもしれないけど、川村先生がいるっていうサインだし。

 まどかは玄関への廊下を少し後戻りした。

 ドアを開けると、さすがに静まり返っている。見慣れている図書館の風景。とてもここに幽霊が出たとは信じられないが、書架の間に何かが潜んでいそうな雰囲気にも思えてくる。

 ロッカーに進んだとき、右側から音もなく何かが現れた。

「わぁっ!」

 二つの声が同じことを叫んだ。

「なんだ行橋か」

「吉見君、びっくりするじゃない。どうしてこんなところにいるの!」

 資料図書のコーナーから出てきた祐介は、大判の本を何冊も抱えていた。

「アルバムだ。川村先生の許可をもらって調べてた」

「アルバムって、その線はあきらめたんじゃなかったの」

「あきらめたんじゃない。絶望的だとは言ったけどね。ひょっとしたら、と思ったんだ」

「結果はどうだった?」

「まだだよ。簡単には終われそうにない」

 以前にも調べたことのある、厖大な量におよぶ歴代の卒業アルバムは、準備室のロッカーに保管されている。いつもは川村先生がその鍵を保管しているわけだ。幽霊がいつの時代の生徒なのかわからないから、調査しなければならない年代が広すぎる。

「なんとか絞り込む方法はないの?」

「とりあえずOBには当たってみた」

「OBって、誰?」

「西澤先生と川村先生だよ。とりあえず代表になってもらった」

 えらく手近な人選だ。二人ともB高OBであることは確かだけど。

「画像を見てもらったけど、二人とも誰なのか知らなかった。あいにく七不思議の方も知らないそうなんだ」

 それでは収穫はなしか。待てよ。あたしは練習が終わってすぐにここに来たはずだ。祐介は、いったいいつ図書館に来ることができたのだろう? 祐介こそ幽霊よりずっと不思議だ。

「やっぱり、この線からは期待できそうにないな」

「どうしたらいい?」

「やっぱりこの画像の元になった動画ファイルを、調べてみる必要があるだろうな。時間があれば、ICT教室へ行きたいんだけど、今日はもう無理だろう」

 プリントアウトした、動画のキャプチャー画像を見て、祐介がつぶやいた。


 次の日、昼休みにまどかはD組に行ってみた。

 いつも教室で弁当を食べている松崎静佳の姿がなかった。

「涼夏ぁ、しぃちゃんを知らない?」顔見知りの池谷涼夏に聞いた。

「あ、まどか? 今日はしぃちゃんは欠席だよ」

 珍しい。どうしたのだろうと思ったら、涼夏が続けてまどかに耳打ちした。

「あのね。例の映像のことなんだけどさ」

「え?」

「消えちゃった」

「何ですって!」

「さっき、四時間目の前、ICT教室で授業をしたグループが気づいたらしいの。例の映像がないんだって。森下君が知ってると思うけど」

 ココヤシ、いや、小林少年役の森下が二人のそばにやってきた。

「あの映像さぁ。今朝もう一度見てみようと思ったんだ。ところが、なくなってたんだ」

「あの場面が全部なくなっちゃったわけ?」

 まどかの脳裏に、里川と森下のやりとりしたギャグが浮かんだ。

「そうなんだ」

「そんな……」あたしが見たのは幻だったのか?

 まどかは一瞬混乱したが、急速に思考がかけ巡った。

 そんなことはありえない。ICT教室にいたD組スタッフ全員が、そのシーンを見ていたではないか。全員の錯覚だという可能性もない。なぜならプリントアウトしたキャプチャー画像があるからだ。あの画像は? そうだ、祐介に貸してあるんだった。

「じゃ、あのシーンはどうするの?」

「しかたがないから撮り直し。せっかく本格的に編集作業に入ろうっていう段階だったんだけどね。放課後に撮影しようって、姉崎が言ってた」

「ふーん。大変なんだぁ」

「それより行橋さん。何か進展はあった?」

「ううん。まだ何も」

「そうか……オレ思うんだけど、この事件を利用できないかな。現実に起こった幽霊出現事件と映画をタイアップさせるのはどうかなぁ。行橋さんが探偵役をやってくれれば、クラス映画の宣伝になるんじゃないかって」

「だったら、あたしのA組でやってるクラス劇にも同じことが言えるじゃない。当然自分のクラス優先で行くわよ」

「でもまどか。探偵はD組としてお願いしたんだし、この際一緒にやってよ。ね」

 池谷さんも一緒になって、まどかに手を合わせて頼み込む。

「……考えさせて」

 そう。考えなければならないことは、いっぱいあるのだ。どこから手をつけよう。


 五時間目が休講になった。

 教科で分かれているから、A組全部が授業なしとはいかない。もし全員休講だったら、降って湧いたような劇練習に化けただろう。まどかは図書館に行くことにした。

 午後の図書館は柔らかな光の海になっていた。

 紙のなつかしい匂いが一呼吸の間だけ感じられ、瞬く間に意識の枠から消えてていった。

 自習したい生徒にとっては絶好の条件。A組の何人かがすでに丸テーブルを囲んで、六時間目対策のためにノートを広げていた。まどかは委員長特権でカウンターに場所を確保した。

 祐介と昨日ぶつかりそうになった資料図書コーナー。調査せよ、とか課題をもらわない限り、ここの資料を使おうという生徒はふだんはほとんどいない。手つかずで鎮座している神殿。

「?」

 まどかは、そこにひとつ、動きの痕跡を発見した。

 半ば色褪せた紙背が並んだ棚の一個所に、埃の乱れた跡があった。誰かがごく最近になって本を引き出したらしい。

(演劇資料……?)

 NDC(日本十進分類)の七○○番台の本がそこに並んでいた。


「お~。いいか。スタート!」

「……すると、ひとつ目の不思議というのは、これだったのか!」

「そうなんです。ドケチ先生」

「明智だ、まちがえるな」

「カット! 何だよぉ。この前の方が、ずーっとよかったじゃないか」

「ごめん。焦っちゃって、どうしても早口になっちゃって……」


 窓から聞こえてきた声。わざわざ見に行かなくても誰なのかわかる。

 偶然が恵んでくれた休講時間を使って、D組の映画撮影が始まったというわけだ。里川と森下の声だから、まちがいない。そういえば、消えてしまったシーンは、図書館の窓際近くでのロケだった。すぐそばに例のイチョウの木もあるし。

 待てよ。何となくカオスのようにもやもやとしたものが、おぼろげに輪郭をとり始めた。

 そこへ――

 バーン。

 準備室のドアに何かが激しくぶつかる音が響いた。一瞬遅れてドアが開き、抱えたアルバムの山を崩した祐介が、まどかの方になだれ込んできた。

「わぁっ!」

「きゃー!」

 二つの声が叫んだ。今度は同じというわけには行かなかった。

 まどかにもアルバムが飛んできて、学校の歴史を語る古い資料が、コーナーの床一面に散らばって、埃が立ちこめた。

「気をつけてよ!」

「ご、……ごめんよ。バランスを崩した……」

 祐介の服に埃で派手に汚れた跡がついていた。

「吉見君、またアルバムを調べてたの?」

「うん、だけど発見はなかった。残念ながら」

 祐介は幽霊少女の正体が気になって仕方がないようだ。だが、まどかには、幽霊よりも現実世界の動きが気になってしかたがなかった。A組とD組の発表をめぐって、偶然の一致なんかではない、奇妙なシンクロニシティが存在しているような気がしてきた。


「ね、何かあった?」

 涼夏が、開いていた図書館の窓から、心配そうに声をかけてきた。

「今、何か、すごい声が聞こえたんだけど、まどか、大丈夫なの?」

 D組の撮影スタッフも撮影を中断して、こちらを見ていた。

「だっ、大丈夫よ。本をひっくり返しただけだから。……撮影、始めたんだ?」

「うん。この前の感覚がなかなか取り戻せないけど、がんばる。撮影の加藤君と脇坂さんが五時間目の授業なんで、あたしがカメラマンをやってるってわけ」

「そうなんだ」

 探偵役の里川が、似合わない背広姿で、まどかに聞いた。

「ところで、あの幽霊の正体、わかった? やっぱり七不思議に関係があるのか」

「まだなのよ。なかなか難しいものね」

「行橋さんにも難しいとなると、一筋縄ではいかないんじゃないかな」

「そうですね。ドケチ先生」

「明智だ。お前だってココヤシだろっ!」

 里川につつかれた森下が、小林少年の衣裳で思わずつぶやいた。

「オレ、こんな笑えないギャグなんか、やだよ~。シナリオ書いたやつ、恨むぜ」

 まどかも笑ったけど、喉の奥に引っかかった何かが、心底から笑うのを止めさせた。

 シナリオ。ひょっとしたら、今、この学校で起こっていることには、シナリオを書いた人間がいるのではないのか。そしてみんなで演技をさせられているのではないだろうか。



     〈5〉


 A組のクラス劇も、どんどんと練習が進んでいった。いよいよあと一週間を切ってしまうと、ステージ練習も大詰め。ほとんど本番さながら、ボーダーライトから投げかけられる原色の光の下を走り、眩しいピンスポットのコントラストの中で、精一杯声を張り上げる日々が続いた。割り当てられた時間帯は短い。どのクラスも限られたチャンスを生かして、何としても本番を成功させるために必死だった。

 そしてついにリハーサル。

 暗幕を閉めた体育館には、準備に奔走しているスタッフが、各クラス入り交じっての時間待ちをしていた。本番直前の焦りをはらんだ目で、それぞれの演技を真剣に見つめる空間となっていた。客席にはまだ長椅子さえ並んでいないが、少数の生徒が見守る中、まばらな拍手と笑いが、しっかり館内に反響していた。外の光が入らない分、時間の感覚はどうしても曖昧になるから、練習時間をしっかり守るために、タイムキーパーの役割がすごく重要な局面。カチッとはっきりと聞こえる大時計の針の音が、一段とキャストを緊張させる。


「すると、この図書館には、誰も出入りできなかったはずですね」

「その通り。夜は館内はもとより、校舎全体に鍵がかけられる。さらには赤外線によって機械的な警備が入る」

「通常の手段では、人間は出入りできないというわけですね」

「犯人が幽霊でもない限りはね。ですから江羅川さん、警察も困っているんです」

「ふーむ。しかし館内で人が殺されたのは事実です。ここは推理を働かせてみましょう。犯人は何の目的で図書館に侵入したのか、まずは、そこからです」

 久住の演じる探偵は、時代がかった鼻メガネが笑える。だが、さすがに自己推薦で主役を申し出ただけに、堂に入っている感じだ。あたしは倒れたまま、被害者の役を演じている。なかなか大変なのだ。動いてはいけないという役は!


「江羅川さん。犯人の目的は何でしょう?」

「本です」

「何ですって、本?」

「図書館と言えば、本ではないですか。本にもいろいろある。もし、世界中で一冊しかない本がこの図書館にあったとしたら、どうでしょうか。十分に動機になりませんか?」

 えらくまた、堂に入って、もったいぶった口調だ。

 主役の探偵は江羅川というのだ。

 江戸川乱歩あたりをパロディにしたのだろうが、鼻メガネの明智小五郎なんて、どう考えても似合わない。エラリー・クイーンもついでにからめておこう、ということか。

 最初から久住自身が主役をするつもりで、シナリオを書いたのが見え見えだ。

 なんだか緊張するのが損な気がしてきた。

 被害者役としてステージに転がって、目を閉じているのは、けっこうつらいのだ。スポットライトのまぶしい円錐の下で横たわりながら、まどかはひたすら早く、このシーンが終わってくれることばかりを考えていた。

 暗転。

 被害者のくせに起きあがって、下手に引っ込む。替わってスポットライトは舞台上手に当たる。

実は犯人であるという設定の、大橋君役の祐介が、袖幕の裏側に潜んで、ナレーターの声を聞きながら、登場のタイミングを見計らっていた。

「どう?」

 客席には聞こえないように、まどかがそっと尋ねる。

「任せときなよ。セリフも完璧だから、何の心配もいらないさ」

「そうじゃなくて、現実の事件のほうよ」

「あと回しだ。今は劇に集中しよう」

 祐介の口から、そんな言葉が出るとは思わなかった。あの祐介が演技に真面目に取り組んでいるとは、ちょっとした驚きである。まどかは少しばかり祐介を見直した。キャストを決めるときに、内職でミステリを読んでいた男も、やるときはやるのだ。

 体育館にはマイクからのナレーションだけが響いている。

「……さて、事件の夜が明けて、図書館に朝がやってきた」

 ナレーターの亜弓ちゃんを照らしていたライトが、蒸発するように小さくなって消えた。青い光のボーダーライトが徐々に明るくなり、暗闇のステージが朝を表現し始めた。祐介をはじめ、図書館の人々、主要な人物が下手から登場していく。


「ラストまで、どのくらいかしら?」

「あと十分ってとこね。江羅川探偵が大橋君の犯罪計画書を破り棄てるシーン。時間が押しているけど、まぁまぁ、今までの練習に比べたら、結構スムーズに進行するようになってきたし、なんとか本番はOKなんじゃない?」

「そう……ね」

 亜弓ちゃんから好意的な評価をもらったけれど、実はここを出るタイミングだけを考えていた。

 ここまでがんばってきたクラス劇が、急に色褪せて見えてきた。久住の栄光のために、がんばっているだけのような気がしてきたのだ。もちろん、どんな事情があるにしても、A組は彼に劇を任せたのだ。いまさら嫌気がさしたり、空気が気に入らないというのなら、自分たちが劇を真剣に考えてこなかったことへのツケだと考えるべきだ。

 今なら、ラストシーンに帰ってこれるだろう。本番では客席の扉を開けることは禁物だろうが、今はまだリハーサルだ。まどかは客席に降りて、体育館の出口へ向かった。十分間。それがタイムリミットだ。校舎に戻ると、図書館を目指した。


 文化祭前日の期待と興奮をよそに、ここだけは普段と変わらず、ほっとさせる空気があった。明日が本番であるためか、図書館は本来の静けさ以上に静まり返っている。遠くから準備の物音が聞こえてくることで、いっそう静けさが際だっている。

 自分の居場所、といえば、そこだ。

 貸出カウンターに座ったら、なんだか落ち着いた。

 本当は今こんな場所にいてはいけないのだ。それはわかっている。

 だが文化祭を巡っての、奇妙な出来事の真相を、どうにかしてつきとめなくては。D組のスタッフから頼まれた期待に、自分はまだ答えを出せていない。


 はじまりは、あのドアだ。

 川村先生のいる準備室の、見慣れたドア。

 あのドアを通って、幽霊少女は夜の図書館に出てきた。果たしてそれは本当なのだろうか。

あのときの映像ファイルがなくなってしまった今、幽霊少女の存在は、まどかが持っているプリントされた紙一枚しかない。もう一度見よう。果たして見落としはないか。

 準備室のドアと、不分明な写真のドア。

 確かに同じものだ。だが、何か違和感がある。何だろう。前は祐介に邪魔をされて、考えがまとまらなかった。今はステージにいるから邪魔は入らない。だがまとまるように思えない。残された時間はあとわずかなのに。


 ギィ……

 心臓が跳び上がるかと思った。しかし。

「あら、行橋さん」

 ドアを開けて出てきたのは、もちろん幽霊なんかではなく、川村先生だった。

「今日は当番はないわよ。それよりあなたのクラスの準備はどう?」

 この際、聞いてみようか。何でもいい。とにかく川村先生と話したい。

「先生、このドアは……」

「ドアが、どうかして?」

「昔からあるんですか?」

「えぇ、もうだいぶ経つわね。私がこの学校に着任したとき、まだ準備室はなかった。仕事がやりやすいように、独立した小部屋に改造してもらったのよ……ところで、さっき吉見君が、アルバムを調べに来ていたわよ」

 えっ。いつの間に。

「気になるんでしょうね。幽霊少女って、まるで怪談みたいだし」

 川村先生にとっては、七不思議へのこだわりなど全然なく、すっかり素通りしてしまっているようだ。先生はロッカーの前に立つと、開いている扉の前で一冊を示した。

「吉見君が、特に熱心に見ていたのは、そう……このアルバムだったかしら」

「見せてください!」

 比較的最近の卒業アルバムだった。

(あたしたちの世代にすごく近い、この年に、何かあったのだろうか?)

 まどかがアルバムをめくると!

 すぐに気がついた。こんな当たり前のことを、どうして今まで見落としていたんだろう?

「川村先生、あたしたちの標準服って、いつから今のデザインになったんですか?」

「話がずいぶん怪談から飛んでしまうのね。あれは、ほんの数年前だったわよ。それまでの服装がかなり古くさいデザインに見えるというので、思い切って……」

 そうなのか。

 幽霊の出る七不思議だというから、古い話かと思っていた。だが、ちがうのだ。幽霊の服装は少なくとも今のあたしたちと同じだ。だからこそ何の疑いもなく、B高の生徒だろうと判断できたのだ。ある年代より過去の生徒は服装が違っている。幽霊は遠い過去の生徒ではありえない。そこに早く気がつけばよかった。しかし、もう時間は残っていない。

「ありがとう、先生!」

 カチッという時計の音で気がついた。体育館に帰る予定時刻を一分過ぎている。

 窓から見える光景に、一段と青くなった影の色が滲んでいた。まどかは急いで図書館から飛び出すと、廊下を全速力で走った。このときばかりは、廊下で西澤先生とぶつかる祐介の立場が、少しはわかるような気がした。


 翌日は、まじりっ気なしの秋晴れになった。

 サイダーの底みたいに涼しくなった大気に包まれて、絵に描いたような文化祭初日を迎えた。

 派手な飾り付けと言えば、本館の屋上から下げられた、文化祭テーマの垂れ幕だけだが、校門を入ってすぐの掲示板が、たくさんの部活動やクラスのポスターでぎっしりなのが、いかにもという雰囲気を醸し出している。

 基本的には、展示もステージも同時開催だ。どちらも時間厳守で行動しないと、文化祭は成立しない。プログラムにも時間は書いてあるけれど、そのつど放送がかけられて、準備の必要なグループには伝達されるようになっていた。

 クラス劇では、教室の利用はそこそこ自由が利く。準備の場所として使うほかに、クラスの休憩場所にもなる。そこは展示や模擬店のクラスよりも有利なところだ。朝の最初の放送で、校長先生のあいさつがすむと、プログラム順で午前のラストに設定されたステージに向けて、最後の準備が始まった。前日の夜までに、大道具を体育館まで運ぶなど、ほぼ本番に必要な準備は終わっていたから、他のステージを見に行くことも十分にできる。


「それでは、十一時にここに集合。小道具の確認と、メイクをして体育館に行きます」

「舟越、衣裳はどうする?」

「忘れてた! 衣裳も確認して持って行きます。男子も女子も体育更衣室でね」

 クラス委員の亜弓ちゃんから、補足も含めてA組全員に知らされたあと、集合時間までステージを鑑賞することができる。

 まどかも体育館に向かった。すでにプログラム一番、フォークソング研究会のステージが始まっていた。アコギのアルペジオがPAから鮮かに聞こえてきた。そこへどっと笑い声。緊張してミスった一年生部員が、あわててトークでごまかす。

 まどかも笑った。それでも目は静佳を探していた。D組の生徒席を丹念にチェックしたのに、姿がなかった。どうしてだろう。制作途中のトラブルはあったが、映画は完成したらしいから、上映はできるのだろう。まどかには、なんだか彼女と微妙に距離ができてしまったように思えてならない。


 プログラムが順調に進んで、十時三〇分になった。

 A組の本番まで時間はある。まどかは席を離れて、展示も見に行こうと思った。

 多くの生徒が体育館に集結しているので、校舎内はまばらだ。

 いつもの廊下。2年D組。おおっ、よくこんな巨大なのを作ったな。「D組探偵事務所・七不思議の怪奇」という、スチール写真入りの模造紙のポスターが、廊下の窓をすっかりふさいでいた。「準備中」のカードがドアに貼られていて、上映は一時からになっていた。全員体育館にいるのだろう。だったら、なぜしぃちゃんがいないのか、理由がわからない。不吉さを感じた。

 C組は、まだガサガサとやっている。桐原裕美が例のメイクでお化け屋敷の手直しをしていた。

「キリコぉ」

「あ、まどか。ステージの方はいいの?」

「展示の方も、ちょっと参考に見ておこうかな、って思って」

「こちらはもう少しよ。まだ未完成だけど。一時からスタートなのでよろしく~~」

 裕美が語尾を震わせて、さっそく練習を兼ねたジョークを飛ばす。

 窓から見ると、教室中が段ボールの迷路になっていて、どこからか持ってきた、笹や木の葉で充満していた。

「は、迫力あるね。教室がふさがっていて大変じゃない?」

「そうでもないよ。みんなでコスプレを楽しんでいるし。このメイクで校内を歩いたら、充分な宣伝にもなるしね」

 充分な悪趣味だ。

「それにこの教室、シュヴァルツヴァルトみたいだし、雰囲気いいよ」

「?」

「森を教室に持ち込んだみたいでしょ? いかにも何か妖怪が出そうって感じに作れたからね。あれ? まどか、どうかしたの?」

 そうか……そういうことだったのかもしれない。

 キリコの言葉が謎を解く鍵だ。今までのカオスが形をなして確信に変わっていった。


 まどかはポケットに入れていたプログラムをめくった。

 目当ての文芸部は、展示をするわけではない。そのかわりに販売活動をするようだ。初日の十時から? もう始まっている。急いでその販売をする教室に行ってみた。三〇〇円は痛いと思ったが、この際証拠を押さえなければ。

 ドアを開ける前に、廊下側の窓から店番の生徒の顔が見えた。ひとりは知らない女子。時間交代でやっているのだろうが、もうひとりはD組の姉崎だ。まどかは、運よく三〇〇円を使わなくてもよくなったので、そ知らぬ顔で、その教室を通過していった。

 十一時。

 次のプログラムに当たるクラスは、体育館裏でスタンバイの予定だ。二年A組も出演者とスタッフが全員揃って、上演中のプログラムが終わるのを待っていた。館内に打ち合わせの声が聞こえると困るので、大声は出さない決まりになっている。

「みんな用意は?」

「OK」

「大道具、ホリゾントの準備は?」

「できてる」

「よし、後はじっと待つんだ」


 まどかも出番を待っている。開演まもなく図書館で殺される役だが、高校生だという設定はいただけない。それじゃ日常と変わりがない。せめて変化をつけようと、私服でステージに登場することにした。祐介を見る。大橋少年の服装は、まるで普段の標準服と変わらない。ちょっとは工夫しなさいよ。

 A組のいる上手ドアと反対側、下手のドアから、ブラスバンド部が退出してきた。

 亜弓ちゃんが、館内からの合図を受け取った。

「行きます!」


 上手と下手で合図して、ステージ上、緞帳の内側の照明が落とされる。

 暗闇から、大道具係が下手へ逃げてくる。

「スタート!」

「それでは、午前中最後のステージ、二年A組のクラス劇『ミステリ図書館の秘密』です」

 ブザーが鳴った。

 思わせぶりな現代音楽とともに、ステージにスポットが当たった、まどかが登場するなり、その場に倒れた。ナレーターの舟越が物語の始まりを告げて、劇本番は始まった。


 まどかは暗転の中で、こっそり体育館を抜け出した。

 どうしても確かめたいことがあったのだ。図書館へ急いだ。閉館中だったが、鍵はかかっていなかった。資料図書のコーナーで、例の埃の乱れた棚から、一冊が欠けているのを見つけた。まちがいない。窓のそばに、例のイチョウの木が見守るように立っている。

 そこへ、祐介が現れた。

「何よ! びっくりするじゃない。本番中でしょ」

「そっちこそ同じ立場だろ」

「それじゃ……?」

「そうか、行橋もわかったんだな」

「大変、今のうちに引き返さないと!」


 まどかも祐介も廊下を走った。三〇秒とはかからなかっただろう。「上演中」という紙が客席への入口に貼ってあった。光が射し込まないように、そっと暗幕のすき間から内部に入った。かなり暗いけれど、客席が満員だと、ステージの照明と、さざ波にも似た噪音で、はっきりとわかった。ステージでは、久住の演ずる江羅川探偵が、周囲の登場人物に説明を始めている。ラストシーンが近づいていた。晴れたグラウンドを走ってきたから、すぐには暗さに目が慣れない。しまった。ステージに近い入口から入ればよかった。こんな満席の状態で、果たしてステージまで間に合うのだろうか。


 久住の扮する江羅川探偵が、紙の束を手にして叫んだ。

「これこそ、今回の犯罪計画書なのです。犯人は世界に一冊しかない本を手に入れるために、計画を実行しました。しかし、全ては明るみに出たのです。もはや逃げられはしません。一〇数えるうちに自首しなさい。さもなくばこの計画書は……破り棄てられる!」

10・9・8・7…… 探偵と一緒に会場もカウントダウンを叫ぶ。

……3・2・1・ゼロ!

その瞬間。高速のテニスボールがステージにまっすぐに飛んできて、久住の手に当たった。思わず「あっ」と叫んで、紙の束を取り落とす江羅川探偵。

 そこへ祐介が客席からステージに走り上がってきた。

「それは犯罪計画書なんかじゃない。これこそ世界に一冊しかない本なんだ。そして、そいつは探偵じゃない。こいつこそ真犯人だ!」

 客席がどよめく。驚きの展開に一斉に拍手が贈られる。まどかも舞台に上がった。照明係が、半分わけもわからないまま、スポットを当てた。

「あたしも幽霊なんかじゃない。ちゃんと生きていたわ。こうして犯人を見つけるために!」

江羅川探偵いや久住が、沈黙が流れたあとで、とっさにアドリブを言った。

「ハハハ。とうとうバレたか。いかにも私が犯人だ。大橋君、君がこの物語の本当の探偵だったんだね。もはやこれまでだ。諸君、さらばだ!」

 久住は下手側へ姿を消した。

 ボーダーの照明が落とされた。望月の演じる老数学者が最後のセリフを言った。

「そうです。どんなに信じられない可能性でも、論理的に不可能なものを除いて、最後に残ったものこそが真実なのです」

 どこからがシナリオの通りで、どこからがハプニングなのか、客席にはわからない。

 二年A組のクラス劇は、満場の喚声の中で幕が引かれた。


「言い伝えとか、伝説とか言うけれど、どこから発生したわけでもなく、気がついたら、みんなが話を記憶している、なんてことはありえない。誰かがストーリーを作らなければ、存在するはずがないんだ。西澤先生や川村先生に質問したとき、七不思議については、何も知らないと言っていた。先生たちはこの学校の卒業生なんだから、少なくとも七不思議の話は、二人の卒業よりも後、最近になってから作られたものだと思い始めた」

「そんなに早く気がついてたの……」

 だったら、教えてくれればよかったのに。

 午前中の日程が終わって、昼過ぎの時間帯。

 まどかと祐介は、午前中の出来事について、話をすりあわせることにしたのだ。

「しかし、幽霊の現れたシーンを含んでいる映像のファイルが消えてしまったのは、どうしてなんだろう。誰かが編集の操作ミスでもしてしまったのか、それとも、わざと消した人間がいるのだろうか。いったいどんな理由があって? そこから考えるべきだった」

「まず、編集のミスっていうのはありえないと思う。誰がミスをしても、単に失敗したのなら名乗り出ると、あたしは思う」

「そうだな。幽霊少女の件で、何とかその部分を編集しようとした、のかもしれないけど」

「名乗りでなかったので、かえって何かあるんじゃないかって、思われてしまったのね」

「実際、それは何だったのだろう。一番ありそうなのは、そこに映っては困るものが映っていたということだろうけど。行橋はそのシーンを知ってるんだろ?」

「でも、里川君と森下君のやりとりだったから、他には何もないはず」

「では、その背景は?」

「イチョウの木」

「それから?」

「校舎よ。ちょうど図書館の窓があるところ」

「そこに誰かが何かをしているところが、映っていたとしたら?」

「それを吉見君は何だと思った?」

「図書館の資料図書コーナーから、図書を持ち出したところじゃないかな、と」

「あたしは、演劇の本だと思った。一冊なくなっていたのは、過去の劇のシナリオだった」

「やっぱり」

「やっぱりって?」

「七不思議も探偵劇も、あまりに似ている。何か示し合わせているんじゃないかと思った」

「なぜ」

「久住も姉崎も文芸部だから」

「……知ってたの?」

 まどかは、そのことを、文芸部の文集販売コーナーをのぞいたとき、初めて知ったのだ。

「映っていたのは、シナリオの創作に困った久住だったんじゃないか、と想像したんだ。だけど、ただシナリオを参考にすることが、そんなに困ることだろうか。困る理由とは何だろう?」

「盗作!」

「そうだろうね。過去の作品と同じだとバレることは、文芸部長としては最大の恥だと思った。だからファイルを消した……姉崎にはこっそり言ってあったかもしれない。だから気軽に放課後の撮り直しが決まったんだ」

「で、本番のハプニングなんだけど……」

「久住は何かを企んでいるような気がした。シナリオを読み直したら、最後に犯罪計画書を破り捨てることになっていた。つまり盗作がバレないように過去の作品を処分しようということではないだろうか。それを確かめようと本番中に図書館に行ったら」

「あたしと鉢合わせをした、というわけね。そのシナリオこそが、世界で一冊しかない本、ってわけだったんだ。すごく大胆。だってみんながステージで注目しているのに」

「推理小説の定石として、正々堂々とやるほどバレないと思っていた。あるいは観客やスタッフ全員をだますことに、優越感を感じていたのかもしれないね。どっちにしても、劇のあと、ラストがああなったので質問責めになったけど、久住も後ろ暗いから、『あれは、最初からの予定だ。敵をだますにはまず味方から、って言うじゃないか』とか、一所懸命、弁解していたけどね」

「ところで、幽霊の謎はどうなるの?」

 そこへ、

「まどか、ここにいたんだ!」

「しぃちゃん。今までどこにいたの、って……えぇっ!」

 まどかは目が飛び出るほど驚愕した。静佳の隣に立っているのが、あの幽霊少女だった!

「紹介するね。あたしの従妹なのよ」

「はじめまして。笠原みのりです」

 驚きのあまり言葉が出なかった。みのりが実は中学三年だと聞いて、わけがわからなくなった。

「ごめんね。七不思議を実感してもらおうと思って、あんな映像を入れてしまって」

「あれはしぃちゃんがやったの!」

「うん。まさか映像ごと消されてしまうとは思わなかった。撮り直しになったから、もう何も言えなくなっちゃった……でも映画の宣伝としては、ミステリアスな効果が上がったかもね」

「それじゃ……夜中に?」

 いや、そんなはずはない。図書館に夜中に入ることはできない。

「しぃちゃん。みのりさんを撮影した場所って、本当はどこなの?」

「あれは、あたしの家なの。あのドアが図書館のとそっくりだったから」

「偶然同じドアだったから、あんなことを思いついたというわけだな」

 祐介が口をはさんだ。

 しぃちゃんの家? だから図書館で雑談したとき、「カウンター付近のたたずまいが、落ち着いていて好きだ」と言ったのか。

「みのりが遊びに来たとき、ふっと思いついて、あたしの服を着てもらったわけ。それにしても、どうして図書館じゃないって気がついたの?」

 雰囲気が微妙にちがっていて違和感を感じたことも理由だ。しかし、それだけではなかった。

 キリコが言ってくれた言葉がヒントになったのだ。

〈森を教室に持ち込んだみたいでしょ〉

 つまり、森でない場所を森に見せかけられるのなら、図書館に見える場所が、実は別の場所だ、ということもありうるわけだ。

「しぃちゃん、今日も午前中いなかったじゃない。どこに行ってたの?」

「言う時間がなくてごめんね。実は……」


 笠原みのりは、来年こちらに引っ越して、B高への進学をめざしているのだそうだ。そこで文化祭に連れてきて、B高を案内しようとしたのだという。

「そんなわけで、みのりと一般の観客席でステージを見てた。ステージで事件を解決なんて、すごいじゃない」

 あれ?

 ステージでのラストが芝居ではなく、本当の事件解決だったということは、少なくともA組の人間以外は知らないのではないだろうか。さては祐介。

「いや、ごめん! 松崎さんには、知る権利があると思ったんだ。だから話した」

「知る権利?」

「シナリオの作者は、松崎さんのお父さんなんだ。B高生だったときの記念碑なんだよ。この文化祭には、妙に七不思議がからんでいる。行橋も知らない七不思議を、どうして松崎さんが詳しく知っていたのか、それはお父さんが教えたからなんだ」

 そうだったのか。

「お父さんの時代にあった、忘れられたB高七不思議。これを何とか復活させたいと思って、クラスで映画を作る話が出たときに、松崎さんは発案も含めて、宣伝に努めたわけだよ」

 そして、映画として形になったわけか。

「その、世界に一冊しか残っていないシナリオが、あやうく処分されようとしたわけだ。そんなことはさせないと、松崎さんに約束して、体育館に来てもらった」

「あたしは、そこまでは気がつかなかった。ただシナリオを盗作して証拠を消そうとしたことが、許せないと思ったんだ……」

「幽霊が最近の人間だと気がついたとき、七不思議の話を広めている人物とは誰なのか、と考えて、松崎さんの存在に気がついたわけさ」

 うーむ。そうなのか。

「ごめんなさいね」

「怒ってなんかいないよ。なんとか解決してよかった」

「そう言ってくれてホッとした。来年、みのりがここに合格したら、そのときはよろしくね」

「よろしくって、何が?」

「みのりってさぁ、探偵にあこがれているんだって」

 よろしくお願いします、と言われて、中学生に頭を下げられたら、断り切れないじゃない!。


「まどかぁ~~」

 桐原裕美が、例の幽霊メイクで、完璧に衣裳をつけて出現した。

「うわわっ! びっくりするじゃない!」

「いい話よね。それに事件の解決に、あたしの言葉がヒントになったなんて、すごく光栄だわ。ゆっくりしてってね~~」

 実はさっきから、まどかも祐介も、C組の「化け物喫茶」に席を取って、話を進めていたのだった。恐いけど、ほっとした雰囲気に、アイスコーヒーの香りまでが違うような気がする。

「これも、新しい七不思議なのかしら?」

 まどかはストローを噛んで、自称シュヴァルツヴァルトの森から幽霊が出没するパフォーマンスを眺めていた。 

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